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第5話
「君の気持ちが気持ち悪い訳じゃない。俺は妻以外、愛せそうにないんだ」
ハッとした大久保君の顔は……泣き出しそうだと思うぐらい歪められていた。
「奥さん…そうですか……結婚なさってたんですね…すみません。勝手に独身だと思ってしまっていて……今夜の事は忘れて下さい」
傘を差し出した手を無視して、背中を向け歩き出した…がすぐに腕を掴まれた。
「返してくれなくていいので、傘……持っていって下さい……風邪なんてひかせられません」
「そんなにやわじゃないさ」
「……そうは見えません」
どこからか……桜の花びらが舞ってきて……真っ直ぐに俺を見る大久保君の唇に張り付いた。
桜はもう、とうに散り終わったと思ったのに……。
「……桜」
手離すなと……言っているのか?
目印の様に張り付いた花びらをそっと指でなぞった。
「……鷹野さん!!」
「大久保君……どうした?」
いきなり……強く抱きしめられた。
「どうしたじゃないです……そんな顔して泣かないで下さい。帰したくなくなる」
「俺……泣いてる?」
頬に触れると指先が濡れた。
「……桜は……彼女なんだ…」
「……桜が彼女?」
当然、大久保君は不思議そうな視線を投げてくる。
「桜は妻の墓標だ」
妻がまだ生きていた頃、祖父の墓で親族が揉めた事があった。
俺達2人の墓はどうするか会話になった時、彼女は合同の樹木葬が良いと言った。
賑やかな方が良い、桜を見て時々思い出して貰えたら良い。
彼女の願い通り……彼女は今、桜の木の下に眠っている。
俺にとって桜は彼女そのもの……。
花びらが……彼女が俺の道行きを指し示してくれている様な気がした。
こんこんと、とめどなく流れる涙を大久保君の指が拭う。
「鷹野さん……」
小さな傘の下……4年振りに人の熱が口内に広がった。
・・・・・
「奥さん……亡くなっていたんですね」
並んで歩いて……折り畳み傘は男2人には窮屈で、2人の肩を雨が濡らしていく。
「もう4年も経つのに未練がましい事だろ。忘れなきゃとは思うんだけどな」
妻の親ですら、もう忘れて幸せを探せと言う。
「無理に忘れる必要はないと思います……忘れられるものでもないと思いますし……」
「……君も忘れろと言うのかと思ってた」
俺の事を好きだと言うのなら尚更……。
妻を亡くしてすぐに女性に告白された事もあった……その子は『奥さんの代わりにしてください』と言った。
代わりなんていないし……代わりなんていらない。
シトシトと降る雨が音を吸収しているような静寂の中……家の前まで着いた。
「大久保君、良かったら飲み直さないか?」
大久保君の持っていたレジ袋を指差した。
「……良いんですか?」
「久々に……もう少し飲みたい気分になった……付き合って貰えないかな?」
少し躊躇して……大久保君の首が縦に振られた。
濡れた体では冷えてしまう、シャワーを浴びてもらっている間に大久保君の買ってきてくれたビールや惣菜を並べる。
1つのロールケーキ。
思わず笑みが出て……仏壇へと供えた。
君は……怒るかな?
君を裏切ろうとしている俺を許してはくれないかもしれない。
弱い俺でごめん……ごめんよ。
そっと妻の遺影を伏せた。
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