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息子
池に映った自分の顔を見て、驚いた。
「これがオレなのか!信じられない……だって、これは人の顔だ!」
水面に揺れる自分の顔を目を凝らして何度も何度も確かめた。それから手で顔に直に触れてみた。特に口元を……唇……舌と順番に確かめると、本当に……トカプチと同じ唇になっていることが分かった。そのことは飛び上がるほど嬉しかった。
ついに獣の口では叶わない繊細な動きを手に入れた。
俺が昨夜トカプチに相応しい男になりたいと願ったことがついに叶ったのか。いや違う。これは全てトカプチのお陰だ。半獣のオレを受け入れ、子まで産んでくれ……怒り狂い完獣となってしまったオレのことまでも、その細くて小さな躰で全て受け留めてくれたからだ。
俺にすべてを委ね、許し……俺が抱けば……白魚のように跳ねる華奢な躰が愛おしい。
トカプチの信頼と愛が、オレの躰に奇跡を生んだのだ。
俺の呪いは、完全に解けた。
そう確信した。
だから躰がこんなにも変化した。
トカプチと番になってからずっと、オレの躰は自分のものであって、同時にトカプチのものでもあるような、そんな気分だった。
こんなにも愛おしい人が傍にいてくれるなんて信じられない……喜びが泉のように湧き出て来る。
なんだかホッとしたせいか猛烈に腹が減り、我慢できずに、トカプチを草むらに押し倒し、そのまま胸に吸い付いてみた。いつもより舌先が細かく動くことに感動して、わざと焦らすようにぷっくり尖っていく淡い色の乳首を追い求めた。
オレの唇は柔らかくなったので、もうトカプチを傷つけることはない。どんなに気をつけていても、抱いた後、彼の躰に細かい傷が出来るのが辛かった。
大切にしてあげたい躰なのに……
だからつい余計に執拗に弄ってしまった。舌を乳首に絡めて絞り出すように扱けば、ジュッジュッと白い乳が迸った。
「うあっ……うっ……あっ」
「あぁ……美味しい」
甘く濃厚なミルクの味わいを喉奥に感じ深く陶酔してしまう。ふと横を見ると、小さなトイも負けずに懸命に乳を吸っているではないか。小さくあどけない口を精一杯開き吸い付く様子に、トカプチの乳は尊い……オレとトイの命を支えていると改めて感動した。そしてトカプチから乳をもらうだけではなく、俺の精液がトカプチの生きる糧になっていることが嬉しかった。
もう奪うだけでないのだ。
ずっと腹を空かせていた。
ずっと人の食べ物を奪う人生だった。
だがトカプチと出逢い、初めて分かち合える、供給しあえることを知った。
需要と供給が一致しているオレたちの相性は、抜群だった。そして供給しあえるものは、食べ物だけでないことも教えてもらった。
愛情 ──
トカプチがオレを信頼して、どんな姿になっても受け入れてくれることに、無償の愛の存在をひしひしと感じた。それからオレの心が獣以上の化け物になりかけた時に、正気に戻してくれたのも彼だった。
身を挺してオレを呼び、求めてくれた。
オレ達の息子のトイの存在も愛おしい。
トイが求める親への愛を、ふたりで与えていけることの喜び……供給しあえることの喜び。
「ロウっもういいだろ!変な触り方すんな!授乳なんだから」
オレの触り方がエロかったのか、組み敷いたトカプチが目元を赤く染めて必死に訴えてくる。小さな拳でドンドンと胸元を叩く仕草も可愛くて、オレが満ちたのと同じ気持ちにさせてやりたくなり、熱心にアレを……勧めてやった。
「さぁ、飲め」
最初は抵抗していたトカプチだか誘惑に負け、口をあーんと大きく開けたので、そこにたっぷりと愛を注いでやった。眼を閉じてとても美味しそうに味わってくれる……その表情にオレも満たされる。
ところが次の瞬間……大変なことが起きた。
草むらから突如現れたのは、中年の人間の女性だった。
「トカプチ!無事なの?」
「えっ……母さん!?」
その女性は驚いたことにトカプチの母親で、そのまま彼をぎゅっと抱きしめたので、呆気に取られてしまった。
オレは……何故かここに居てはいけない気がして、トイを抱っこし草むらの陰に逃げ込むように退いてしまった。
そうだ……母とはこういうものだ。
オレは知っている。
オレの母も……ガリガリに痩せていたが、天に召される瞬間までオレを温めようと、その胸にしっかりと抱いてくれていた。
(母さん……母さんの胸は温かいな。ごめんね。オレがこんな姿で生まれたから、父さんを失い……母さんにも寂しい思いをさせちゃって)
幼心にも理解していた。オレのせいで家族が群れから追放され、こんな生き方をしていると……
(ロウ、あなたが中途半端な姿で産まれたのには、きっと訳があるのよ。いつかちゃんと理由が見つかるら、どうか諦めないで。お願い、生き続けて。生きていれば何かを変えられる!先に逝くこと許してね。でも……ずっと見守っている。空から父さんと一緒に見守っている。ロウの幸せを)
どんどん冷たくなっていく母の躰にしがみついて泣いた。
モフモフの母の毛は冷たく凍り、同時に……オレの躰も凍ってしまった。オーロラ色の毛の輝きは凍ることで更に美しく見えたが、心はガチガチに固まった。
母を失い……それからは荒れ狂う日々だった。
でも……トカプチとの出会いが全てを塗り替えてくれた。オレが一人で生きて来た意味を見つけられた。オレの凍った躰も心も、凍える地すらも……何もかも溶かしてくれたのだ。
愛情という熱を、暖かな日差しを注いでくれた。
そんなトカプチが母親に幼子のように抱かれている姿を見て、急に胸がぎゅっと苦しくなった。彼はまだ十六歳で、こんなにも両親に愛されている大切な存在なのだ。
そんな息子を奪ったのはオレだ。だから……このままトイと二人でどこかに消えた方がいいのではと思ってしまった。それ程までに母の胸に抱かれるトカプチはあどけなく無垢に見えた。
一歩……また一歩。足がじりじりと後退していく。
トイを俺に授けてくれただけでも感謝しないと……トカプチはオレといるよりも両親と共に故郷に帰る方がいいんじゃないか。そんな考えが頭にこびりついて離れない。
もう行こう……もう去ろう!
そう決心した時、トカプチに大声で呼ばれた。
「ロウ……ロウどこだ?ここに来てくれ。お前を両親に紹介したい!」
信じられないことにトカプチがオレを呼んでくれた……探してくれた。
「……トカプチ」
彼と草の隙間から目が合うと、優しく力強く頷いてくれた。
「大丈夫だ。ちゃんと分かってもらえる。俺の父さんと母さんなのだから、心配するな。さぁこっちに……俺と一緒に帰ろう」
その一言に救われた。
オレは何を考えていたのか。こんなオレを選んでくれたトカプチを置いていこうとするなんて、大バカ者だ。
トカプチはオレありきで全てを考えてくれているのに。
トカプチの両親とオレ達の家で話すことになり、ゆっくりと歩き出した。だが、オレの足取りは緊張でかなり重かった。
トカプチと母親が楽しそうに笑顔で話す様子をそっと見守りながら、トイを抱っこし後ろからノロノロと付いていった。するとトカプチの父親が、オレと歩幅を合わせ、肩を並べてくれた。あぁこの人がトカプチのお父さんなのか……見れば見る程、凛々しくてカッコいい人だ。
「ロウ……町の若者が手荒な真似をしてすまなかった。まだ傷は痛むか」
「いえ……トカプチが手当てしてくれたので大丈夫です」
「そうか、良かったよ。それで……突然だが、私が君の父親になってもいいかな」
「えっ……それは、どういうことですか」
「つまり……君は息子の番という立場なのだろう。だったら君のことも、私の息子と捉えていいと思ってね。何か不都合でも?」
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