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第5話
近づきすぎた顔を引き、いつもの声の調子に戻った薫が目を眇 め、こちらへ測るような視線を向けてくる。
「おまえは本能を感じたことがあるか?」
「…………いや」
「俺はあるよ」
いきなりの告白に、ぎょっと目を剥く。
「番を…見つけたの、か?」
「――そうだな。たぶん、そうだと思う」
園原か、と聞こうとして、だが、どうしても口が動かせなかった。
中二の夏の情景をなぜかこの時思い出した。
街路樹が濃い影を路面に落とす中、病院から無言で帰った。
蝉しぐれ。
肌にまとわりつく熱い大気。
照りつける太陽。
渇いた喉の痛み。
気遣わしげな母の視線。
自分の、――絶望。
全部が一緒くたになって、俺をあの運命の日へと引き戻そうとする。
「薫先輩」
廊下に、か細い声が響いた。
俺の後ろから現れた転校生は、薫を親しげに呼ぶと、するりとその横に収まった。
とても自然な流れと仕草だった。
――控えめで従順な動きは、園原だからなのか、それともΩだからか。
(Ω…って、俺もΩか…)
だが、同じΩでも、俺はそんな風に薫の隣に在 ったことは一度もない。
肩を並べていても、いつだってそれぞれが互いの足で立っていた。
(……どうしちまったんだ、俺は。そんな…比べても仕方のないことを比べるなんて)
バカバカしい。
ひどく馬鹿げている。
「紅茶が入ったので呼びに来ました。差し入れのお茶菓子もあるんですよ?」
そう言って、園原は薫を誘った。
薫の顔が笑みほころぶ。
……そんな表情は、見たことがなかった。
それで確信した。
(そいつが、おまえの番か、薫)
胸にぽっかり穴の空いたような喪失感があった。
親友が番を見つけた。めでたいことだ。祝福するべきだ。
――だが、やはり俺の口は動こうとしなかった。
二人は俺に挨拶もなく、連れ立って歩き出す。
生徒会室に向かうのだろう。
俺は祝福の代わりに、薫の背に別の言葉を投げかけた。
「薫。約束を覚えているか」
足を止め、生徒会長が怪訝そうに振り返る。
「約束?」
「――五年前の約束だ」
「なんだったかな…、ごめん、なんだったっけ?」
――そうか。
忘れたのか。
そうか――……、
「忘れたのなら、いい」
それなら、それで。
どの道、あと一年を切っている。
少し早いか、少し遅いかの、……それだけの違いだ。
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