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訪問

「アペよ。もう何も言わないでいい。私達の元に、こうして来てくれただけで充分だ」   床に額を擦り付けるアペの頭を、そっと上げさせた。  後悔にまみれたその顔は、もう見ていられない程だった。  アペは私と同じアルファ性の男だった。だから恐らく抗えないフェロモンに巻き込まれるように発情期を迎えてしまったオメガのトカプチに触れてしまったのだろう。  私にも妻と出逢う前に、少なからずそういう時期があったから分かるのだ。ただ……私は幸い運命の番レタルとの出会いが早かったので、苦労は少なかった。  私の息子がオメガで、幼馴染の君がアルファだったとは因果なものだ。  そして運命は時に残酷だ。 「すいません、俺どうしても詫びたかったのと、それからおじさんとおばさんに伝えたいことがあって」 「何を?」 「トーチを訪ねてやって欲しいです。アイツきっと待ってます。トーチの両親に会いたい気持ちを伝えようと、あの狼がやって来たのではと思うのです」 「うむ、実は私達もそう思っていたのだ。それでアペはトーチの行方を知っているのか」 「……先ほど、狼と北の森へ帰って行きました」 「やはり!丁度そこに旅立つ準備をしていた所だ」 「良かった!さっきまで町を騒がせていた狼は……その……トーチの番です。あのっ俺、トーチにオレの飼っている乳牛を贈りたくて、どうか一緒に連れて行って下さい」 「乳牛……それは何故だ?」 「分かりません。でもそうしないといけない……そうしてやりたいんです。未開の地に生きるトーチに何か俺が出来ることはないかと必死に考えたら、頭にパッと浮かんだことで」  意味が分からなかったが、真剣な眼差しを受け取ることにした。 ****  深い森を、夫と二頭の牛と共に進んだ。  北へ北へと──  決して抜けてはならぬ吐く息も凍る大地がこの先にあると、ずっと言い伝えられていた。だが北へ続く森の小道は想像と、かけ離れていた。 「なんだか暑い位ね。夜中だというのに怖くないし、もっと暗くて寒い道を想像していたわ」 「あぁ全くだ。夜空に浮かぶ明るい月が進むべき道を照らしてくれるようだな」  本当に少しも寒くなんてなくて、むしろ希望の光で溢れていた。  道の両端には初夏の花が咲き乱れ、まるで楽園に続く道だわ。  でも……やっぱり少し怖い。 「どうした?レタル……不安そうな顔をして」 「ねぇ予定では夜明け過ぎに到着してしまうわね。もうすぐよね。その……頭では理解しているけど……あの小さかったトカプチが運命の番と巡り合って、仲良く暮らしているということでいいのよね?」 「あぁそのようだ。それも狼のな……」 「本当に狼なんですよね」 「うむ……しかも私達の集落で拷問を受け、完獣になってしまったと聞いている」 「惨いことになったわね。人間を恨んでいないかしら……私たちを受け入れてくれるかしら。そして私達はちゃんと受け入れられるかしら」 「それは……トカプチの選んだ道を、信じてやろう」  夫と確認しあうが、やはり不安だった。可愛いひとり息子のトカプチは失踪してしまう前の晩、まだ私に縋ってくるような子供だったから。    この半年間でどんな風になったのか。  すごく会いたいのに、少し怖い  そんな揺れ動く気持ちを持て余していた。  もうすぐ着くはずだわ。  鬱蒼とした森の木立の間隔が徐々に開き、その隙間から少しずつ青空が見えてくる。 「まぁ吐く息も凍るとは嘘だったの?何かの迷信だったの?ここの空気はなんて澄んでいるのかしら。それにほら、向こうには青々と茂る牧草地が見えるわ!あっ……あなた、見て!あれは……」  牧草地の向こうには池があって、朝日を反射してキラキラと水面が輝いていた。そしてそこに立つ二人の青年の姿を、私の眼は捉えたの。 「あれは……私の息子!トカプチよ!」  ようやく会えた嬉しさのあまり、勢い余って走り出そうとすると、サクに腕を引っ張られ止められた。 「レタル、ちょっと待て。少しふたりの様子を客観的に見ようじゃないか」 「あっそれも、そうね……」  提案を受け、私と夫は森の木立に隠れて、そっと様子を見守ることにした。すると池の水に背が高い男性が顔を映して驚いているようだった。 「あらぁ……完獣だなんて嘘ばかり。やだ……ずいぶん精悍でカッコいい男性ね。うちの集落ではお目にかかれないイケメンさんねぇ……それにあぁトカプチが笑っているわ。とても幸せそうに、笑っている……」  トカプチはその大柄の青年と見つめ合い、本当に幸せそうに笑っていた。私の心の蟠りも、つられて……どんどん溶けていく。  あの子の心からの笑顔、久しぶりだわ。  最近……他人には全然見せてなかった。乳の秘密がバレないように、そればかり気にして、ぎこちない笑みしか浮かべなくなっていたのに。  すると突然、その男性がトカプチを草原に押し倒した。  悲鳴は上がらないので同意の上のよう。でも背の高い草に隠れて、ふたりの姿が見えなくなってしまったわ。背伸びしても見えない!もっと見たいのに。 「まぁ!どうしましょう!見えないわ」 「うむ……もう少し近寄ってみよう」 「えぇ!そうしましょう」      

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