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第55話 幼馴染で梅雨の日の

 雨が続く。  野球部の練習は小雨ならばグラウンドで行われるが、今日みたいな叩きつける雨の日は校舎内で軽い運動をするだけだ。  ストレッチと階段ダッシュ、それがメイン。  俺は階段ダッシュが得意で二段飛ばしで駆け上がる。先輩達には「猿走り」と呼ばれた走法だが、俺のスピードを越えたものはいなかった。  ……去年までは。 「……山科、お前、早いな」  俺は息を整えながら、横に並んだ山科をジト目で見やる。 「オレ階段ダッシュ得意ですから〜」  山科は息も乱さずけろりと言ってのけた。地味に悔しい。  悔しさをバネに頑張りたかったのだが、練習はとっとと終わってしまい、部員達は解散した。  制服に着替え校舎に戻ると職員室から出てきた拓斗と行き合った。 「あれ。春樹、練習はもう終わり?」 「ああ。拓斗は?」 「僕はまだ部室にもどるよ。一緒に来る?」 「おう」  俺は拓斗と並んで科学準備室に向かう。 「そう言えば、天文部は新入部員どうだったんだ」 「入れ食いだよ」 「大漁か。最近は天文流行りなんだな」  拓斗は軽くため息をついた。 「漁師の腕がよくてね」 「漁師って?」 「斉藤さんだよ。まあ、行けばわかるよ」  科学室の辺りに来ると、なにやら、わいわいと賑やかな声が聞こえた。魚達が騒いでいるようだ。  準備室のドアを開けると、中には十数人の男子学生と紅一点の斉藤さんがだらりとくつろいでいた。あるものはゲームをし、あるものは漫画を読み、あるものはギターをもてあそび、てんでに好きなことをしている。  斉藤さんの周りだけは男子が群がり彼女のご機嫌をうかがっているようだ。が、彼女はつまらなそうに自分の爪を磨いている。顔を上げて拓斗を認めると、斉藤さんは唇を突き出した。 「ぶちょおー。雨なんだからもう部活終わりにしましょうよー」 「雨の日だって活動できるんだよ」 「でもお。軌道観測ぅーとか、太陽のフレアがぁーとか、難しすぎてえ」  周囲の男どももこぞってうなずく。拓斗はため息をつく。 「わかりました。今日はもう解散」  天文部員達は、わあっと明るい声をあげると、各々立ち上がり部室から出ていく。俺は拓斗の肩を叩く。 「なんというか……、おつかれ」  拓斗は苦笑した。部屋を出ていこうとしていた斉藤さんがぴたりと足を止め、拓斗の顔をまじまじと見つめた。 「なに?」  拓斗がクールに問う。 「部長、笑えるんだ」 「は?」 「しかめ面しかしないのかと思ってた」 「そんなわけないでしょ」  斉藤さんはニカッと笑う。 「笑うとかわいいですね!」  言いおいて去っていく斉藤さんの背中を、拓斗はあっけにとられた顔で見ていた。俺は顔を伏せ、ひそかに笑った。  部室は嵐が去ったかのような散らかり具合だった。 「ああ、もう。勝手に遊ぶのは構わないけど、掃除くらいしてって欲しいよ」  ぶつくさ言いながら手早く片付けを始める。なんだか拓斗はみんなのお母さんのようだ。俺はまた笑う。 「なに?」  拓斗が笑顔で言う。 「いや、なんでも」  拓斗が手を伸ばし俺の頬を軽くつねる。 「言わないとお仕置きするよ」 「もうしてるじゃないか」  顔を見合わせ小さく笑う。俺も片付けを手伝い、ビーカーを洗う。 「なあ、なんで天文部なのにビーカーなんか使うんだ?」 「彼ら、ビーカーでコーヒー飲んでるんだよ」 「豪快だなあ」  拓斗はまたため息をつく。 「何の薬品がついてるかもわからないから止めるようにとは言ってるんだけど、聞かないんだよね。昼間なんかアルコールランプと、その大きなビーカーでラーメン作ってたよ」 「豪快を通り越して愉快だな」  天文部の今後は明るいような、前途多難なような、どちらにしても賑やかな一年になりそうだった。  雨はやむそぶりを見せず、打ちつける滴が傘からはみ出したカバンや靴先を、あっという間にびしょぬれにした。拓斗と並んで帰る道すがら、あちらこちらに出来た水たまりに踏み込まぬよう下を向いて歩く。 「あ」  拓斗が立ち止まって顔を上げた。 「どうした?」 「ジャスミンの香り」  言われて匂いを嗅いでみると、雨のカーテンの隙間から甘酸っぱい花の香りが漂ってきた。きょろきょろ見回しても花の姿はどこにもない。 「どこで咲いてるんだろうな」 「案外、遠いところかもしれないね」 「遠いって?」  拓斗は真面目な顔で言う。 「外国とか」 「そんなに遠くから匂ってこないだろ」 「雨が、匂いを運んできたのかも」  六月の雨は雲をざく切りにしたような大きな雨粒で、その粒の中に何か大事なものを隠していても不思議ではないような気がした。雲の上の青い空の記憶や、遠い海のさざ波の音や、大事な人の涙の味や、もちろん、異国の花の香りなんかも。  俺たちは花の匂いを胸いっぱいに吸いこんで、再び歩き出した。雨粒はばたばたと傘を揺らす。きっと傘の上にはたくさんの雲の思い出が映し出されているのだろう。 「あーあ。びちょびちょだな」  軒先で傘をたたむ。俺の肘から、拓斗の膝から、雫が垂れる。 「全部洗濯だね。脱ぐついでにお風呂先に入ろっか」 「おう」  玄関に入って濡れた服を全部脱いで、それで手足も拭いてしまう。 「なんだか小さいころみたいだな」 「そう?」 「ほら、沼でザリガニ捕ってきたらさ、美夜子さんが『玄関で全部脱いでお風呂に入りなさ―い!』って怒鳴ったじゃないか」 「ああ、そうだね。沼の水は臭かったからね」  脱衣所の洗濯機に汚れたものを放り込む。拓斗が洗剤を投入し洗濯機を回す。がごんがごんと空恐ろしい音を立てる。 「この洗濯機、寿命が近いんじゃないか」 「そうだねえ。僕たちと同い年だもんね。なんとか来年の三月までもってくれるといいんだけど」 「なんで三月?」  俺の問いに、拓斗が不思議そうな視線を返す。 「なんでって、新居には新品の家電がよくない?」 「新居って?」  拓斗は俺の両頬をつまんで引っぱる。 「君は枝府大学にこの家から通うつもり?」 「そんあふもりはないれふ」 「ほかの大学に行くつもり?」 「そんあふもりもないれふ」 「じゃあ、引っ越しでしょ」  拓斗が手を離す。俺はひりひりする頬を押さえる。 「なあ、そしたらこの家はどうなるんだ?」 「間貸ししようかな、って美夜子さんは言ってたよ。けど交通の便が悪いから借り手付きそうにないよね」 「よくわからんが……。ここに他の人が住むのかあ」  拓斗が俺の顔をのぞき込む。 「いや?」 「うーん。複雑」  拓斗が小さなくしゃみをした。 「とりあえず、風呂行くか」  湯を張っている間に体を洗う。最近は俺が拓斗を、拓斗が俺を、お互いに洗ってやるのが慣例になっている。人に洗ってもらうのは、とんでもなく気持ちがいい。産まれてきてよかったと思うくらいに。  拓斗の頭を泡だらけにして、かしゅかしゅシャンプーしていると、拓斗は先ほどの会話を続けた。 「春樹はこの家が好き?」 「もちろん。ここは俺の二番目の家だもんな。牟田の家は改築しちまったから、思い出の家とは言えなくなっただろ。小さいころの思い出が染み込んだ家って、ここしかないんだ」 「うん。たしかにそうかも。僕、昔の君の家の柱、好きだった」 「背比べしてたやつか」 「そう。夏生姉と君と僕と、秋美ちゃんと冬人くんと。みんなの背丈が書き込んであったでしょ。それも何年分も。あれは僕の夏休みの思い出だったなあ」  拓斗が遠い目をして呟く。 「あの柱、もらっておけばよかったなあ」 「なんなら、やるぞ」 「え?」 「夏生姉の部屋に取ってあるぞ」 「え! そうなの!? うわあ、すごい!」 「いつでも見放題だぞ」 「ふふふ、なんか有料チャンネルみたいなこと言ってる」 「うちの柱は無料だぞ。お財布に優しいんだ」  二人で湯につかるので、湯船に張る湯の量は少ない。省エネ、そして水道代節約。理にかなっている。かなっているのだが。 「あっ、や、拓斗、だめ……」 「んー。ここも冷えちゃってるねえ。摩擦で温めてあげる」 「だめだってばぁ」  拓斗が俺を攻めてくる。俺は抵抗して、湯はばちゃんばちゃんと跳ね、もったいない。 「春樹はお風呂でするの嫌がるよね」 「だって……。はずかしい……」 「春樹が恥ずかしがってるところ、見るの大好き」 「み、見るなよ! ……んぁん! 後ろだめぇ!」  声が反響する。それが耳に羞恥を運ぶのだ。拓斗はわかっていてわざと俺の声を出させようとする。 「あん! そんなにつよく……、あ、あっ! やだ、でる!」  拓斗に強く扱かれ、湯の中に白濁したものが広がっていく。俺はそれを見てカッと顔を赤くする。拓斗が俺の唇を強く吸う。 「ん……んふ」  舌を絡めあい、くちゅくちゅという音を湯の上に落とす。その音も反響して俺の耳を甘く蕩かす。俺は拓斗のものに手を伸ばす。それはすでに硬く立ち上がっていて、居るべき場所を探していた。俺は唇を離し、ごくりと唾を飲む。 「じゃあ、あがろうか」  拓斗は俺からさっさと手を離すと、さっさと浴室を出ていった。俺も拓斗について脱衣所に入る。体を拭いている拓斗の背中にぴたりとくっつき抱きしめる。 「はーるき。どうしたの?」  俺は黙ったまま拓斗のものを扱く。 「ベッドまで我慢できない?」 「ん……。拓斗は?」  拓斗はくるりと体勢を代えると俺を洗濯機に押し付けた。震動が俺のものを刺激する。 「ひあっ! やぁ……」  俺は逃げようと体を揺すったが、拓斗は俺の腰をしっかりと押さえつけ、俺のものはますます強く振動を感じてしまう。 「やっ! 拓斗、だめ……! でちゃう!」  拓斗は無言で俺の中に突き入ってきた。 「ああぁぁん!!」  その衝撃で俺は爆発した。白いものが白い洗濯機にべったりとくっつく。それが滑ってまた俺のものを刺激する。拓斗は力強く俺の中を擦りあげる。 「はあぁ、ん! あ、あ、たくと……! もうだめぇ!」  俺はまた吐き出し、俺の後ろは激しく収縮し、拓斗も俺の中で達した。 「風呂でするのは理にかなってるのかもしれない」  脱衣所で体を拭きつつ、まじまじと自分のものを見つめながら言う俺を、拓斗が笑う。 「なにヘンなこと言って」 「いや、ちょっと思っただけで……。て、拓斗、その手はなに?」  拓斗が立ち上がって俺の手を取り浴室の方へ引っ張る。 「ぜひ、行きましょう。ぜひ、ぜひ」 「いや、今じゃなくてだな……」 「思いたったが吉日ですよ。さあ、さあ」 「いや、いや……」  今一歩で浴室へ連れ込まれそうになった時に、洗濯機がぴー、と終了の合図をくれた。俺はほっと息を吐く。これ以上されたら腰が立たなくなる。 「んー。部屋干し、美夜子さんの部屋使おうかな。ヒーターもあるしね」  拓斗は俺の手を離すと主夫の顔になって言う。助かった。俺は手早く服を着て、洗濯機から衣類を取り出す。拓斗に洗濯かごをあずけ美夜子さんの部屋のドアを開けようとした。 「うわあーーーん!!」  突然、玄関ががばっと開き、美夜子さんが転がり込んできた。 「み、美夜子さん!? どうしたんですか!?」 「あ、美夜子さんお帰り」  拓斗は驚いたそぶりも見せない。 「聞いてよ春樹! 陽助さんたら学会だとかで一週間も帰ってこないのお!!」  美夜子さんが俺の腕をつかんでがくがくと揺さぶる。 「そ、それは寂しいですね」 「ぜんぜん寂しくない!」 「え? じゃあなんで『うわあーーーん』なんですか?」 「孝ちゃんに会えるから喜んでる、に決まってるでしょ! あ、拓斗、晩ご飯はいらないから」 「はいはい。寝れるようにはしておくから、ごゆっくり」  美夜子さんは持っていた旅行鞄を放り出すと、意気揚々と出かけていった。 「はやく洗濯もの乾かさないとね。ヒーター最強にしなきゃかな」  拓斗は淡々と家事を始めた。度肝を抜かれたショックから立ち直れない俺は廊下でぼんやりと立っていた。 「美夜子さん、一週間ずっとうちにいるのかな……」  がっかりしている自分を発見して、俺はぶんぶんと首を振る。この家の主がいつ帰ってきても店子が口を挟むわけにはいかない。だけど……。一週間……、拓斗と二人きりにはなれないんだ……。  美夜子さんの部屋をのぞきこむ。拓斗は部屋干し用の物干し竿に軽快に洗濯ものを干していく。 「拓斗、それ終わったらもう一回、しよ」  俺は即座に廊下に押し倒された。

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