5 / 8

第5話

「君の気持ちが気持ち悪い訳じゃない。俺は妻以外、愛せそうにないんだ」 ハッとした大久保君の顔は……泣き出しそうだと思うぐらい歪められていた。 「奥さん…そうですか……結婚なさってたんですね…すみません。勝手に独身だと思ってしまっていて……今夜の事は忘れて下さい」 傘を差し出した手を無視して、背中を向け歩き出した…がすぐに腕を掴まれた。 「返してくれなくていいので、傘……持っていって下さい……風邪なんてひかせられません」 「そんなにやわじゃないさ」 「……そうは見えません」 どこからか……桜の花びらが舞ってきて……真っ直ぐに俺を見る大久保君の唇に張り付いた。 桜はもう、とうに散り終わったと思ったのに……。 「……桜」 手離すなと……言っているのか? 目印の様に張り付いた花びらをそっと指でなぞった。 「……鷹野さん!!」 「大久保君……どうした?」 いきなり……強く抱きしめられた。 「どうしたじゃないです……そんな顔して泣かないで下さい。帰したくなくなる」 「俺……泣いてる?」 頬に触れると指先が濡れた。 「……桜は……彼女なんだ…」 「……桜が彼女?」 当然、大久保君は不思議そうな視線を投げてくる。 「桜は妻の墓標だ」 妻がまだ生きていた頃、祖父の墓で親族が揉めた事があった。 俺達2人の墓はどうするか会話になった時、彼女は合同の樹木葬が良いと言った。 賑やかな方が良い、桜を見て時々思い出して貰えたら良い。 彼女の願い通り……彼女は今、桜の木の下に眠っている。 俺にとって桜は彼女そのもの……。 花びらが……彼女が俺の道行きを指し示してくれている様な気がした。 こんこんと、とめどなく流れる涙を大久保君の指が拭う。 「鷹野さん……」 小さな傘の下……4年振りに人の熱が口内に広がった。 ・・・・・ 「奥さん……亡くなっていたんですね」 並んで歩いて……折り畳み傘は男2人には窮屈で、2人の肩を雨が濡らしていく。 「もう4年も経つのに未練がましい事だろ。忘れなきゃとは思うんだけどな」 妻の親ですら、もう忘れて幸せを探せと言う。 「無理に忘れる必要はないと思います……忘れられるものでもないと思いますし……」 「……君も忘れろと言うのかと思ってた」 俺の事を好きだと言うのなら尚更……。 妻を亡くしてすぐに女性に告白された事もあった……その子は『奥さんの代わりにしてください』と言った。 代わりなんていないし……代わりなんていらない。 シトシトと降る雨が音を吸収しているような静寂の中……家の前まで着いた。 「大久保君、良かったら飲み直さないか?」 大久保君の持っていたレジ袋を指差した。 「……良いんですか?」 「久々に……もう少し飲みたい気分になった……付き合って貰えないかな?」 少し躊躇して……大久保君の首が縦に振られた。 濡れた体では冷えてしまう、シャワーを浴びてもらっている間に大久保君の買ってきてくれたビールや惣菜を並べる。 1つのロールケーキ。 思わず笑みが出て……仏壇へと供えた。 君は……怒るかな? 君を裏切ろうとしている俺を許してはくれないかもしれない。 弱い俺でごめん……ごめんよ。 そっと妻の遺影を伏せた。

ともだちにシェアしよう!