8 / 11
7.
* * *
長い回想から現実へと戻ってきたリカが一人呟く。指の間を滑り落ちていく慧の髪は、持ち主の性格に似て真っすぐだ。それは星一の物とも同じだった。やはり二人は兄弟なのだ、とリカは実感する。
「リカちゃん。いきなり黙ってどうしたんだよ」
髪で遊ばれるくすぐったさに、慧が身を捩って逃げようとした。
「そうだなぁ……一回り近くも年下の恋人に夢中になって、寝ても覚めてもその子のことしか考えられない、とか」
「その割には、俺が何回呼びかけても無視しやがったけどな」
リカ本人としては昔を懐かしんでいたのは数分ほどだったのだが、実際は違ったのかもしれない。呼びかけても無視された、と頬を膨らます慧を、リカはとても愛しく思った。
星一が気まぐれで付けたあだ名を、その弟である慧が呼ぶ。その度にむず痒いような、けれど嬉しい気持ちになると言ったら、慧はどう思うだろうか。訊ねようと口を開いたリカは、それを声に乗せる前に留まった。もしそんなことをしたら、嫉妬深い恋人が本格的にへそを曲げかねないからだ。
「俺が慧君を無視するわけがないだろ? もっと呼んでほしくて、わざと応えなかっただけ」
「それを無視って言うんだよ。リカちゃんがどう思ったかなんて、俺には関係ない」
「そんなこと言いながらも、まんざらでもない慧君が好き」
「だっ、誰が‼ 勝手に決めつけてんじゃねぇよ」
ふい、と顔を背けた慧が布団の中に潜り込む。まだ情事の痕跡が残る身体を清めることもなく、このままふて寝してしまおうという魂胆だ。そんな慧を見守りつつ、寝入ってから後処理をしてやるのが普段のリカなのだが、今日は違った。なんとなく物寂しいような、あの頃の不安が顔を覗かせたような気がしたのだ。
慧がリカのことをどこまで許したのかは、正直分からない。こうして今も傍に置いてくれているということは、それなりにリカに対して好意は持っているのだと思う。好きでもない相手に身体を許すほど、廃れた人間ではない。でも、核心に触れるのは憚れる。
確認することが怖くて、でも知りたいと思って。だからリカは執拗に慧を求め、それを正当化するために愛情を伝える。好きだと繰り返すことで、押しに弱い慧なら受け入れてくれるのではないか、と思うからだ。
「慧君」
だから今夜も同じように、慧に手を伸ばした。逃げてしまった布団の中に自分も潜り込み、視界を邪魔する布を掻き分け、見えた肌に唇を落とす。
まず軽く触れてから少し力を込めて吸う。すると慧の背中に赤い華が咲き、自分の証をつけたリカは嘆息を吐いた。
「もういっかい、だめ?」
大の大人が。それも一〇以上も年上の自分が、高校生を相手に何を言っているのか。やたらと甘く弱い声で、やたらと媚びを売るような言葉に、リカ自身が呆れる。たまには甘えたいなんて、慧にまだ受け止める余裕がないことは、分かっていたはずなのに。それなのに思わず出てしまった本音にリカは突っ伏した。慧の背中に触れている頬が熱く、自分のものではないみたいだ。
冗談だよ、と軽く流してしまおうか。そうして浴室へ逃げ込み、シャワーでも浴びれば火照った頬もごまかせるだろう。そう思ったリカは、身体を起こそうとした。それは叶うことはなかった。
起き上がるはずだった身体が、ベッドのシーツに縫いつけられる。さっきまで見ていた真っ白なそれは背中に触れ、代わりに見えるのは無機質な天井の薄灰色。
リカが起き上がる隙をついた慧が跨り、上からリカを見下ろす。腹の辺りを跨ぐ慧を凝視したリカは、そのまま静止した。大きく見開いた目で瞬きを繰り返すリカを、慧が鼻で笑う。
「ハッ、今日は珍しく隙がありすぎだな。リカちゃん」
「ああ、うん……まさか慧君に押し倒される日がくるとは」
「どうだよ。ちょっとは俺の気持ちがわかったか?」
「そうだね。とりあえず、相手が慧君なら、こうして見下ろされても平気だって知った。ありがとう」
にっこりと微笑んだリカが手を伸ばす。自分の両脇に手をつく慧の頬に触れると、指の背でそれを撫でた。ゆっくりと緩慢で、そして優しく。そのあまりの弱々しさに、慧は自ら押し当てる形で応えた。リカの指が止まっても慧が動く。しっかりと触れ、自分の存在を知らせるかのように。
「……もう一回ぐらいなら、相手してやってもいい」
言った途端に羞恥を感じた慧は、頬を撫でていたリカの指を噛んだ。浅く歯を突き立て、奥から伸ばした舌で肌をなぞる。するとリカの目が細まり、視線で慧に先を促す。
慧が噛んでいた歯を離せば、リカはその唇に自身の指を二本、宛がう。つん、つんと指先で突き、口を開けろと合図を送った。素直に従った慧の口内へ潜り込ませ、舌の表面を円を描くように撫でる。
ともだちにシェアしよう!