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4.
以上、と星一が言葉を締めて放送を終える。リカは驚き、まさかと思いながらもスピーカーから流れてきた十一桁の数字を押した。
無機質な機械音が流れること数回。一度、二度、三度目で繋がる。
「はいはい。こちら星一ですけど、迷子のリカちゃんですか?」
出たのは星一だった。放送で流れた数字の羅列は彼の電話番号で、幸運にもそれを聞き取れた自分をリカは褒めてやりたいと思った。でも、リカに与えられたのは褒め言葉ではなく、揶揄いのそれだ。
「お前、絶対にバカだろ。なんで全校放送で自分の電話番号言ってんだよ」
呆れ混じりに言ったリカに、星一が答える。
「だって、こうしないとリカがどこで迷子になってるか分からないから。それに早口だったし、多分大丈夫」
「大丈夫じゃないって。変なやつから電話がきたら、どうするつもり?」
「そんなの出なきゃいい。今時、電話番号なんて簡単に流出する時代だし、変えるのも簡単だし」
登録してある番号が二件しかない自分と違って、彼が電話番号を変えるのは容易ではないだろう、とリカは思う。それなのに星一はあっけらかんと言い放ち、楽しそうに笑っていた。リカと繋がる電話の向こうで。
「それでリカは、どこで迷子になってんの?」
「迷子じゃない。間違って知らない場所に来ただけ」
「リカちゃん、一般的にそれは迷子だよ。あー……とりあえず、何がある?」
訊ねられたリカは、周囲を見て答える。
「階段と床と、あとは壁」
「お前……マジか。なあ、リカってその顔でバカなの? その顔で?」
「俺はバカじゃないし、仮にバカだったとしても顔とは関係ないだろ」
「あるよ。その顔でバカだったら、顔力の無駄遣いじゃん」
「なんだよ、カオリョクって。そんな言葉、初めて聞いたんだけど」
吹き出したリカに、星一は顔面の力だとか、顔の偏差値だとか言うけれど、それが更にリカの笑いを誘った。ついさっきまで怖いぐらいに静まり返っていた廊下には、リカの笑い声が響く。ひとしきり笑い終えた後、涙の滲む目尻を拭いながらリカが呟く。
「久しぶりに声出して笑った。お前、やっぱり変なやつだな」
まだ声を震わせながらの一言に星一が返す。
「お前じゃなくて、さっき名乗ったんだけど。ちゃんと聞いとけよ、バカ」
「あぁ、えっと……待って。多分、思い出せると思う……あぁっと」
星一との会話の始まりを、リカは思い出す。自分だと疑いもせずに出た電話。揶揄いを付け足すのを忘れなかった、底意地の悪さも。そして、躊躇など見せずに告げられた名前を。自然とリカの口が動いた。
「星一。せいいち、だろ。お前の名前」
言い切ったリカを見て、星一が満足げに頷く。
「リカちゃん大正解。俺の名前は兎丸星一。絶対に忘れんな」
兎丸星一。それが男の名前であり、慧の実の兄で、リカの初めての友人。
星一は本人が言った通り、リカのクラスメイトだった。新入生代表も務めた星一は、勉強も運動も出来る秀才だった。それなのに自慢することはなく、常に謙虚で人当たりも良い。性格も温厚で気さく。リカが屋上で出会った人物とは、まるで真逆だ。それもそのはず、星一は裏表の激しい男だった。
親しい友人にだけ見せる本当の星一は、とにかく文句が多く、驚くほど幼稚な男だった。自ら仕事を買って出るくせに、いざ任されるとすぐにリカを呼んだ。迷惑そうにするリカを強引に手伝わせ、散々と愚痴を聞かせ、自分が満足するまで付き合わせる。初めはなんて横暴な男だ、と思っていたリカだったが、それが星一なりの甘え方だと分かり、苦笑しながらも断らなかった。獅子原理佳は、昔から我儘な相手に弱かったのである。
星一との出会いはリカの人生を大きく変え、大きな爪痕を残した。良くも悪くも、リカの人格は星一によって作られたと言って過言ではない。誰よりも影響力があり、誰よりも強かで、誰よりも繊細。まるで星一とリカはパズルのピースのように合わさり、二人で一つだった。
どちらかに比重が傾いていたわけではない。一寸の狂いもなく半々。お互いがお互いを想う気持ちは、綺麗に平等。まさに唯一無二というのは、この二人のことだった。その絶妙な関係に変化の兆しが現れたのは、確か高校二年生の夏を過ぎた頃である。
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