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第4話
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激しい風が窓を揺らした。
初秋とはいえ、ここ数か月乾いた風が吹いていた。
雨が降らない日が続き、今年の農作物は昨年の七割にも満たないだろうと、近所の農夫は嘆いているらしい。
「恒星、この国はどうなってしまうのかな?」
柘植の櫛で髪を梳いてくれている恒星に、鏡台越しに訊ねた。
「そうですね。私もこのようなひどい干ばつを経験したことがないので、わかりかねます」
困ったように微笑んだ恒星に、「……だよね」とソラも呟く。
儀晃の魁が弱まっているのは明白だった。
闇獣国はここ数年、目に見えて荒廃が進んでいる。
三年前にはひどい疫病が流行り、女性や子どもを含む多くの者が亡くなった。
病床からではあるが、儀晃も体調を鑑みつつ、政治は行っている。けれども彼自身の魁が弱まっているので、どんなに善政を敷いても、天候や風を操ることができないのだ。
夜の身支度を終え、恒星に見守られながら布団に入った時だった。
「ソ、ソラ様! 恒星様! お起きください! 寺院が……寺院が……っ」
「どうしたのです? そんなに慌てて!」
部屋に駆け込んできた宦官を窘めるように恒星が問うと、開けられた扉の向こうからひどく焦げ臭い匂いがした。
「寺院が燃えております! 今すぐお逃げください!」
「寺院が!?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
しかし呆然としていると、恒星に強い力で腕を掴まれ、布団から引っ張り出された。
「うっ……」
けれども空気が乾いていたせいか。部屋を飛び出した時には、もう寺院側の廊下は火に包まれていた。
「今すぐ儀晃様に伝書竜を飛ばしなさい! この現状をお伝えして、火事を食い止めてもらうのです!」
叫んだ恒星の言葉に、宦官が走り出した。
ソラたちも彼のあとを追うように駆け出すと、もうすぐ裏口というところで、ごうっとものすごい轟音を上げ、熱風が巻き起こった。
火の粉が眼前を舞い、火傷しそうな熱風がソラを襲う。
両腕で顔を覆いながら、なんとか目を開き、前方を見ると、恒星が倒れた柱の下敷きになっていた。
「恒星! 恒星!」
ソラはなんとか柱を退かそうとした。
しかし柱の内部も燃えているのか。とてつもなく熱く、重く、非力なソラ一人ではどうすることもできなかった。
ならばと今度は恒星の腕を必死に引っ張ったが、彼の身体はぴくりとも動かず、柱に圧し潰されていることがわかった。
「いやだよ、恒星……」
恐ろしい現実がソラの脳裏を過って、鼓動が歪に逸り出した。
「恒星、恒星っ!」
口を開けるたびに、高温の空気が喉を焼いた。それでもソラは師だった恒星の名を呼び続けた。
「いやだ、いやだいやだいやだ! お願いです! 獣人神様っ! 恒星をお助けくださいっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、天に向かって叫んだ時だ。
炎の中に咆哮が響き、真朱の狼が現れた。
狼といっても、ただの狼ではない。
体長は十尺以上ありそうな巨体で、深緋の瞳でソラを見つめていた。
「お……狼……属?」
しかも立派な体躯は、王族級のものだ。『聖狼』といわれる最高位の狼だろう。
その毛並みは燃え盛る炎の中でも美しく、むしろ輝いている。
瞳は野性的で眼光鋭く、敵意を向けられているのか、情があるのかすらわからない。
しかし次の瞬間、聖狼は一瞬で寺院があった場所からここまで跳んでくると、身体の底から響く重低音で言った。
「ここにはそなた一人か?」
「い、いいえ! 宦官である恒星も……」
「ここにはそなた一人しかいないな?」
念を押すように再び訊かれ、大きくソラは頭を振った。
「いいえ、いいえっ! ここには二人おります!」
「そなたもわかっているのだろう? その者が命尽きていることを」
「…………っ」
俯き、ぼた雪のような涙を流しながら、ソラは血が滲むほど強く唇を噛んだ。
確かに掴んだ恒星の腕はどんどん冷え、重たい肉の塊となりつつあった。
その時、俯くソラは突然狼に咥えられ、恒星から引き離された。そして放り投げるように、背中に乗せられる。
「しっかり掴まっていろ。我が『運命の番』」
「え……?」
低く身体に響く彼の言葉が理解できなかった。と同時に彼の毛並みから漂った香りに、全身が雷に打たれたように反応する。
(こ、これは……?)
どくん! と大きく心臓が一つ鳴った。
すると鼓動はみるみる速まり、それに呼応するように、身体も芯から火照ってくる。
(何? 一体何が起きたの!?)
整理がつかない思考と、暴走しそうな本能。
激しく混乱しながらも、ソラは自分を酔わせる彼にぎゅっと抱きついた。
すると聖狼は高く飛び上がり、燃え落ちた天井から一瞬にして外に出た。
刹那、がらがらがらっと轟音を立てて寺院が崩れ落ちる。
「恒星……みんな……」
涙が止まらず、柔らかな聖狼の毛に顔を埋め、ソラは声を上げて泣いた。
自分の育った場所。
そして、思い出がたくさん詰まった家。
男性的な聖狼の香りを吸い込むたびに、ソラの意識はくらくらと酩酊し、恒星と寺院を失った衝撃から、力尽きるように意識を手放したのだった。
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