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第9話
編み物をしていて、お腹が空いたと思い窓の外を見ると、すでに真っ暗になっていた。
指以外全て編み終わったので、そこで止めておく。
時計を見ると夜中の2時を回っているのに、アシュリーの帰って来ている気配はなかった。今日は帰ってこないのだろうか。
不思議と眠気は感じない。
何かを一から作る気もしなくて、キッチンへ行き何かないかと探す。すると昼のパンの残りが入っていた。
揚げ直せばとても美味しいだろうが、そんな気は起きなくてオーブンで温めるだけにしておく。
皿に乗せて紅茶と食べると、まだサクサクとしている。中の具も冷めても美味しい。美味しいはずなのに何か物足りない。
昼間と味はそんなに違わないはず。というかちがわないのに、あまり美味しく感じない。
何故だろうと考えながらただ空腹を満たすために食べ終わると、雑に食器を洗ってリビングのソファーにもたれかかった。
昼間のことを振り返る。あのノアという男性の口ぶりから、アシュリーは医者なのではないかと思う。
別に隠す職業ではない。誇っていいくらいだ。そしてノアはアシュリーを上司として尊敬しているようだった。
5日間、どうして休みを取ったのだろう。クリスマスプレゼントを買っていた恋人に会うため…とか…?
でもだいたい僕といて、家事をしているくらいで、そういうそぶりはない。
そしてあのノアの驚きぶり。アシュリーはだれにも僕のことを話していないのだろうか。
考え込んでいると、トントン、とドアが叩かれた。こんな夜遅くにだれだろう。アシュリーは鍵を持って出たはずだ。
仕方なく部屋を出て寒い玄関に出てドアのレンズから外を覗くと、そこにはノアが立っていた。
「少し話があるから、入れてくれる?」
黙って鍵を開けると、容赦なくドアを開け中に入ってきた。
「何か淹れてきます。コーヒーでいいですか?」
こんな時間に確かに迷惑だが、それでも寒かっただろうから。
「じゃあブラックでよろしく。」
遠慮なくいただきます、といった感じ。本当に寒かったのかコートも脱がずに暖炉の前に張り付いている。
なぜ彼が来ているのか、僕にはよくわからない。
「アシュリーさん、今日は帰れなさそうだ。俺は流石に遅いって帰されちゃって。だけど君に聞きたいことがあってここに来た。」
なぜ僕がこの時間に起きていると思ったのかはさておき、アシュリーが今日は帰れないのかと思うと少し寂しい。
一緒だと思って一緒にいれないことは、普通に一緒にいれないよりずっと辛いことなんだと感じる。
「どうぞ。」
ブラックで、といっていたので何も添えずにマグカップを渡す。
ついでに淹れた自分の分にはミルクと砂糖をたっぷりと。
「ありがと。…ってあまっ!」
わざわざ彼の近くにブラックコーヒーのマグを差し出したのに、遠い方の手で持っているマグを取り、そう言われても困る。
「あなたのはこっちです。」
特に人が口をつけたくらいでは気にならないので、もう一度ブラックの方を差し出し、ミルクの入った方をうけとってテーブルにつく。
「ああ、ごめんごめん。それにしても子供舌だな。何歳?」
失礼だ。でも、わざわざ突っかかる必要性も感じない。
「数えで16。」
「16?妙に落ち着き払って可愛げないなー。そんなだと女にモテないぞ。
…ってか、ずっとここにいるから出会いもないのか。今度紹介してやろうか?」
悪びれる調子でもなくどんどん湧いてくる罵詈雑言。失礼極まりない。
…女性は苦手だ。僕のであって来た女性はすべて、人の不幸を喜んで生きている。
「あ、そうだった。アシュリーさんが手術中手短に君のことを話してくれたんだ。
その話を聞くと、だいたい三年一緒に暮らしていることになるけど、さっき君はアシュリーさんの仕事のこと何も知らないっていってたから。」
ああ、そのことか。
確かに三年も暮らしていてそのくらいのことを知らないことは不思議に思うかもしれない。
でも、お互いの傷に触れないように過ごして来たから、その情報はむしろ2人の間には不要だった。
「一度だけ、聞いたんです。仕事について何気なく。
そしたら、その時の反応が聞いて欲しくない、というような反応だったから、聞いていません。」
「…なるほど。」
ノアはさして驚いていない口ぶりでそう告げた。
「僕は彼の恋人がどんな人なのか、彼はどんな人生を送って来たのか、なぜ街を出歩く時に目の色も髪の色も偽装するのかも何も知りません。」
自分で言っていて惨めにさえなってくる。そう、それほどまでに彼のことは何も知らない。
それでも大切だから、それだけでいいと思っている自分が今でもいる。
「知りたいと思うか?」
急に真剣な眼差しで聞かれ、身構える。
僕はそれを知りたいのだろうか。おそらく、知りたいと思うから知らないとわざわざ連ねたのだろう。
静かに頷くと、彼はアシュリーさんには言ったことを黙っていてくれと言って話し始めた。
「まず、だいぶ気にしてるようだけど恋人はいない。これは本人から聞いてはいないけど断言できる。」
「別にそんなに気にしていないし、いてとうぜんだと思っているくらいです。第一なぜいないと断言できるんですか?」
これは別に突っ込むところではなくうんうんとうなずくところだとわかっていても、なぜかそう答えてしまった。
「そういうやって突っかかるのも気にしてる証拠。
まずあんなに仕事ばっかりしてて、家に帰ったら君がいて、その君から見ても恋人なんているそぶりを見せないような生活をしているんだろ?
なら恋愛している暇なんてない。
第一多分あの口ぶりだと…いや、こういうことは本人が言うもんだな。」
彼はそこで言葉を切ったあと、ここからが本題だ、というように深く息を吸った。
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