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第67話 幼馴染で卒業式
「卒業生代表、金子芙美」
「はい」
名前を呼ばれ、金子は楚々と返事をして立ち上がる。清楚な黒髪をポニーテールにまとめセーラー服のスカートから伸びるまっ白な足は細く儚げで。周囲の男どもから「おおぉ」と嘆息が漏れる。
壇上に上った金子はマイクの前に立ち、白い巻紙を取り出し、答辞をよむ。校長や来賓、送辞を読んだ後輩への感謝。三年間の思い出、後輩へのエール。優等生らしい非の打ちどころのない答辞だった。
「最後に、わたくし事ではありますが、」
そう言いだした金子の言葉に、俺は嫌なものを感じた。
「この学校で、私は本物の萌えと出会いました! 茅島高校、ばんざい! みんな、萌えに生きろですよー!」
うおおおおお! と雄たけびが上がった。意味もわからず下級生が「もえ、もえ!」とシュプレヒコールを上げる。金子は檀上で両こぶしを突き上げ、慌てた教師陣が金子を檀上から追い落とし。
「金子さんは自由だよね」
拓斗があくびしながら呟いた。
「ますたーーー!!」
卒業式が終わり体育館を出た俺の元に金子が走り寄る。
「うわ、やめろ、くるな金子」
「ひどいです、ますたー! 金子、一生懸命、答辞を呼んだですよ。誉めてやって下さい!」
「ひどいのはお前だ。校長なんか半分灰になりかけてたぞ。どうするんだ、卒業式を面白くしちまって」
涙を浮かべ洟をすすっていた女子でさえ、金子の答辞にぽかんと口を開け、その後は白けて「萌え」シュプレヒコールを聞きながら耳をほじっていたのだ。
……耳をほじってはいなかった、本当は。それは誇張だけども。
「金子さん! すばらしい答辞だったよ!」
「俺たちの青春そのものだったよ!」
わらわらと男子生徒が寄ってきて金子の周りを囲む。金子は照れながら頭をかいている。
「そういうわけで金子さん! 青春の思い出に、俺達とカラオケ行こう!」
「いや、金子さん、卒業を記念してボーリングに……」
「金子さん、卒業コンパに……」
「金子さん」「金子さん」「金子さん」
金子は人波にもまれ翻弄されていた。俺は金子の事は放っておくことにした。
「ますたー! ひどい! たすけてくださいですよー!」
「じごうじとくだろー」
遠くから金子に送別の辞を述べ、俺はグラウンドの方へ歩き出した。
グラウンドにはすでに野球部員が全員揃っていた。
「おそいぞ春樹! 走れ!」
監督から怒鳴られるのも半年ぶりだ。俺は頬に浮かぶ笑みを押さえられぬままみんなの元に走っていった。
「全員揃ったな!」
「おす!」
「三年生! 卒業おめでとう! 君たちは茅島高校野球部の輝ける星だ」
「おす!」
「二年生、一年生は、君たちの背中を見て野球を身につけてきた。いわば、君たちが下級生の親鳥だ。下級生の雛たちは皆、君たちの真似をしてここまで来た。しかし! これからはこいつらが君たちの背を追い越していく。君たちの思い出を上書きしていく。三年生!」
「おす!」
「君たちはいつまでも親鳥であってほしい。もし野球をやめたとしても、こいつらが追うに足る背中を持っていて欲しい。三年生!」
「おす!」
「君たちの健闘をいのる!」
監督の言葉が終わらぬうちに橋詰が泣きだし、その涙が伝染して三年だけでなく二年も一年も泣きだした。
「は、はるきしぇんぱいー」
俺が潤んだ目を制服の袖で拭っていると、山科が洟を垂らしながら近づいてきた。
「おい山科、洟が出てるぞ」
「ずびばぜん~。どまんないんでず~」
ポケットからティッシュを出して山科に渡す。ぶびーと盛大な音をたてて山科は洟をかんだ。洟の頭も両目も真っ赤だった。
「なんで、なんで俺はもう一年早く産まれて来なかったんでしょうか~」
「もう一年? なんでもう一年?」
「そうしたら春樹先輩と二年間一緒に野球出来たじゃないですかあ」
「それを言うなら同じ学年だったら三年間一緒だったろ」
「だめです! 春樹先輩は先輩じゃないと!」
よくわからない山科の論理に苦笑いしていると、山科がふいに真顔になって俺の前に立ちはだかった。
「?」
なんだろう、と見回してみると、グラウンドの周りにいた女子生徒が恐る恐るといった風に野球部員に近づいて来ていた。その中の一人がつかつかと進み出て大きな声を出す。
「あの、神林先輩! ボタン、ください!」
「山本くん、第二ボタン、ください!」
ああ、そうか。卒業式と言えばこれがあったなあ、となまぬるい思いで女子生徒の群れを見つめる。去年は松田先輩の独壇場で、他の先輩たちは見向きもされていなかったが、今年は何やら満遍なく盛り上がっているようだった。橋詰でさえ女子に取りかこまれ鼻の下を伸ばしている。これは……元香にしばかれるだろうなあ。
などとぼんやりしていると、山科が俺の胸を押した。
「なんだ、山科?」
ふと見渡すと、俺は女子生徒に取り囲まれていた。
「牟田君! ボタンを下さい!」
一番前で頭を下げたのは、去年、俺にチョコをくれた田端さんだった。俺はチョコを受け取らず返してしまった手前、なんだか申し訳なく、制服の胸のボタンに手をかけた。
「だめっすよ!」
山科が俺の前で両手を伸ばして通せんぼする。
「春樹先輩のボタンは全部、宮城先輩のものです!」
田端さんは寂しそうに笑ったが、納得してくれたらしく静かに頭を下げるとグラウンドから立ち去った。他にも数人、俺の周りにいた女子生徒達は山科の剣幕に押され、俺に近付けないでいた。
「ありがとう、山科。俺、拓斗を探しにいくよ」
「はいっす! 先輩、夏の大会は甲子園に見に来て下さいね!」
「おお? でかく出たな! 行けよ、甲子園!」
「はい!」
グラウンドから走り出ると、校門のそばにかあちゃんと美夜子さんが立っていた。
「あれ、二人とも来てたの?」
「もちろん! 拓斗ちゃんと春くんの最後の花舞台じゃない」
「もちろん、孝ちゃんにあえるから来たに決まってるじゃない!」
「美夜子さん、今日はミトは?」
「秋美ちゃんが見てくれてるわよ」
「秋美が!? かあちゃん、すぐに帰れ!」
俺があわてて母ちゃんの背中を押すと、美夜子さんが俺の頭に軽くチョップを落とした。
「やあねえ、春くん。秋ちゃんは子守の天才なのよ」
「秋美ちゃんが抱いたら、ミトは一発で寝ちゃうんだから」
俺は信じられない言葉に口を開けっぱなした。
「でも、そろそろ帰るわ。春くん、拓斗ちゃんと帰ってくるんでしょ?」
「ああ、そうする」
「今日はうちでご飯食べましょ。美夜ちゃんも一緒に」
美夜子さんはかあちゃんに抱きつき「孝ちゃんと一緒に寝る!」と大はしゃぎして二人手を繋いで帰っていった。いつまでも仲睦まじくていいことだ。
さて。拓斗を探しに行くか。
「あれー? 牟田先輩? 何しに来たんですかあ」
科学準備室を覗くと、斉藤と他五、六人の男子生徒が大掃除をしていた。
「斉藤さんこそ、何してるんだ?」
「大掃除ですけどお?」
「なんで今頃」
「年度末だからですよ。てか、宮城先輩に厳命されました。片付いてなかったら廃部届を出すって」
「卒業生が書いた廃部届に効果はあるのか」
「宮城先輩の事ですよ。静かに押し通すに決まってるじゃないですか」
掃除をしている男子達も静かにうなづく。拓斗はなんだかんだ言って天文部の皆に慕われていたらしい。俺の頬は嬉しくなってゆるむ。
「ほら、笑ってないで、邪魔だから帰って下さい」
「あ、いや、拓斗を探してるんだ。どこにいったか知らないか」
「女子高生の巨大な群れに拉致されていくのを見たのが、宮城先輩を見た最後でした」
「そんな怪奇事件簿みたいに言わないでくれよ……。でもわかった。女子の群れを探してみるよ」
部屋から出ようとした俺を、斉藤さんが呼びとめた。
「宮城先輩がいつまでも女子に掴まってるようなタマですか? よそを探したほうがいいですよ」
もっともな助言に、俺は斉藤さんを見返す。彼女はハタキを肩に担いで不敵な笑みを浮かべた。俺は拳をつきだして見せ、科学準備室を後にした。
図書館に顔を出すと、司書の無卯先生が一人で卒業アルバムを捲っていた。細おもての顔にやや憂いが滲んでいるように感じるのは、俺自身の感傷のせいだろうか。先生が見ているアルバムは出来たてのほやほや、俺たちの年度のアルバムだ。俺の視線に気づくと、無卯先生は顔を上げ微笑んだ。
「図書館に縁遠いお客が来たね」
「縁遠いって。一応、図書委員もやってたんですけど」
「本を借りたことは一度もないだろう?」
うっ、と言葉に詰まった俺を、先生はハハハと笑い飛ばした。
「それで、図書館に一番縁のある男を探しているんだね」
無卯先生には何もかもお見通しだ。
「残念ながらニアミスだ。彼ならついさっき私に挨拶して出ていったところだよ」
「そうですか。ありがとうございました」
立ち去ろうとした俺に、無卯先生が呼びかける。
「そうだ、君たちさ」
振り返った俺に、先生はにやりと笑って見せる。
「司書室でイタズラしたら駄目だよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、そのことを思い出して俺は頭のてっぺんから湯気が出そうなほど赤面した。
「し、失礼しました!」
俺は後ろも見ずに、いや、見られずに駆けだした。
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