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幼馴染でセンター試験
「春樹、大丈夫? 動きがパントマイムみたいだよ」
一月の寒い朝、俺は底冷えする廊下をうろうろと歩き回っていた。
「きみ、いくらなんでも緊張しすぎでしょ」
「たくとぉ……」
俺は拓斗の袖にすがり付く。拓斗は俺の頭を優しく撫でてくれた。
「じゃあ、緊張がとけるおまじない、かけてあげるよ。目を閉じて」
拓斗の顔を仰ぎ見たまま、言われた通り目を閉じる。拓斗が動く気配がして、
バン!
「うぎゃあ!」
思いきり背中を叩かれた。よろけた俺を拓斗が後ろから抱き止めた。
「な、なにすんだ!?」
「おまじないだよ」
「体育会系過ぎるだろ!」
「でも効いたでしょ」
「効いた……気がしなくもない」
「じゃあ、このおまじない、まちがいじゃなかったね」
「そうは言っても、おまじないって、もっとこう……いろいろあるだろ!」
「おや? 何を期待していたのかな?」
拓斗が俺の頬を撫でながら、顔を近づける。目を閉じた俺の鼻を、拓斗はきゅっと握った。
「ふが」
「今日と明日がんばったら、ごほうびあげるよ」
拓斗は魅惑の微笑みを浮かべた。
今日と明日、二日に渡ってセンター試験が行われる。俺と拓斗は七教科を受ける。拓斗は理学部、俺は工学部を受験するのだが、センター試験の科目は同じだ。
受験番号も前後しているので、おまじないがなくても幾分か落ち着いていられたと思う。いや、おまじないが嫌だったわけでなく、拓斗がそばにいれば安心というか……、拓斗さえいれば大丈夫というか……、拓斗がいないとダメというか……
「どうしたの? 顔真っ赤にして。トイレがまんしてる?」
「し、してないぞ!」
俺は頭の中身を拓斗に見抜かれてはいないかと、じっと拓斗の様子をうかがう。
試験会場に向かう道すがら、拓斗は寒そうに背を丸めてコートのポケットに両手を突っ込んで、マフラーに顔半分を埋めている。
コートの下には制服、その下にセーター、シャツ、それに防寒機能のアンダーシャツまで着ている。靴下は二枚履きだ。会場で汗だくになるのではないだろうか。心配だ。
「春樹は元気だねえ」
震えながら拓斗が小声で呟く。
「お前が寒がりすぎなんだと思うぞ」
「けど、今日はほんとに寒いじゃない?」
拓斗の言う通り。今日はどんよりと曇り、海風がいつも以上に冷たく、山の方では降雪注意報が発令されていた。早朝は庭に霜が下りていたし窓は結露で真っ白だった。それらを一言で言うならば、寒い。
試験会場に近づくにつれ一緒に受験するお仲間たちが増えてきた。あるものは背を丸めて不安げに、あるものは参考書をちらちら見ながら。
「みんな本当に受験生なんだな」
「なに暢気なこと言ってるの。自分だってパキパキの受験生じゃない」
「なんだよ、パキパキって」
突然、うしろから声をかけられた。
「触れたら折れそう、って意味じゃないですか?」
振り返ると案の定、金子が忍び寄っていた。
「おはようございます! ますたー、たくとちゃま」
「おはよう、金子さん。ちゃまはやめてね」
「金子、忍び寄るな」
「だってぇ、お二人のらぶらぶトークが聞こえるかと思ってえ」
「金子、しゃべり方が変だぞ」
金子は俺の隣に並ぼうとしたが、拓斗に軽く睨まれ拓斗を挟んで向こう側へ行った。三人でならんで歩く。
「しかし、久しぶりに姿を見たぞ、金子。生きてたのか」
「はい。学校には行っていませんでしたけど」
「金子さんは補習受けなくて大丈夫だったの?」
「大丈夫であります! 金子は国語、英語しか受けませんですから」
「それにしても自宅学習って不安じゃないのか?」
「大丈夫です。本場で勉強してましたから」
金子が胸を張る。
「本場って?」
「アメリカです」
「はあ!?」
「二週間短期留学したですよ」
俺はあっけにとられ、拓斗は苦笑する。
「受験生なのに日本を離れるって、余裕だね」
「金子が受験する学校はセンター二科目と、二次試験の国語だけですので」
「じゃあ、英語より国語を勉強すべきなんじゃないのか?」
「アメリカで勉強したですよ」
金子はまた胸を張る。
「大学の公開講義で日本文学と文法を少々」
俺はまたぽかんと口を開けた。
「金子さんは思いきりがいいよね」
「お誉めにあずかり光栄であります!」
その後、金子の本場仕込みの英会話講座を聞きながら会場についた。隣町の学生数の多いマンモス大学が試験の舞台だ。
今日、受験する四科目のうち二科目は金子も一緒だ。受験会場は離れていたが、金子は時間ギリギリまで俺と拓斗のそばで粘り続けた。
「なんなんだ、金子。何を期待している?」
「その、あの、えっとですね。ますたーが緊張しているみたいなので……。たくとちゃまがそれをほぐしたりしないのかなー、と……」
「そうだね。じゃあ春樹、緊張がとけるおまじない、しようか」
「や、やめろ! あれはもういい!」
「まあ、まあ、遠慮なさらず」
金子が目を皿のように開いて俺たちを見つめている。ちくしょう、金子、覚えてろ!
「じゃあ、いくよお」
俺は来るべき衝撃に備え、ぎゅっと目をつぶった。
ふわり、と暖かいものが俺の背を包んだ。
「ふ、ふおぉ!」
金子の雄叫びが聞こえる。目を開けると、俺は拓斗に抱き締められていた。
「わ! な! なにすんだ拓斗!」
「おまじないだけど?」
「朝のと違うじゃないか!」
「あれ? あっちがよかった? じゃあもう一回……」
「やめろ! あれはもういい!」
「金子は再現を希望します!」
「うるさい、金子! 自分の教室へ行け!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいた俺たちは、係官から厳重注意を受けた……。
試験は概ね好調だった。今までの模試は何だったのかと言いたくなるくらい、あっさり解けた。たぶん、合格点の八十点を越えているだろうという手応えがある。
俺は意気揚々と帰り支度を始めた。前の席に座っていた拓斗が振り返る。
「あ、その様子なら大丈夫だったみたいだね」
「おう! マークシートの書き間違えもないぞ! 漢字の間違いもない!」
拓斗はにっこりと満開の笑みを見せる。俺はその笑みにとろけそうになりながら、ペンケースの蓋を閉めた。
翌朝、気温はますます下がり、遥か見上げる山は白い帽子をかぶっていた。拓斗は昨日と同じ服装で、靴下をさらに一枚足した。
「あの会場、足元が寒過ぎだよね」
「そうかあ? それほどでもなかったと思うぞ」
「きみの席は一段上だったから、それで暖かかったんだよ」
大学のひな壇状になっている座席の一段ぽっちりで、室温はそうそう変わらないと思う。が、まあなんとなく曖昧に頷いておいた。
今日は金子に邪魔される事もなく、物理の公式を唱えながら試験会場までたどりついた。
二日目もおおむね快調に解けた。ほんとに、模試のあの難しさはなんだったんだ。しかしこれなら本試験でも落ちついて受験できそうだ。
俺が席を立ってひな壇を下りようとしていると、拓斗が負いかぶさってきた。
「なんだなんだ、拓斗、どうした?」
「あつい……」
「そりゃそれだけ着込めば……って」
拓斗の手を握ると、いつもよりずっと体温が上がっていた。
「さむい……」
「お前、熱あるんじゃないか」
額をさわってみてもやはり熱い。
「きもちわるいよお」
青白い顔をした拓斗に肩を貸しながら試験会場を出て、タクシーをつかまえて乗り込む。
「お前、そんな状態で試験はだいじょうぶだったのか」
「らくしょうだよ……」
頼もしいが憎たらしい言い様に拓斗の体調の余裕を感じて、俺はほっと胸をなでおろした。
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