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第10話
「三年前──僕は恋人を失くしたんだ」
初めて聞く、桐谷さんの過去。
「雨の日の夜でね。バイクのスリップ事故だった……。あまりに突然のことでね。つい数分前まで“また明日なー”なんて話して別れて直ぐのことだった。あの日、彼を帰したりしなければ事故は起こらなかったかもしれないって思うと悔まれて……」
桐谷さんがそのときのことを思い出したのか、一瞬声を詰まらせた。
「雨の日は、怖くて……何度も夢を見て目が覚めるんだ。しばらくの間は隣に誰かいないと眠ることもできなかった。最初に彬文に拾ってもらったときは、誰でも良かったんだ。雨の日の夜、僕といっしょに居てくれる人なら誰でも──」
俺は黙って桐谷さんの話を聞いていた。
店でただ彼の姿を見つめているだけの頃から気になっていた彼の纏う何かを抱えているような暗い影。
愛する人をこの世から失うということ。俺はまだ誰か身近な人の死に直面したこともなく、そこまでの悲しみを体験したことはない。けれど、想像はできる。彼がこれほどまでに大きな傷を抱えていたなんて──。
「誰も好きにならなければ、誰も失わずにすむのかな、って。だから……身体だけでいいって」
そう言った彼が組んだ手をぎゅっと握った。
「でも……彬文との関係が続けば続くほど、だんだん怖くなってきてね。好きになったら、傍に置いたらまた同じようにきみを失うんじゃないかって……」
約束はくれない。気持ちもくれない。
雨の日だけの、かりそめの恋人。
でも、もしかしたらそれが、彼なりの不器用な愛し方だったのかもしれない。
「離れてみて、分かったよ。僕はきみに守られていたんだって──。彬文が傍に居れば、どんな雨の夜だって安心して眠れた。他の誰かじゃダメなんだってことに気づいた」
そう言った桐谷さんはそのまま俯いてしまった。
「ほんと、最低だよね、僕は」
呟くように言った桐谷さんの頬に俺はそっと指を這わせた。
「そうだね。最低だ」
どんなに想ってもそれには応えてくれなくて。
雨の日、っていう条件のもと、気まぐれに会いに来ては、俺を優しく抱いて、会うたび夢中にさせて。
「でもね、桐谷さん。俺はそれでもよかったんだよ。いくら酷いことされても、嫌いになんてなれなかった。……もちろん、いまも」
忘れられなかった。時間が経てば経つほど会いたい思いが募った。
ことあるごとにあなたを想って、枕を涙で濡らした。
別れてからは、まるでモノクロの世界にいるようだった。何をしていても誰といても、どこか現実味がなくて、生きているって実感が薄れていた。
「俺は初めて会ったときからずっと、桐谷さんが好きだよ……」
「僕もだ」
「ちゃんと、言ってよ。言葉で」
「僕も好きだよ──彬文が、大好きだよ」
ずっとずっと欲しいと願っていたその言葉は、俺のすべてを蕩けさせた。
「ごめん。やり直していい?」
「え?」
「今夜はじっくりゆっくり彬文を抱きたい……」
ちゅっと額に桐谷さんの唇が触れ、その湿った優しい感触が瞼に、頬に、首筋に、鎖骨に降って来る。
「じゃあ、うんと甘やかして欲しいな」
一方通行でない、桐谷さんからの愛を確かめたい。
「そんなの簡単だ。いくらだって甘やかしてあげるよ。彬文にハマり過ぎないようにってこれまでかなりセーブしてた分まで」
「え、なにそれ」
ああ、なんだか幸せ過ぎて涙が出る。
好きな人が自分を好きだと言ってくれる。絶対振り向いてはくれない人だと思っていた人が、俺を好きだといってくれている。
こんな幸せなことって、他にあるだろうか。
「僕、恋人を甘やかすのは得意なんだよ」
「嘘だ。エッチのとき意地悪だったもん、桐谷さん」
「それは、彬文が可愛い反応するからだよ」
初めて見る、桐谷さんのこんな顔。俺を見つめ、とても愛おしそうに微笑む。ただそれだけで世界が色づいていく。
「……彬文、気持ちいい?」
「うん。もっといっぱいキスして。もっといっぱい触って。離れてた時間取り戻せるくらい……」
まだ雨は降り続いている。
こんな雨の夜だから、俺があなたのそばにいる。
こんな雨の夜だから、俺があなたを守ってあげる。
こんな雨の夜だから、俺を朝まで抱きしめて。
そうして、少しずつでいい。つらい過去を雨と共に洗い流してしまえたら。
明日になったら、きっと晴れ間が見える。
雨が止んだら、これからは俺の隣でいつまでも笑ってて──。
-end-
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