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第9話

この春、秋青が就職したデザイン事務所は、『草原の砂』の表紙絵を担当してくれたところだ。 悪くない、と思う。他の小説でも何度か世話になったことがあるし、小さいが勢いも実績もある。 でも、と慶一は思うのだ。 再び絵を描こうと芸術の世界に戻ってからの秋青は、若さとか勢いとか、そんな羨望や嫉妬を含んだ野次すら黙らせられるほど、凄まじかった。 出品した賞という賞は総なめ、一年近くも休学していた事実はまったく足枷にならず、在学中から声がかかった大手のデザイン事務所も一つや二つではない。 けれども、そのすべてを秋青は断って、十分に実力があるにもかかわらずフリーの道も捨て、きっちり面接を受けて今の事務所に就職した。 いつか自分の書いた小説の装丁を。慶一からすればちっぽけに思えるような夢を叶えるためにどうしても、あの装丁を手掛けた人たちと一緒に仕事をしたいと言って。 絵の世界に戻って来られたのは、慶一のおかげだと言ってくれたこと。自分の書いた小説の装丁を手掛けるのが夢だと言ってくれたこと。今、自分の一番近くにいてくれること。本音を言えば、そのすべてが素直に嬉しかった。 けれども、初めて秋青の個展を見に行って、その作品に直に触れたとき。なぜだか知らず、頬を伝う涙を人知れず拭いながら、秋青の才能は自分なんかに浪費していいものではないと、思ってしまったのだ。 慶一は、その人のすべての努力を無に帰すような“才能”という言葉があまり好きではない。けれども秋青の絵を見た慶一には、その言葉がすんなりと浮かんでしまった。 センスも感性も技術も表現力も、きっと秋青がこれまで、血みどろの努力をして培ってきたもの。学生の頃だって、弱音も吐かず泣き言も言わず、大げさじゃなく生きている時間全部を絵につぎ込んでいた。 そう、だからきっと秋青は、何かを達成するために努力し続けるという、天賦の才を持って生まれてきたのだ。

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