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第10話
「おう、ひ……?」
シェリダンは家柄が良いだけの庶民に近い下級貴族ではあるが、当然オルシアの民として水晶の儀を知らないわけではない。突きつけられた現実にシェリダンはペタンと座り込んでしまった。美しい菫の瞳は大きく見開かれ、艶やかな唇は震えている。
「ま、さか……。そんなはずは、だって……私は男……」
「水晶の儀で選ばれた者は王妃となる定め。そこに性別は問われぬ」
喘ぐように紡がれたシェリダンの言葉をアルフレッドが否定する。それでもシェリダンはその言葉を受け止めることはできなかった。こんなのはおかしい。男の自分が王妃など間違っている。そう思って視線を巡らせば、高官達の後ろに同じように跪く兄の姿が見えた。
「兄上!」
縋るように兄を呼ぶ。本当は傍に行きたいのだが、並び跪く高官達を蹴散らすことは出来ずにただ声を張り上げることしかできない。シェリダンの兄はピクリと肩を震わせたが、それでも弟の声に頭を上げようとはしなかった。
「王妃に選ばれましたこと、お喜び申し上げますシェリダン様」
「兄上ッ!!」
厳格な兄までもがシェリダンに跪き敬う。その光景にシェリダンは叫びながら頭を横に振った。
「嫌です兄上! どうか嘘だと仰ってください!!」
嫌だと拒絶することは不敬だった。罰されても文句の言えないことを混乱のあまりシェリダンは叫ぶ。しかし当のアルフレッドはシェリダンを罰そうとは思わなかった。水晶の儀は絶対。どれ程嘆こうと、叫ぼうと、シェリダンの運命は変わらない。ならば今だけは叫ばせてあげようと思った。しかしそう思ったのはアルフレッドだけで、臣下はそう思わない。
「シェリダン様、どうかそのような事を仰られず、お心を安らかになさいませ。そのように取り乱されてはお身体に障ります」
叫んでも懇願しても変わらない兄の姿にシェリダンは呼吸を荒くした。涙が流れないのは男としての矜持ゆえだろうか。しかしその代りに喉は焼け付くように熱を孕んでいた。
「陛下」
シェリダンの兄は跪いたままアルフレッドに声をかけた。許しを得て言葉を紡ぐ。
「陛下のお慈悲でこの場に来させていただきましたが、私めがここにいるとシェリダン様は混乱なされるご様子。先に退室させていただいてもよろしゅうございましょうか」
「構わぬ。そなたの弟を取り上げることになって、すまなかったな」
詫びる王にいえ、と兄は返した。
「我が家には私がおりますゆえ、跡目はお気になさらず。我が家から側妃様に続き王妃様を送り出せます事、大変な誉でございます」
では、と兄が立ち上がり背を向ける。その時になってシェリダンの理性は弾けた。立ち上がり震える足をもつれさせながら、跪く高官達の間をぬって兄の背に縋りつく。
「嫌です兄上!! 嘘だと仰ってください、悪い夢だと! どうか私も一緒に連れて帰って……」
幼子のように嫌だと繰り返して背にしがみつく弟の手を、兄は引きはがした。
「まもなく王妃となられる方が、例え兄であったとしても陛下以外の男にみだりに触れることは感心いたしません。シェリダン様、どうかお健やかに」
手を放されることはない。きっと兄は自分を連れて帰ってくれる。無意識の内にそう信じていたシェリダンは小さくなっていく兄の姿を茫然と見ていた。理解が、追いつかないのだ。
茫然と立ち尽くすシェリダンを立ち上がった高官達が取り囲む。決してシェリダンが逃げないように。
「シェリダンを連れて行き、夜になったらそなた達は集まれ。リオンはいつも通りに仕事に戻れ。いいな」
是と応えた高官達を一瞥して、アルフレッドは執務の為に部屋を後にした。未だ震えて立ち尽くすシェリダンを高官達は促す。
「さぁシェリダン様、参りましょう」
あまりの現実にシェリダンの頭がズキズキと痛み出す。ふらついたシェリダンを支えながら、彼らは城の奥にある王の私室近くの部屋へと足を進めた。
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