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【君と夏の約束】春日すもも
「もう夏なんだな」
終業式が終わり、早々と学校を出たコータはうだるような暑さの中、クラスメイトのサトシとバス停に向かって歩いていた。
真っ青な空に描かれた、もくもくとした入道雲を見つめながら、汗で張りついた制服のシャツを指で摘み、少しでも風が通るように、パタパタと揺らしながら歩く。さきほど反対の手で拭った汗は、夏の強い日差しですぐに蒸発した。
通学路のアスファルトは日差しの照り返しで、より一層温度が上昇し、蒸した匂いは、いよいよ夏が来たのだと実感する。
「ねぇ、アイス買っていこうよ。時間まだある?」
隣を歩くサトシが提案する。
バス停に向かう途中にコンビニにがあるから、そこに立ち寄って行こうという意味なのだろう。
「少しくらいなら大丈夫。そうしよう」
きっとこの暑さの中で食べるアイスは格別だろう。大好きなソーダ味のアイスを思い出して、唾液を飲み込むと喉が鳴った。
一般的に、終業式が終われば夏休みなので、多少は浮かれてもいいものだが、大学受験を控えた高校三年生であることに加え、成績不振のコータは今日から予備校の夏期講習に通うことになっていた。
夏休みをフルで勉強に費やしても、現役合格圏内に入れるかどうかの底辺な成績なので、高校生活最後の夏は勉強で終わりそうなのは、今まで先のことを考えず満喫したツケなのかもしれない。それに比べて、成績優秀なサトシはすでに指定校推薦が内定していることもあり、コータよりもそれなりに夏を楽しめるはずだ。
今も、これから予備校へ行くコータを電車通学のサトシが見送りたいとついてきたところだ。
――「俺たち、付き合ってみない?」
それは一年前の終業式の日のことで、告白はサトシからだった。
サトシとは、高校一年の最初、席が隣同士になったのをきっかけに話すようになり、今では親友と呼べるほど仲がいい間柄だが、恋愛対象として考えたことはなかった。
自分は月並みに恋愛対象は女性だが、サトシは昔から男性だったらしい。
確かに、今までもサトシの口から好きな女性の話なんて聞いたことがなかったけれど、当たり前のように自分と同じだと思っていたし、男が好きな男が世間にはいても、こんなに身近にいるとは思わなかった。
そのときは突然の告白に、少し考えさせて、と答えを保留し、持ち帰ったのだけれど、翌日にはいいよ、付き合っても、と答えていた。
玉砕覚悟だったらしいサトシは驚いていたが、結局、時間をかけて考えたところで答えの出る問題じゃないからと正直に言うと、コータらしいね、と笑った。
あと自分でも意外だと思ったのは、コータが男を好きだという事実に、気持ち悪いとか、そういう感情は一切起きなかったし、友達をやめようとか、避けようなんて発想にもならなかったことだ。それよりはサトシが自分に向けるまなざしがいつも優しかった理由が恋愛のそれとわかって、むしろ納得したというほうが大きいだろう。
気づけば今日で一年が経過した。
「あー、涼しくて気持ちいい!」
コンビニの自動ドアが開くと、ひゅっと冷気が流れ込み、暑さで汗ばんだ体にふれて気持ちいい。体が急速に冷えていくのを感じる。
「コータはソーダ味だよね」
「ああ、うん」
様々なアイスが陳列されているコンビニの冷凍スペ―スの前で、サトシは自分がまさに選ぼうとしていたものをさらりと言い当てる。
――サトシは何を選ぶだろう。
コータもサトシが選びそうなものを冷凍スペースの前で考えてみるが、様々な味のアイスを見ていると、どれもサトシが手に取りそうな気がして、ひとつに選べない。サトシがコータの好きなソーダ味のキャンデーを手にしたのは数秒くらいの出来事だったというのに。
「俺はこれにしようかな」
サトシがミルクティー味のアイスキャンデーを手にとったのを見て、そういえば普段から自販機や売店で飲み物を選ぶときはミルクティーだったことを思い出し、すぐに浮かばなかった自分に落胆する。自分は成績だけじゃなく、サトシに関する知識までも落第点のような気がして、気持ちが下がる。
もとからサトシは成績優秀に加えて、男女隔てなく優しく接し、人当たりのいい性格もあって、毎年バレンタインデーには義理も本命も含めたチョコレートを机いっぱいにもらうほどモテる。いわゆる女子がほっておかない優良物件だ。
そんなサトシはコータの『彼氏』になっても優秀だった。人の目があるところでは今まで通りの仲のいいクラスメイトを演じ、二人になると途端にコータを甘やかしてくれる。恋人である自分の誕生日はもちろん、好みもしっかり把握しているし、「好きだ」という意思表示もちゃんとしてくれる。
サトシとはすでにキスまで済ませている。自分のファーストキスはサトシだったわけだけど、男とはいえ整った顔立ちで清潔感のあるサトシとのキスは予想以上に悪くなかった。
「どうかした?」
レジの前でぼーっとしていた自分にサトシが心配そうに声をかける。
「あ、いや、別に」
「ここは俺のおごりね。コータ頑張ってるから」
「え、ありがとう」
どういたしまして、と頬を緩ませるサトシは、やはりどこからどうみても、非の打ち所のないイケメンだ。
――どうしてこんな完璧な男が俺なんかと付き合っているんだろう。
キスもするような恋人同士だというのに、その疑問は、今でも答えが出ない。
◇◇◇
コンビニからバス停は目と鼻の先ほどの近さで、バス停に着くとすぐにサトシが時刻表を眺めた。
「あと5分くらいかな」
サトシが躊躇なく呟いたのを聞き、普段は電車通学でバス停なんて縁がないはずなのに、恋人がどこ行きのバスに乗るのか、を当然知っている。
それに比べて、自分は電車通学のサトシがどの駅で降りるのか、なんて知らない。
自分がサトシについて知らないことを、またひとつ気づいてしまった。
「で、さっきからなにを考えてるの?」
バス停の脇にある鉄製の柵に腰掛け、キャンデーの包装紙を開けながら、サトシは呟いた。
「いや、おまえ俺のことなんでも知ってるなぁと思って」
「なんだ、そんなこと。はい、どうぞ」
「おう、さんきゅ」
サトシはソーダ味のキャンディーをわざわざ持ち手の棒の部分が取りやすいように差し出し、コータがそれを受け取ったのを見届けてから自分の分を開ける。こんな風に、女子なら胸をときめかせるような気遣いをさらりとやってのける。
「相手のことなんでも知ってるし、気遣いもできるし、なんか、おまえみたいな完璧な男、俺にもったいねぇなって思って」
「それって遠回しに別れようってこと?」
途端にサトシの表情が曇った。
「そ、そうじゃないよ!」
「ならよかった」
慌てて否定すると、心から安堵したような表情になるサトシに、あいかわらず自分は愛されているのだと実感し、胸が締め付けられる。
自分にはもったいないほどのできた恋人なのに、不甲斐ない自分で申し訳ないと思いつつも、サトシに愛されることが心地よくて、今に至る。
相手に不満はないし、不安なこともない。
「きっとコータは俺のいいところばかり見てるからそう思うんだよ」
「そうかぁ? だっておまえ完璧じゃん。頭もいいし、モテるし」
「それはどうも。でも、好きな子に好かれないと意味がないでしょ」
じっと見つめるまなざしが熱を帯びている。好きな子とは、当然、自分のことだ。
コータはサトシから目を逸らし、持っていたアイスをひとくちかじった。シャクッと心地よい音を立て、喉に甘さと冷たさが通り抜け、火照った身体と心が一気に冷やされた。
「こうみえても不安だらけだよ。コータは俺と違って、女の子を好きになることもできるし、いつどこでやっぱり女の子がいいって言い出すか、わからないしね」
「まあ、確かに、それは絶対に言わないなんて、約束はできないけど」
「うん。俺はコータの、そういう正直なところが好きだよ。だからきっと今は俺とお試しで付き合ってくれてるんだろうなって思ってる」
「サトシ……」
今が続いてくれるだろうか、という漠然とした不安は恋人につきもので、男性同士だからというわけではないはずだ。
それに実際、付き合い始めたときは、サトシのことを好きだという自覚はなかった。好きと言われ、迷惑ではなかったので付き合った。じゃあ今もそうなのかというと、それは少し変わってきた気がするのだけれど。
「それに俺はコータが思ってるほど、善人じゃないからね」
「そうなのか?」
どこからどうみても聖人君子みたいなサトシのどこに黒い一面があるのだろう。
「俺だって男なので、コータとキスより先に進みたいと思ってるし?」
「なっ……」
それは、いわゆる恋人同士でするあれのことだろうか。
そもそもキスだって自分にとっては衝撃だった。顔が近づいてきたとき、拒絶はしなかったけれど、戸惑ったのは確かだ。
もともとサトシとは恋バナどころか、男同士でするような下世話な話もしたことがなかったし、そういう性的な行為について興味を持っていること、ましてや自分を相手に考えていたなんてことなんて、想像もつかなかった。
今では、サトシの顔が近づいてくれば応じられるほどには、キスをすることが自然なものになりつつあるが、それでもキスから先には進んだことがない。
「しかもそんなことを四六時中考えてるんだよ」
「四六時中!」
「ね、エッチでしょ?」
「それは……かなりエッチだな」
そもそも男同士の関係でもセックスは成り立つのだろうか。確かに挿れる場所は男にもある。どっちがどうなって、どうするのか、これは話し合いで決めることなのだろうか、ちらっと想像しただけでも前途多難だ。
「コータ、そんな不安な顔しないでよ。大丈夫だって。襲ったりしないから」
「いや、そういう意味じゃ……」
「冗談だって」
考えこんだ自分をなだめるようにサトシの優しい言葉が降ってくる。
別に男同士のそれを拒絶するほど嫌だとかそういうわけじゃない。否定する前にサトシは自分で広げた風呂敷をきれいに折り畳んで片付けてしまう。
少しだけ見せた雄としての片鱗。それはきっと自分だけに向けられたものなのに。
「俺がこんなこと考えてるなんて、意外?」
「いや、まぁおまえも健全な男の子なんだなって」
「幻滅した?」
「いや、むしろ、その逆」
コータはアイスキャンデーを持っていないほうの手をそっとサトシの手の上に重ねた。
「コータ?」
「あー、えっと、なんか今、こうしたくなった」
「え……あ、そう……」
サトシが戸惑っている。きっとこうして自分からサトシに触れたことなんて今までなかったからだろう。
でも、こうして触れたらきっとサトシは喜ぶ、そんな気がした。
「人に見られちゃうよ……?」
「平気平気。あれ、もしかしてサトシってアドリブに弱かったりする?」
「いや、だってコータがこんなことしてくるなんて……思わないから」
嬉しそうでいて、恥ずかしそうなサトシの顔を見てると胸が躍る。
「そういう顔も、きっと俺しか知らないよね」
「え、あ、そうかな……そうかも」
ほんのりと頬を染め、しどろもどろになるサトシが愛しくてたまらない。
「よし、これからもっとしよーっと」
「な、なにそれ!……あ、バス来たね」
サトシの声に、ふと遠くを見るとバスが向かってきていた。それでもコータは重ねた手をどかそうとしなかった。
「コータ、バス……」
「もうちょっとこうしていたいんだけど、ダメかな?」
サトシは黙って首を横に振る。
「あー、明日から会えないんだな」
普段当たり前のように毎日顔を合わせているのに、自分の夏期講習のせいで夏休みはほとんど会えない。
高校生活最後の夏休みに恋人という存在がいるなら、二人だけの楽しい計画を立てることもできただろう。
そう思うとさすがに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「コータ、俺に会いたいって思ってくれるの?」
「そりゃそうだろ。おまえが近くにいるのが当たり前なんだから」
「あー、もうコータって……そういうとこあるよね!」
サトシが顔をそむける。耳がほんのり赤い。照れて、いるのだろうか。
――かわいいとこ、あるんだな。こいつ。
サトシのことは付き合い始めた当初よりも、今のほうが好きだと思う。
今はまだサトシは自分のものだと思えないけれど、きっと二人の距離感が縮むたびに実感していくのだろう。
「なぁ、夏休み、おまえんち泊まりに行ってもいいか?」
「え、それはいいけど」
「今度はひとつの布団で一緒に寝よう」
「ふぇっ?」
サトシが、すっとんきょうな声をあげる。
「あ、いや、おまえが嫌ならいいんだけど?」
「……今日はすごくいじわるだな、コータ」
むーっとむくれるサトシの顔なんて、新鮮だ。
今までも何度か、お互いの家に泊まったことはあった。
ある夏の夜に、「一緒の布団で寝ない?」というサトシからの誘いに「暑いから」という理由で断ってしまったことがある。
それはただ気恥ずかしかったからだけれど、なんとなくそれが今でも尾を引いているのか、二人で体を寄せ合える冬でも、サトシから一緒に寝ようという申し出はなかった。
「ねぇ、さっきの話に戻るけど、一緒の布団で寝るってことは、そういうこと、してもいいってとっていいの?」
怯えているのか、サトシがコータの様子を伺うかのように確認してくる。
「おまえがしたいなら、いいよ」
「それならだめだよ」
「違うよ、おまえがしたいことさせてやりたいって思うだけ。おまえが喜ぶ顔は俺も見たいし、それにおまえとならダメなことなんて、ないと思う」
「コータ……」
付き合うときもそうだったけど、多少驚くことはあってもサトシを否定する理由はどこにもない。
きっとそれは自分にとってサトシは、何をしても許される存在になっていたんだと思う。
「なあ、サトシ」
「なに?」
「俺なんかを好きになってくれてありがとな。俺も少しずつだけど、おまえの気持ちに追いついていくから」
「それは無理だと思う……」
「どういうこと?」
サトシがまっすぐコータを見つめてくる。
「俺、付き合ってからも、どんどんコータのこと好きになってるから」
「ははっ、マジで?」
「うん」
すごく愛されている。それは知っている。最初はその気持ちが嬉しくて応えたいと思った。
そして今では、もっとサトシを知りたいと思う。自分だけにしか見せない顔をもっと見たいと思う。
それは、サトシとちゃんと恋愛を始めることができたからだろう。
この先、男同士で付き合っていけばいろんな問題に直面するだろうけれど、それはそのとき考えればいっか、と割りきれてしまう自分はアホでよかったなと思う。
サトシが自分を想うのと同じくらいに、自分もサトシを好きになりたい。
今はそう思えるようになったから。
「なぁ、サトシ、来年の夏もこうして一緒にアイス食べような」
「……うん」
「約束だぞ」
いつしか二人の手はぎゅっと握られていて、バスが再び目の前を通ったけど、それでも繋いだ手は離さなかった。
来年も、そしてその次の夏も、二人一緒に過ごせますように。
End
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