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第5話

最初は本当に、ただの気まぐれだった。いやもしかしたら、少しの下心もあったのかもしれない。突然の雨に降られ、髪や洋服から滴をしたたらせる秋青は、テレビ画面の中にいてもなんら違和感はないほど、美しい容姿をしていたからだ。 白状するなら、好みのタイプだったのだ。 自分の住むマンションの軒下で、雨足が弱まるのを心細げに待っている秋青に、慶一の方から声をかけた。タオルと風呂を貸してやるから、上がって行けと。 最初はためらいを見せたものの、案外すんなりとついてきた。秋青と名乗ったその青年は、慶一の住むマンションにほど近い美大に通う学生だった。大学と自宅が離れているらしく、服を濡らしたままでは交通機関も使えないからとよほど困っていたらしい。 相手が学生だということが分かって、慶一の興味は一気に失われた。いくら好みのタイプだろうが、未成年に手を出す趣味はない。 ところが、今度は秋青の方が、慶一に興味を持ってしまったのだ。 片側の壁一面を埋め尽くすような本棚。天井の高さまであるそれは、ぎっしりとさまざまな書籍で詰まっていて、本棚に入りきらないものは脇に積まれている。 「俺、こんなにたくさんの本見たの、初めてです」 お前の大学には図書館がないのか?と言うと、一般の人の自宅に、っていう意味ですよ。と、慶一の皮肉を気にしたふうでもない。 彼がことのほか興味を持ったのは、本棚の一角にまとめられた、『滝沢慶一』という著者の小説だった。これまで美術書や芸術書としか縁のなかった秋青は、このとき初めて、文学に触れた。 そして、まるで風景が、色が、匂いが、音が、目の前に浮かび上がって、この手に触れられるような、いやに現実的で、けれどもどこか美しく繊細なその文章に、魅了されてしまったのだ。 それからというもの、秋青は大学に近いこともあってかことあるごとに慶一の部屋に立ち寄っては、本棚を物色して慶一の所有する本を読み漁るようになった。もちろん、一番の気に入りは慶一の執筆した小説で、部屋に上がり込んでは、新作はまだかと慶一を急かすのだ。 その頃、広いスペースを持て余していた慶一は、本棚が背後に来るようにデスクを配置して、リビングを書斎のように使っていた。 初めは、デスクとは離れたリビングの隅っこで静かに読書に耽っていた秋青だったが、やがて中央に配置されたソファに座るようになり、慶一のデスクに寄りかかるようになり、慶一の足もとにうずくまるようになり。 子犬が主人のご機嫌をうかがうように、少しずつ距離を詰めながら、互いの距離がゼロになったとき。慶一は自らの危機感に従って、秋青を突き放すことにした。

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