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第6話

「ソラ様」  その時、闇獣城からの使いだという宦官が訪れ、頭を低く垂れながら兵士とともに入ってきた。 「このたびは寺院が大変なことになり……お身体の自由が利かない国王様に代わり、お迎えに参りました」 「迎えに……ですか?」 「はい。ソラ様は国王様の許嫁でございます。十八歳におなりあそばしたからには、寺院の再建を待つことは不要。今すぐ闇獣城へお連れするよう仰せつかっております」 「そうですか……」  きっと伝書竜が城に着き、すぐさま迎えを寄こしたのだろう。宦官は公人に会う服装ではなく、平素城の中で過ごすような簡易の深衣を身に纏っていた。 (これは当然のこと。仕方のないことなんだから……) 『運命の番』に出会えた嬉しさを噛みしめるには、全然時間が足りなかった。しかしソラは、一度だけ……と稜光の手を握ると、ゆっくり腰を上げた。  彼の手はとても温かかった。  大きかった。  硬かった。  この感触を一生忘れないよう、ソラがぐっと手を握り込んだ時だった。 「この者を、闇獣城へ行かせるわけにはいかぬ」 「えっ?」  その場にいた者が皆、立ち上がった稜光の言葉に目を瞠った。 「こ……これはこれは、焔獣王稜光様。ソラ様をお助けいただき、本当にありがとうございました。お礼は後日盛大に……」 「そうじゃない」  冷や汗をかき、慌てて言葉を続けた宦官に、稜光は大きなため息をついた。 「この者は今、心に傷を負っている。それは目に見えないが、大きな傷だ。何せともに暮らしてきた者たちを失ったのだからな」 「はぁ……」  宦官は、何を言われているのかわからないといったふうに、稜光を見た。 「よってソラは負傷者も同じ。ここにいる者の傷が癒えるまで、焔獣国が責任を持つという協定通り、心の傷が癒えるまでソラの面倒は俺が見よう」 「な、なんと! 稜光様直々に、他国の聖なる銅珠の面倒を見るなど……どういう意味かおわかりですか?」 「もちろんだ。理解している」  顔色を変えた宦官に、稜光は真っ直ぐ視線を送った。  それは何かを覚悟しているようにも見えた。 「儀晃にもそう伝えてくれ」 「か……かしこまりました」  ごくりと唾を飲み込んだ宦官の顔色は、青を通り越して白くなっていた。  この状況に、ソラはおろおろするしかなかった。 (一体どうしたんだろう? 僕はここにいてもいいのかな?)  戸惑っているうちに宦官は再び深く頭を下げると、兵士とともに出ていってしまった。 「な、何が起きたのですか?」  突っ立ったまま稜光に訊ねると、ふいにソラは腕を引っ張られた。 「うわっ……!」 「そなたは何も心配することはない。絶対に俺が守ってみせる」 (稜光様が……僕を、守る?)  言葉の意味もわからないまま、ソラはただおとなしく抱かれていた。  心臓がとくとくとく……と小走りになる。  鍛えられた胸の感触に頬を赤らめつつ、それでも彼から離れたくないと願う自分がいた。  出会って間もないのに、永遠に離れたくないという自分が――。  その時だ。 「あぁっ……!」  ソラの身体に、突然異変が起きた。 「な、何……これ……っ」  感じたことのない重たい熱が、身体の奥底で次々生まれる。  全身がずくんっずくんっと脈打って、肌がぴりりと過敏になった。 「あ……あぁ……」  喉が渇いているわけではないのに、腹の底からえも言われぬ渇望感が湧き出して、真紅の首輪に手を当てた。 「どうした? どうしたんだ、ソラ!」  突然の変化に、稜光も驚いているようだった。  しかし彼を気遣うこともできないほどの劣情が、脳を……そして下半身を襲い、稜光から逃げるように、ソラはよろよろと天幕の隅へ身体を寄せた。 「だめです……来ないで……っ!」 「そなた……もしかして、発情期が来たのか?」 「発、情期?」 「あぁ、香りが変わった。こんなにも妖艶で甘い香りは、嗅いだことがない」 「甘い……香り……」  それはさっきから自分も感じていた。  まるで花の蜜を思わせるような甘い体臭を、自分でも嗅いだことがない。  しかも香りに呼応するように稜光の目が欲情にぎらつき出し、そのぎらつきを怖いと思う前に、全身で受けとめたいと思ってしまった。 「いかがなさいましたか!?」  ソラの叫びを聞いたのか。数名の兵士が甲冑音を響かせて入ってきた。 「なんでもない。お前たちは下がっていろ」 「はっ」  片手で兵士を制し、稜光が傍らに跪いた。  触れてくる彼の指から逃れようとしたが、やすやすと抱き上げられてしまう。 「これより何人たりともこの天幕に通すな……たとえ、他国の王であってもな」  稜光の言葉に兵士たちは出ていくと、丁寧に天幕の入り口を閉めた。 「稜光……様……?」  布に擦れても反応してしまう身体を、ゆっくりと布団の上に下ろされた。  冷たい絹の感触にほっとしたものの、突然着物の帯を解かれ、ソラは驚いて稜光の手を掴む。 「な、何をなさるのですか!?」 「これからそなたを抱く」 「え……っ?」  彼の言葉に、一瞬思考が停止した。  しかしすぐに我を取り戻すと、ソラは着物を脱がそうとする手を必死に制した。 「いけません!」 「なぜ?」 「な、なぜって……僕は儀晃様の……っ」 「その渇き、俺にしか癒せないぞ?」 「!?」  渇きがあるなどと一言も発していないのに、稜光はソラの心を読んだかのように言った。 「その渇きは儀晃では癒せない」 「どうして、そうおっしゃるのですか?」 「俺の中にも同じ渇きがあるからだ。この渇きは、そなたにしか癒せない」 「稜光様……」  真摯な瞳で見つめられ、彼を掴んでいた手からするすると力が抜けた。  互いにしかわからない香り。  互いにしかわからない渇き。  そして、互いにしかわからない愛おしさ。 (あぁ……これが『運命の番』なんだ)  組み木細工のからくり箱がすっと嵌るように、混乱していたソラの心が一つに纏まった。 (僕は、この人が好きなんだ)  出会ったばかりだというのに、これが本当の恋なのだと本能が教えてくれた。  心が、身体が、全身が彼を欲していた。  もう、ソラの中に迷いはなかった。

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