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第7話

◇◇ 教会で見た青年に心惹かれた、ある嵐の日。 それ以来、何度となく下界に降りてきては、この教会に通うようになった。 来る日も来る日も、教徒のために、あるいは自身の母のために、青年は祈っていた。 調べてみると、青年はジョセフ・ベーカーという名で神父をしていることが分かった。 父がおらず、残された母は病弱で、常に床に伏しているということも知った。 「…どうか母をお救いください。あなたのお力を、お貸しください」 祭壇の前で膝をついて祈る青年の瞳から、はらはらと涙が零れ落ちる。 (…綺麗だな) ーーいつからだろう。 彼に触れてみたいと、思うようになったのは。 教徒の前では、柔らかな慈愛に満ちた目で祈っている。けれど一度仮面を剥がせば、糸のように細くて、繊細で。少しつついたらぷつりと切れてしまいそうな危ういバランスの中で、必死にもがいている。 本当は弱くて脆いのに、誰にも頼ろうとせず、強がっている。 「…母をお助け下さい、お願いします、母をお救い下さい…」 (…もどかしい) こんなに近くにいるのに、触れられない。 声は聞こえるのに、話せない。 その憂いを帯びた深い緑の瞳は、こちらに向けられることはない。 ーーいっそ、天使なんて辞めてしまおうか。 もしも俺がこの地位を捨てたなら、彼と対等にまで堕ちることが出来るだろうか。 いやきっと対等どころでなく、魔界の果ての果てに堕とされるだろう。勿論、天界にはもう二度と戻れなくなる。この美しい純白の羽だって、失うだろう。 けれど、今の自分には、それでもいいと思えた。彼の瞳に、俺を写すことが出来るのならーーこの羽など、捨ててやる。 「……神父サン、こんにちは」 は、っと弾かれたように、青年がこちらを見上げる。 その緑の瞳がこちらに向けられた時、何とも言い難い高揚感が身を包んだ。 同時に、気付く。 自分はーー彼に、恋をしたんだと。 「…君は?」 「アル。…悪魔だ。あんたと取引をしにきた」 「取引…?」 呆然とする青年の前で、ふわりと羽を広げ、床にとすんと降り立つ。 衝撃で、ふわりと闇のように黒い羽が散った。 「…あんたの母を、助けてやってもいい」 「なぜ、…それを」 「悪魔だからね。何でも知っているのさ」 警戒する青年に、一歩詰め寄る。 青年はすうっと目を細めると、見透かすような視線を寄越した。 「…悪魔、だと言ったな。確かに、お前はこの世の者ではないようだ。…それで、何が望みなんだ。取引というからには、対価を払わねばならないのだろう」 「…勿論」 青年の右手を掬い上げる。 突然触られたことに驚いたのか、青年はびくりと身体を震わせ、警戒の色を一層濃くする。 「……代わりに、あんたの身体が欲しい」 「は…?何を言っている」 「分からないか?…こういうことだよ」 青年の手を引き、身体を引き寄せる。 不意を突かれたのか、青年ははっと顔を引き攣らせた。 僅か、大きな瞳と視線が交錯する。どくんと心臓が跳ねた。 ずっと憧れていた人。彼が今、自分の目の前にいる。 どくどくとうるさい心臓を抑えて、青年に顔を近づける。 そして、一気にーー唇を奪った。 「…っ!」 胸に衝撃を感じた。 よろめき、後ろに一歩後退する。 顔を上げると、手の甲で唇を拭い、嫌悪に顔を歪める青年がいた。 「……なるほど。私の身体が欲しいというのは、そういうことか」 「ああ。…どう?悪くない取引だと思うけど」 「……有り得ない。仮にも神父の私が、悪魔と取引するなど」 そう吐き捨てた青年に、畳み掛けるように言う。 「言っておくが、このままほっておけば死ぬのは時間の問題だぜ。あの魂の弱りかたじゃ、そこら辺の医者にかかったところで、手遅れだろうな」 「……っ」 青年が、苦虫を噛み潰したような表情になる。 「助かる方法は一つ。…俺と取引することだ」 青年の瞳が、惑うように揺れる。 「…本当に、助けてくれるのか」 その問いに、こくりと頷く。 青年はたっぷりの間の後、唇を噛み、決心したように首を縦に振った。 「……分かった。お前と、取引しよう」

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