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黄海を泳ぐ③
樹々が視界に目立つようになってから、森の中に入るまでそう時間はかからなかった。蝉の声が凄く間近に聞こえているが、傍にいた時よりも耳障りではない。身体に余裕ができたからだろう。森の中は信じられないほどに冷んやりとして気持ちがいい。荒かった玻璃の息も、森の奥に行くに連れて段々と整ってきた。安堵の溜息を押し殺す。
いつしか俺に完全に引っ張られていた玻璃が俺の隣に並んで歩いていた。森の薄暗さの中でも先程より血色の良くなった肌が見て取れる。木漏れ日が彼に当たると万華鏡のようにきらきら輝いて見えた。
俺の隣を歩いているなら手を引く理由もないはずなのにどちらも手を離そうとはしない。
樹々の間を抜けた先に俺たちはようやく辿り着く。
息を呑む玻璃の大きな瞳に一面黄色い世界が反射して映り込む。
わぁ、と玻璃はビー玉が溢れるような声で言った。それは彼が溌剌としていた頃を取り戻したかのような声で、俺の心の中で氷がじんわりと溶けていくように幸福が広がる。
「本当にあった」
向日葵畑が見たいと言った。彼の目前に広がる世界。
玻璃は俺の顔を見る。
彼のこの顔を俺はずっとずっと見たかった。
「綺麗」
彼だけのためにある静謐な向日葵畑を、玻璃は黄色の大海を優雅に泳ぐ白い鯨のように割っていく。幼い頃に聞いた彼の無邪気な笑い声がこだまするように俺の耳に響いた。目を閉じてそっと耳を澄ませていたら、俺の名前を彼が呼ぶ。琥珀。
目を開けたら、一輪の向日葵を抱き締めた玻璃が、花々も敵わないほどの笑みを綻ばせて俺を見る。
「琥珀、ありがとう、大好き!」
引き寄せられるように彼の元へ歩み寄った。
差し込む西日に染まる彼の頬に、俺はそっと唇を寄せる。
終
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