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「夜一」
兄の雪(そそぐ)の声ではっとした。
気づけば日も暮れて、兄の目がきらりと光っている。縁側から降りて、向かい合うとわたしを見て目を細めた。
「あの人間と寝たのか」
「羨ましいですか」
兄は腕を組み「ハッ」と鼻で笑った。
「鼻につくにおいだと思っただけさ。つがいになるのなら、群れを出ろよ」
「つがいにはなりません」
「なに?」
わたしは松風……枩吏との間にあったことを兄に話した。
兄は黙って聞いてくれた。
今日、枩吏のところに兄が現れたのは、試験のようなものだった。
鼻がきかない人間の枩吏はわからないようだったが、兄はわたしが彼と出会ってすぐにそのにおいに気づいていた。
枩吏は兄の魂のつがいだった。
お互いにだけわかるにおいと言うものがあるらしい。本能を揺さぶられる強いにおいらしいが、わたしにはわからない。
わたしはそれでも枩吏と一緒にいたかった。
そんなわたしの願いを聞いた兄が枩吏を試したのだ。本能に甘えた怠惰な法律に守られる人間のαが、魂のつがいが放つ色香を退けられるかどうか。
枩吏がわたしと同じ気持ちなら、きっと兄をはね除ける。
わたしはそんな甘い考えで兄の話に乗った。
結果、枩吏に兄をはね除けさせたのは、わたしではなく、過去に深い友情を感じていたΩのためだった。
わたしは、一目見た時から枩吏に惹かれていた。人間のαなんて、野蛮で短絡的な馬鹿者ばかりだと思っていたのに、不思議だった。
多分、一目見た時からわたしは枩吏の中にある後悔や悲しみを感じていたのだろう。人間のαと言う蛮族が本来、持つはずのない葛藤が枩吏の中にあった。
そこにわたしは惹かれ、同時に捨てられたのだ。
あんな、試すようなことをしなければ、今もぬるま湯のような幸せに浸っていられたはずなのに。
「枩吏は死んだ友人のために法を正すつもりです。だから、家に戻ると」
「珍しい男だな。それで別れ際に抱かせてもらったのか。未練がましく」
「……そんなことするわけないってわかっていますよね。さっきのは冗談です」
兄は深いため息をつく。
「あきれました?」
「いいや。若いうちの失恋はいい薬だ」
兄はわたしの肩を叩くと、狼の姿になって走り出した。わたしもその後ろを追いかける。
きっとわたしはこの山を駆けるたび、風を切って走る彼の姿を思い出す。思い出して恋しくなる。
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