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第50話

「せんぱーい!!」  新入生でごった返す校門前、呼ばわる声に振り返ると、山科が駆け寄り俺に抱きついた。 「おぉー!? 山科! お前、カヤシマ受かったのかよ!?」  山科は体を離すと鼻をすすり上げ涙目で俺を見上げた。 「だって! 先輩と同じところに行きたかったから!」  涙目で俺にすがりつく山科の首根っこを拓斗がつまんで引き離す。そのまま俺から遠ざけるように山科の両肩をがしっとつかんで言う。 「おめでとう、山科くん。春樹に触らないでもらえるかな」  山科が満面の笑みをたたえて答える。 「あははは。やっぱり春樹先輩と宮城先輩はラブラブなんですね!! オレ、応援してますから!」  山科の満面の笑みを拓斗は氷点下の微笑で受け止める。 「山科くんは、やっぱり野球部へ?」  拓斗の氷の笑みが隣に立つ俺にもびしばしと突き刺さる。山科はそんな気配を微塵も感じていないようだ。 「はい、もちろんです! 春樹先輩と甲子園目指します!」 「へーえ」  拓斗の視線は絶対零度の厳しさで。俺はカチコチと動けなくなる。 「た、拓斗……、そんなに睨まなくても……。山科、やめろ、腕にぶら下がるな」  山科は天真爛漫な笑みを発して言う。 「そう言えば宮城先輩! 今年もバレンタインはマシュマロチョコ作ったんですか!?」 「マシュマロチョコ?」  拓斗が首を捻る。俺は顔から血が下がり真っ青になっていく音を聞いた。 「ほら、先輩が中三のとき、春樹先輩にバレンタインにあげたやつですよ!」 「ああ」  拓斗がゆらーりと俺に視線を這わす。俺は蛇に睨まれた蛙のように身動きできない。 「あれは美味しかったなあ。チョコがとろけると中のマシュマロがふわんと浮き上がって……」 「いや、違うんだ拓斗! 鞄に入れてた包みを橋詰が引っ張り出して! 不可抗力なんだ。俺は人に食べさせる気なんか……」 「あれ、また食べたいなあ。春樹先輩、今年のチョコはどんなのでしたか?」  今年のチョコ……。チョコペン。  思い出して俺は、ボン! と音がしそうなほど急激に赤くなる。 「君には関係ないから」  拓斗はツンドラ気候な声で斬り捨てる。そんな不機嫌には頓着せず山科は言葉を継ぐ。 「春樹先輩、これから一年! よろしくおねがいします!」  拓斗がなにげ無さそうに俺と山科の間に割り込んだ。 「あ、ああ。よろしくな……」  俺は拓斗の肩越しに返事を返した。  山科は中学時代の野球部の後輩だ。中学のころから俺になついていて、犬ころのようにまとわりついていた。山科が俺のそばに寄ると拓斗が不機嫌になるのはあれから三年たっても変わっていないらしい。  新しい教室へ移動してからも拓斗の不機嫌はおさまらない。まあ、一般的にはクールにしているだけに見えるだろうから問題ない。 「ますたー、拓斗ちゃまはご機嫌斜めですねえ」  いつのまにか俺の後ろに忍び寄っていた金子が口を開いた。最近は金子の神出鬼没ぶりにもやや慣れて、飛び上がることはなくなった。 「お前、拓斗の不機嫌がわかるのか?」 「わかりますよう。ますたーに近づくものは切り捨てる! みたいな表情じゃないですかあ。萌え!」 「わかってるなら、離れてくれる? 金子さん」  拓斗の冷たい声に、金子は、すすすーと1メートルほど後退して喋り続ける。 「それにしても拓斗ちゃまはやっぱり理系クラスなんですね〜。特進を蹴って。クラス分けなんていう障害、ものともしない。萌え!」 「お前、その妙な語尾やめれば。なんだよ、萌え!って」  金子は胸をそらす。 「金子の萌えポイントの発表です。お代わり希望です」 「やらねえよ」 「金子さん、そろそろクラスに帰ったら?」  拓斗が冷ややかな目を金子に向ける。 「金子はどこのクラスなんだ?」 「隣のA組です」 「お前! 特進か! そんなに成績よかったのかよ……」  金子が再び胸をそらす。 「えっへん! です」 「才色兼備なんだな、お前……。以外」  ぽつりと漏らした言葉に金子は赤くなり、拓斗はキロリと俺を睨んだ。 「いや! 俺、そんなあれでは! 金子、帰れ!」  俺は金子を追い出した。拓斗は俺に背を向け口をつぐむ。俺は小さくため息をついた。   「そう言えば天文部、活動再開だな」 「……そうだね」  昼休み、机を並べて弁当を食べながら、俺は拓斗のご機嫌をうかがった。どうやらまだまだ斜め加減のようだ。 「あ、この竹輪の磯辺揚げ美味いな!」 「……それはどうも」 「なあ、そろそろ機嫌なおしてくれよ」  拓斗はしらっとした表情で明後日の方角を眺める。 「僕の機嫌なんかどうでもいいでしょ。君は人気者なんだから皆で仲良くやってれば」  俺はため息をつく。 「そんな子供みたいなこと言ってるなよ」  拓斗はがたんと椅子を鳴らして立ち上がる。 「どうせ僕は子供ですよ」  そのままぷいっと教室を出て行ってしまった。俺はまた、ため息をついて、拓斗が食い残した弁当をしまった。  結局、昼休みが終わる直前に帰ってきた拓斗は俺と目を合わせず、一言も喋ろうとせず、放課後もさっさと帰ってしまった。この間までずっと二人で一緒にいたのに。俺はなんだか落ち着かないまま野球部の練習に向かった。 「大丈夫ですか、ますたー」 「なにが?」  金子のいつもの待ち伏せ場所、渡り廊下を通っていると、つつじの植え込みの中から金子が声をかけてきた。 「拓斗ちゃま成分が足りなくて怒りっぽくなったりしてませんか?」 「拓斗はカルシウムかよ……」  俺が怒りっぽくなってないと知って安心したのか、金子はがさがさと植え込みから出てきた。頭についている葉っぱを取ってやると、金子は赤くなって1メートルほど後退した。 「何で逃げるんだ?」 「ますたーは天然過ぎます。そんなんじゃ拓斗ちゃまが心配するのも当然です」 「心配っていうか、拗ねてたけどな」 「心配ゆえですよ。もっと拓斗ちゃまの気持ちを考えてあげてくださいですよ」  そう言い残すと金子はがさがさと植え込みの奥に消えていった。  部活勧誘もまだなのに、野球部にはすでに五人の入部希望者がいた。山科もその中の一人だ。去年は桐生先生目当てに女子マネージャー希望者がわんさかいたが、今年はゼロだ。新勧がんばらないと、みんなのモチベーションが上がらないかもしれない。  今日は一年の身体能力を計るため体力テストが行われる。二、三年も基礎固めのために同じテストを受ける。100メートル走、遠投、打球速度・投球速度測定、体前屈などなど、けっこう体を使う。山科はダッシュが群を抜いて速い。中学のころから足の速さは抜群で盗塁が得意だった。それは今も変わらないらしい。 「先輩、すごいですね!」  山科が寄ってきて俺の袖を引く。 「投球速度、やばいですよ、これ!」  俺は気恥ずかしく、ぽりぽりと鼻の頭をかく。 「一応、投手なもんですからね」 「甲子園行けますよね!」  山科はきらきらした目で俺を見つめる。 「ああ、行こうな!」  山科の頭をくしゃくしゃと撫でた。 「ただいまー」  玄関を開けると家の中は真っ暗だった。 「拓斗ー?」  部屋を覗いてみても、台所にも、トイレにも風呂場にもいない。ふと見ると洗面所の鏡に紙が張ってある。 『実家に帰らせていただきます』 「……お前の実家はここだろうが」  一人で寂しくツッコミを入れてから、俺は靴をはいた。 「ただいまー」  本日二度目のただいまを言って実家に上がりこむ。拓斗は当然のような顔をして俺の実家でメシを食っていた。 「お帰り、春くん。ごはん出来てるから手を洗ってきなさい」  俺は拓斗に「ただいま」と声をかけたが、拓斗はそっぽを向いて口の中に白飯を放り込んだ。  食卓につくと、拓斗はさっさと席を立ち、居間へ向かった。 「春くん、また拓斗ちゃんと喧嘩してるの」 「してないよ」 「だって拓斗ちゃん怒ってるじゃないの」 「あれは拗ねてんだよ」  居間の方をうかがうと、秋美と拓斗がなにやら睦まじく話をしている。俺は酢豚を胃に流し込んだ。居間に移動して秋美と拓斗の間に割り込む。 「やだ、お兄ちゃん、なに?」 「俺もまぜろ」 「いや」  拓斗がすげなく断る。秋美も「だめー」などとのたまう。俺は二人の言葉は聞かなかったことにして二人の間に座り込んだ。 「拓斗、そろそろ帰らないか?」 「やだ。ここに泊まる」 「え!? 拓斗くん泊まっていくの? やったあ! じゃあじゃあ……」 「勉強は?」  拓斗がやっと俺の目を見る。 「勉強、教えてくれないのか? 同じ大学に行くんだろ。来年も一緒にいるんだろ?」  拓斗が俺の首に抱きつく。俺は拓斗の背を撫でてやる。 「あー! お兄ちゃんだけずるーい!」  俺は秋美の頭も撫でてやった。   「……ごめん」  手をつないで帰る途中、拓斗がぽつりと言った。 「なんで謝るんだ?」 「君を、君の好きなようにさせてあげられなくて、ごめん。僕が振り回して、ごめん」  俺は拓斗を抱きしめる。 「いいんだよ。もっと振り回して。俺は拓斗がいればいいんだから。ほかには何もいらない」 「……ごめん」  俺は拓斗にキスをする。 「ごめんじゃなくて、ありがとうって言ってくれよ。僕もだよ、でもいい。謝るな」  拓斗は俺にキスを返す。 「僕は春樹がいればほかに何もいらない。春樹だけがいればいい」  俺は満足して笑った。けれど拓斗は辛そうな顔でうつむいた。 「僕は……。君以外だれもいらない」  俺はもう一度、拓斗にキスをした。 「あー。やっぱり英語は無理だー」  こたつにつっぷした俺の肩を拓斗が優しく撫でる。 「大丈夫だよ。長文もだいぶ訳せるようになってるじゃない」 「丸暗記なら得意なんだけどなあ。俺、翻訳家にはとてもなれそうもないな」 「そう……」  勉強を教えてくれながら、しかし拓斗はまだ暗い顔をしていた。俺は拓斗の腰にぎゅっとしがみつく。 「拓斗、もう気にするなよ」  拓斗は俺の手をそっと外すと、俺の目を正面から見つめる。 「春樹、君はほんとうに僕でいいの?」 「なんだよ、わかりきったこと聞くなよ」  拓斗は目線をそらす。その長いまつげがふるふると揺れている。 「春樹はみんなに愛されてる。僕がいなくてもほかの誰かでも、ううん、ほかの誰かの方が君を幸せに出来るのかもしれない」  俺は両手で拓斗のほっぺたをつまんで引っ張る。 「俺はお前しかいらないって言っただろ。それに」 「ほれひ?」 「幸せにしてもらうんじゃない。幸せになるんだ、一緒に」  拓斗はほろほろと涙をこぼす。俺は手を離し、拓斗の首に抱きつきキスをする。拓斗はまたほろほろと泣いた。俺は拓斗の涙を舐める。塩っぱいはずなのに、それは不思議に甘かった。 「春樹……」  拓斗は泣きながら俺の唇を舐める。ただぺろぺろといつまでも舐める。俺は舌を伸ばし拓斗の舌に絡ませる。やっぱりそれは甘くて甘くて蕩けてしまいそうだった。  拓斗の手をとり指を絡める。そうやって魂までも絡めとったら、拓斗の涙はとまるだろうか。俺の魂を拓斗の魂と一緒に縛り上げれば、拓斗は安心できるだろうか。  甘い妄想に溺れるように俺たちはいつまでも口付けを交わし続けた。 「せんぱーい」  朝練が終わり部室へ戻ろうという時に、山科が背中にタックルしてきた。 「うぉ! なんだ、山科、飛びつくな!」 「先輩、宮城先輩と同棲してるってホントですか!?」 「どっ、同棲!?」 「ホントですか!?」  山科のきらきらした目に、俺は赤くなって口を押さえた。 「ほ……、ほんと……」  小声でもそもそと答えた俺を、山科が尊敬のまなざしで見る。 「すっごい! 大人ですねー! すっごい!」  山科の大声を聞きつけて橋詰が寄ってきた。 「なにがすっごいんだ?」 「いや! なんでも! なんでもないから!」 「すっごいんですよ、橋詰先輩! 春樹先輩ってば……」  俺はあわてて山科の口をふさぐ。 「もういいから! だまれ!」  山科は抵抗してふがふが言いながら身をよじる。俺は片手で山科を押さえつけ片手で口を押さえ続ける。 「お、あそこにいるの、宮城じゃね?」  俺はぎくりと動きを止めた。橋詰が指差すほう、校舎へ向かう階段の上、確かに拓斗が立っていた。遠くて表情はわからないはずなのに、俺にはわかった。拓斗は冷ややかな刺すような目で俺たちを見ている。  怯んで固まった俺の手の中から山科が抜け出し拓斗に向かって大きく手を振った。 「宮城せんぱーい! おはようございまーす!」  拓斗はぷいっと横を向いて行ってしまう。 「あれえ、聞こえなかったのかなあ」  山科ののんきな声を背中に、俺は肩を落として部室へ向かった。今日も拓斗は実家に帰るのかな……。 「だから拓斗の実家はウチじゃないって……」  ささやかな抵抗を込めた一人ツッコミは春の陽気に溶けて消えた。

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