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第10話
「それで、次は仕事のこと。これは彼の人生にもかなり絡んでることかな?君は白い悪魔って聞いたことある?」
「…??はい。」
それとアシュリーがどう関係あるかはわからないが、聞いた話ではこうだ。
町はずれにとある病院があり、そこにもう手のつけようのない重症の患者を連れて行くと、半分の確率で治って帰ってくるが、一方で半分は遺体さえ返ってこない。
悪魔が人間を切り裂いて、好みの肉と見なされればきれいに治した後すべて食べられ、興味のない肉の場合はきれいに治して帰してくれる。
だから、帰って来た患者には大きく切り裂いて中の肉を吟味した跡がある。
とか言う話。学校の噂になっていたのを聞いたことがある。
「あれ、アシュリーさんなんだ。」
「えっと…?どういうことですか?」
アシュリーは人の肉を食べて生きる悪魔ということだろうか?
いや、多分それはない。ふつうにご飯を食べているし、僕は彼に助けられた。
いや、しかし彼は優しすぎる。
この夢のような日々の代償に、いまから僕は食べられてしまうのだろうか。
それもいいか。
「噂っていうのは必ず尾ひれがついてて、だからもちろんアシュリーさんは悪魔じゃない。でも人の皮膚を切り裂いているのは本当だ。」
「…??」
ますますわけがわからない。人の皮膚を切り裂くって、どういうこと…?
あの優しそうな彼が??
「彼のご両親は医者で、遠い国からわざわざこの国に来たんだ。なんでも、ここではまだ治せない病気も、彼の祖国では治せるらしい。
でも、それには多くの場合麻酔をかけた人の皮膚を切って、その中身まで見ないといけない。
アシュリーさんの両親は、彼が12の時に事故で亡くなった。
そしてご両親から得た知識と家にあったたくさんの彼の祖国の医学書でずっと勉強を重ね、アシュリーさんはご両親のようにこの国では治せない病気を治せる医者になった。
でも、ご両親の時も実はそうだったらしいけれど、放っておけば死んでしまうような病気だ。当然治らない例も多い。
ある日勉強しに、と言って手術を見に来た医師が、皮膚を切り裂くのを見て有り得ないと言ってその噂を広めた。
半分は死んでしまうというのはほぼ事実だが、家族に引き取ってもらえないことも多いんだ。
引き取り先のいない遺体は解剖したりもしてから知り合いの葬儀屋に引き渡して静かに埋葬してもらっているからそのせいで人肉を食べているという尾ひれがついた。
白い、というのは多分白衣とアシュリーさんの肌の色の話だ。
というわけで、アシュリーさんは昔街に出て周りから酷い扱いを受けたことがある。
それで仕事の話をするのを嫌がり、他人と街に出るときはその人に迷惑をかけたくないからと変装しているんだ。」
「そうですか…。」
ノアが長い息を吐きコーヒーを飲んだタイミングで、僕はやっと相槌を打った。
長い話を理解するのは大変だったが、真剣に聞いていたので大方理解はできた。
つまり、アシュリーは医者で、変な噂を流されて、それに振り回されて、周りに自分だとばれないように変装している…。
「仕事のことについて話さなかったのは、君に怖がられるのが嫌だったんだと思う。アシュリーさん、すごくあのこと気にしてるから。
それでもアシュリーさんのところにきた患者さんは、全員幸せそうだ。」
誇らしげに言われる。
自分の知らないアシュリーを他人の口から聞いていることに、何か言葉にならない苛立ちのようなものをおぼえて、混乱した。
僕が知らないことも全部知っていて、きっと僕がいないところでアシュリーの心を支えて来たノア。
こんなに近くにいても、アシュリーの心の闇さえ支えられなかったのかと思うと、今更自分の無力さにがっかりした。
すると、いきなりノアが僕の頭をがさつにわしゃわしゃと撫でた。
「妬くな妬くな。仕事のことなんて知らなくても、アシュリーさんがあんなに素直に微笑むのは君の前だけだよ。
あの人は確かに3年前から少しずつ丸くなったし。」
何が面白いのか、ははっと笑いながら言われて、でも悪い気はしなかった。君も支えている1人だ、と言われている気がする。
…この人は大人だ。
何をもって大人というのかはわからないけれど、それでも多分、こうして人の痛みをわかり、欲しい言葉をくれる彼は僕よりずっと心が強い。
この人が今日来てくれなかったら、彼のことをずっと知らないままだった。
でもそれは甘えだ。
秘密が多い関係だ、と割り切るのではなく、彼の秘密を知りながらちゃんと支えていきたいと思った。
僕なんかにできることはほとんどないけれど、それでも。
「じゃあ、俺は帰るから。」
話してみてからもう一度見た彼は、とても大人に見えた。玄関まで見送ると、彼はじゃあなと手を上げてドアに手をかける。
「あの。」
「なに?」
「ありがとうございました。」
わざわざこんな時間に、おそらく僕がねれないでいることを気にして、ちゃんと話しに来てくれて。
自分なんかと卑屈になっていた僕に欲しい言葉をかけてくれて。
「君、なんか素直でかわいいなー。もっと可愛げのないやつだと思ってたけど。」
ふいに抱きしめられた。そしてわしゃわしゃとまた頭を撫でられる。
いい匂いがした。女物の香水の強い匂いは苦手だけれど、ほのかに香るこの匂いは好きだ。
さっきも感じたことだが、自分が他人に触れられて全く怯えないことが不思議だ。
アシュリーの愛情に触れて僕はまた人を好きになろうとしているのかもしれない。一度は諦めていたことが、できるようになって嬉しい。
と思った刹那、いきなり口に柔らかく温かいものが押し当てられ、すぐに離された。と、同時にドアが開く。
「ただい…ノア、なにやってるの?」
「なにって、キスです。この子素直でかわいいから。」
キス…?キスって、口と口をくっつけるあれ…?
俺はそういうことをされるほど愛されてこなかったし…
てかアシュリーがなぜかいるし…
それにしてもアシュリー、声怖い…
容量オーバーと夜遅いことがたたったのか、頭がフラフラして真っ白になる。
「テオ!!」
最後に意識に残ったのは、いつもの大好きな人の香りに抱きしめられたことだった。
「テオ、テオ。」
呼ぶ声がして、薄く目を開けと、心配そうにアシュリーがこちらを覗き込んでいた。
「あれ、ぼく…」
「よかった、気づいた。ノアにキスの他に何かされなかった?」
あ、そうだ。ノアが来て、キスされてアシュリーがいて眠くて…
アシュリーがとても心配そうに見てくるので、大丈夫だよと首を縦にふる。
「ノアはなんでここまで来たの?」
本当のことは言えない。その条件で教えてもらったから。
だけど、嘘もつきたくない。
あまり時間を置くわけにはいかないから、なんとか納得させられるような言い訳を考える。
「ノアさんは、昼にいきなり来たことを謝りにきてくれたんだ。」
「謝ってきて、キスをして帰ったの?」
冷静な声は、静かに怒っているようにも聞こえる。
「キスって言っても多分あの人はキスくらいに大した意味を持ってないと思うけど。そんな誠実な人に見えないし。」
どう見ても女遊びの激しそうな彼は、お前可愛いなと挨拶程度に軽く口付けただけだろうし。
「確かにそうだけど、でも…。いや、ごめん。
なんでもないよ。変にムキになってごめんね。」
「いや。そんなことない。でも、遅くまで仕事してたのに、面倒かけちゃってごめん。」
目の下の隈は、おそらく寝ずに見守ってくれた証だろう。そう思うとやるせない。
「いいんだ。そのくらいは。」
その日はゆっくり休んだ後、夜から映画に出かけた。
アシュリーは前に寄ったジュエリーショップに用があるからとそこに立ち寄り、何かを店員と話して出てきて。
恋人じゃないなら、誰のためのものなのだろう。
そしてクリスマスイブの日。何か用事があるのか朝アシュリーが1人で少し出かけたから、その間に手袋を完成させた。
昨日も午後に寝たふりをしつつ進めていたから、アシュリーが帰ってくるまでにはギリギリ間に合って、本当に良かったと思う。
夕食後に渡そうと、家にあった袋に丁寧に包む。
喜んでもらえるだろうか。
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