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9.

 慧から小箱を奪い返したリカが、それの封を切る。ピッ、と軽く破れたナイロンが剥がれ落ち、箱は容易に開いた。中から一つだけを取り出したリカが、慧の目線の位置でそれを弾く。額に直撃を受けた慧は、初めて実物を手にした。 「思ったより小さいんだな。で、リカちゃんはこれをなにに使うつもりなんだ?」 「何って、ゴムの使い道なんて一つしかないでしょ。我慢したい慧君のここを、縛る為に使うんだよ」  ここ、とリカが指さしたのは、慧のそれで。根元を縛って射精できないよう、戒めると言う。咄嗟に避妊具を後ろ手に隠した慧は、驚きリカを見た。 「兎丸君が今後これの世話になることはないだろうから、記念によく見ておきなさい」  わざとらしく言ったリカに、慧は舌を打つ。 「うるさい。俺だって、いつか使う時がくるし」 「つまり慧君は、この先誰かを抱く予定なんだ? へぇ。このタイミング、この状況で堂々と浮気宣言しちゃうなんて、慧君は勇気があるね」 「違っ、別に浮気じゃなくて…………その、だな」  言い辛そうに一旦は口を閉じた慧が、それを再び開く。 「そのうち俺がリカちゃんを抱くかもしれないし」  慧の言葉を聞いたリカは一度だけ瞬き、次の瞬間に堪えきれず吹き出した。 「慧君が俺を? いやいや、それはないでしょ。何をどう間違ったとしても、そんな事は絶対に起こらないって」 「わっかんないだろ! 一年後には、俺の身長がリカちゃんを追い越す可能性だってあるんだからな!」 「それもないね。だって慧君が俺を追い抜こうと思ったら、最低でも一〇センチ以上は伸びないと駄目なんだし」 「まだ可能性はある!」  顔を真っ赤にして慧は言い返すが、もう成長期を過ぎた身体では、その確率は限りなく低い。それに問題なのは身長差ではなく、二人の性格の違いだ。導かれ与えられることが常な慧にとって、リカに愛撫を施し、絶頂までリードすることは荷が重すぎるだろう。  けれど慧自身は至って本気らしく、冗談ではなく真剣に怒る。くすくすと笑い続けるリカを睨み、初めて手にした避妊具を取り出した。第一印象は、やたらとヌルヌルしている、だった。 「なにこれ。気持ち悪い」  指にまとわりつく潤滑油に、慧は顔を顰める。 「何って、ローション。これがあるとないとでは、挿れる時に大きく違うよ」 「その台詞。エッチに慣れてるって、自分から認めてるのと同じだからな」 「……いや、それは違う。これは一般常識であって、既知の事実だから」 「キチって誰だよ。お前の元カノか、元カレか?」  鋭い視線を向ける慧に、先に既知の意味を教えてやるか、それとも強引にごまかすべきかをリカは考える。けれども、そのどちらにするか決める前に慧が動いた。 「――いッ」  リカの短い悲鳴が寝室に落ちる。沈黙を破ったその声の理由は、慧がリカの肩を思い切り噛んだからだった。 「慧君。いくら俺でも噛まれると痛い」 「自業自得だろ。余計なことを言ったリカちゃんが悪い」 「そうだね。うん、今回のことは俺が全面的に悪かった」  素直に自分の非を認めたリカは、慧に噛まれた箇所を擦る。その肌に凹凸を感じて、くっきりと歯型がついているであろうことを予想した。思いきりの良すぎる恋人を持った宿命に、力なく笑う。 「次また何か言いやがったら、今度は鼻を噛むからな」 「鼻はさすがに駄目だと思うよ」 「嫌ならお前が気をつければいいだけだろ。それに、こんなのいらない。自分で我慢する」  ふい、と顔を背けて拗ねてしまった恋人の頬に、リカは口づけを落とす。一度、二度と繰り返しても慧の機嫌は直らず、五度目にしてようやく視線だけを向けてもらえた。 「ごめんね、慧君」  すかさず謝ったリカに、慧は軽く頬を膨らませる。 「別に。リカちゃんが下半身バカの節操なしで、いつ誰に刺されてもおかしくないぐらいのクズだなんて、俺は知ってるし」 「それは言い過ぎ」 「でも、知ってて付き合ってるから。嫌だけど……っ、本当はすっげぇ嫌だし、ふざけんなよって思うけど。それでも、俺は今のリカちゃんが好きだから」  膨らんでいた慧の頬は萎み、その代わりに朱に染まっていた。きっと慧は慧なりにやり過ぎたと自覚し、取り戻すために素直になったのだろう。そう思ったリカは、どうしようもなく泣きそうになった。  なぜなら、慧の言ったことは全て本当のことだから。今は違っていたとしても、昔の自分はどうしようもない男で、節操も貞操観念もなくて、いつ誰に刺されてもいいと思っていた。寧ろ、そうしてほしいとすら願っていたぐらいだ。

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