5 / 7

第5話

 近づきすぎた顔を引き、いつもの声の調子に戻った薫が目を(すが)め、こちらへ測るような視線を向けてくる。 「おまえは本能を感じたことがあるか?」 「…………いや」 「俺はあるよ」  いきなりの告白に、ぎょっと目を剥く。 「番を…見つけたの、か?」 「――そうだな。たぶん、そうだと思う」  園原か、と聞こうとして、だが、どうしても口が動かせなかった。  中二の夏の情景をなぜかこの時思い出した。  街路樹が濃い影を路面に落とす中、病院から無言で帰った。  蝉しぐれ。  肌にまとわりつく熱い大気。  照りつける太陽。  渇いた喉の痛み。  気遣わしげな母の視線。  自分の、――絶望。  全部が一緒くたになって、俺をあの運命の日へと引き戻そうとする。 「薫先輩」  廊下に、か細い声が響いた。  俺の後ろから現れた転校生は、薫を親しげに呼ぶと、するりとその横に収まった。  とても自然な流れと仕草だった。  ――控えめで従順な動きは、園原だからなのか、それともΩだからか。 (Ω…って、俺もΩか…)  だが、同じΩでも、俺はそんな風に薫の隣に()ったことは一度もない。  肩を並べていても、いつだってそれぞれが互いの足で立っていた。 (……どうしちまったんだ、俺は。そんな…比べても仕方のないことを比べるなんて)  バカバカしい。  ひどく馬鹿げている。 「紅茶が入ったので呼びに来ました。差し入れのお茶菓子もあるんですよ?」  そう言って、園原は薫を誘った。  薫の顔が笑みほころぶ。  ……そんな表情は、見たことがなかった。  それで確信した。 (そいつが、おまえの番か、薫)  胸にぽっかり穴の空いたような喪失感があった。  親友が番を見つけた。めでたいことだ。祝福するべきだ。  ――だが、やはり俺の口は動こうとしなかった。  二人は俺に挨拶もなく、連れ立って歩き出す。  生徒会室に向かうのだろう。  俺は祝福の代わりに、薫の背に別の言葉を投げかけた。 「薫。約束を覚えているか」  足を止め、生徒会長が怪訝そうに振り返る。 「約束?」 「――五年前の約束だ」 「なんだったかな…、ごめん、なんだったっけ?」  ――そうか。  忘れたのか。  そうか――……、 「忘れたのなら、いい」  それなら、それで。  どの道、あと一年を切っている。  少し早いか、少し遅いかの、……それだけの違いだ。

ともだちにシェアしよう!