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【Re Birth】東 永尋
「……羽根?」
視界の端に映った場違いに、優樹(ゆうき)は声を漏らした。手をかざしつつ見上げた重い雲の先には、純白のやわらかな羽毛が遊ぶ。
バイト先の喫茶店で最終の片付けまでしていたら、とっぷり日が暮れていた。鳥って、多くは夜目が利かないんじゃなかったかと思案しながらギョッと目を剥く。
「っこんな所で何してる!」
思わず声を上げて、しまったと口を覆うも後の祭り。
ゆっくりと振り返った神々しい白い物体に、正直逃げ出したくなる。
「我が見えるか人間――ああ、ハーフか」
感情込もっていない瞳と、抑揚のない透き通る声音。いくら夏とはいえ薄布を羽織っただけの服に、広げられた羽。さらに宙に浮いたままの裸足。
「……こんな所にいると狩られるぞ」
認知されてしまったため、腹を決めてしぶしぶと声をかける。
「ああ」
一見、人気のない裏路地。しかしココは、良くないものたちが狩り場にしている所でもある。時々、知らずに訪れた天使が被害に遭うことも少なくない。
この現代にも、神だの天使だの悪魔だのと存在している。ただ、人間たちが信じていなかったり忘れているだけで。そんな中、優樹はさらにイレギュラーな立場であるが。
ため息をつきつつ仕方なしに忠告するも、反応はイマイチ。むしろ動かない。
「あんた、怪我してる!」
「キサマも狩りか」
「言葉のキャッチボールして! それに俺は狩らない!」
優樹が気づいた浮遊していた羽根は、負った傷によって強制的に本体から剥がされた残骸だったらしい。ああ、考えただけで痛い。
身震いして自らの腕を抱いた優樹を、見返す瞳には感情を見いだせない。
「痛くないのか?」
「自己回復能力はある」
整いすぎた顔の、動かない表情筋に仕事をしろと頭の隅で罵倒する。
――ポツ。
「……え、雨?」
降り出し、一瞬でまるでバケツをひっくり返したように勢いを増す。下着までびしょ濡れだ。
同じようにして空を見上げた天使に、優樹は半ばやけっぱちで叫んだ。
「ああもう、見るだけで痛い! 手当してやるから来い!」
この世には、人間以外にも存在するものが多々ある。一般的に言われる神や天使、魔族などと区別されるが厳密なところがない。事実、悪魔と言われる部類に天使の地位を降ろされたものが在ることもあり、逆に死を司る天使がいることもある。階級はそれぞれあるが、一概には括れないというのが本音だ。
おとなしく翼を消毒されている天使を観察する。
空中に浮いていたため優樹が見上げる形になっていたが、実際は自分よりも背は低かった。スコールのような雨にずぶ濡れにされ、貸したズボンはだいぶウエストがあまっている。ゆるくウェーブがかかる髪に伝い落ちる水。
「こんなに怪我して痛くないか?」
見ているこっちの方が痛い。
「回復能力がある」
「って言っても、限度があるだろ」
鉄仮面のように動かない表情に、ため息をつきたくなる。
自己再生まで可能な魔族に比べると、天使の回復能力は性能としてはだいぶ劣る。しかも、この天使の場合は体中至る所に傷を受けている。相手をした数は片手だけではないはずだ。さらに優樹が見る限り、最高位ではないし武力に特化した者でもなさそう。
魔族からも人族からもはみ出している自身には、天界の詳細などまったく不明であるが、いい行為でないことは解る。
「まあ、いいけど。何か食う?」
静かに横に振られる首に、そういえば殺生は禁止だったと思いなおす。その割には天使も魔族を狩るのだから、矛盾もある。自分から見れば、双方共に生命体だ。
「じゃ、遠慮なく」
仕事を終えてその上にこの出会いで、一息つけば忘れていた空腹を覚える。が、自室の冷蔵庫を漁るも、満足な食料がなく頭を抱えた。仕方なしにコーヒーを淹れて、主張する腹の音をごまかす。
肩越しに振り返ると、天使は雷鳴の唸る外を眺めている。傷ついてなお、美しい羽根は収納された様子。すぐに飛び立てるようにはせず、若干警戒心を解かれたのかと勝手に解釈する。
「ミルクなら飲めるだろ」
素直に受け取ってもらえたコップに、ホッと詰めていた息を抜く。
「すげぇ雨」
天使の視線を辿って、優樹はコーヒーに口をつけながら漏らす。
「って、あんた拭けよ」
「なぜ……」
掛けたままのタオルで顔のラインを拭ってやれば、視線を寄越される。
「なぜ、力を使われるのか」
「んあ?」
雨の名残だと思っていたのは、天使の涙で。
ポツリと困惑気味に向けられる問いに、優樹の方はさらに大混乱だ。
天使でも涙を流すのかと思ったのと、ついであまりの現実離れの美しさに続ける言葉を探しあぐねる。しばらく逡巡して口を開く。
「……あんた、他者に伝えようってぇ気、欠片もないだろ。俺はあんた達のお偉方みたいにツーカーじゃない」
神や天使の類いは、天啓として意志のやり取りができると聞いている。だから言葉のキャッチボールが上手くいかない。
「嫌じゃなければ、表してみろよ言葉で。聞いててやるから」
魔族と人族のハーフである自分と、一見強くはあるが迷子のような天使が、人間界で出会ったのも何かの縁。
ギシ。
天使の隣に陣取って、雨音と雷鳴をバックに耳を傾ける。
とつとつと語られる内容に、優樹は徐々に青くなって逃げ出したくなった。自分の部屋なので現実的ではないが。
「…………あんた、ドミニオンズかよ……」
聞くんじゃなかった。
絶賛後悔の嵐まっただ中に頭を抱えた。
要約するとこうだ。
医療だの情報技術だのが進歩したこの時代、以前に比べると神話に対しての認識が低下している。信仰が薄れると、崇拝を糧に生きている彼らは存在意義を見失う。この天使の上司に当たる高位の天使や、神も存続の危機が迫っていると。そんな彼らからおこぼれていどでも力を分け与えられている天使としては、少しでも負担を減らしたいと目論んだ。そうして、先ほど優樹と出会った場所に立った。
要は自殺。
「力がない」
天使はカップを持つ方とは逆の手のひらを見つめる。
「我は望まれて在るわけではない」
「いや、あんた達は崇められているだろ!」
絵画でも聖書でも、他のものでも。
何を言い出すのだと口を挟めば、微かな苦笑のようなものを寄越される。
「遙か昔は、な。キサマは強く望まれたのだろう」
『クズが』
『出来損ない』
顔のないヤツラの冷笑が、優樹の頭の中で木霊する。
ハーフとは聞こえはいいかもしれないが、人族にも魔族にも半端者として疎まれて生きてきた。
「……ぁあ?」
剣呑に低く唸った優樹に気づかないのか、天使は続ける。
「生殖行動をとり、種族の違う者の間で子を成すのは手間がかかる」
人族と違い、天界では天使の実がなるのだと。
「……あんたみたいなキレイな顔の、口から聞きたくなかった……」
ケロリとした明け透けな物言いに、毒気を抜かれる。顔を覆って意気消沈した優樹を尻目に、天使は空になったコップを置いて小首をかしげる。
たしかに自分の親という者たちは、区別をするならば雄同士で人と魔の違いがあった。段階を踏んで行為におよび、腹で育み生んでからも、あるていど自立するには時間も労力もかかっただろう。
「詳しくはないが」
言い置いて、天使は優樹に手を伸ばしてくる。
「魔族は眷属などと、配下をつくることができるのだろう」
そうだ。
静かに目を見開いて、天使の言葉の意味を咀嚼する。
「それを捕食対象にもなる人族に施さず、手順を追って、子を儲けた。――それが答えだろう」
気づきもしなかった。
長年周囲の言葉に惑わされて、人族の親は好きでもない魔族の子を身籠もったのだと思っていた。気の毒な人だと。だが、実際には対等な関係を請われていた。
自らの存在を揶揄する者たちしか居なかったからか、そんな初歩的なことを忘れていた。
今まで築き上げた認識をガラガラと崩され、ひっくり返される。
さっき会ったばかりの天使に。
「……なんで、」
輪郭を確かめるように、頬を撫でられる。
「キサマは人族の親と魔族の親双方の、たったひとつだ」
細める目はまるで、あたたかな感情を灯したように。
腹に響くほど轟いた雷鳴に続き、部屋の明かりが消え去る。
「なんで、そんなことに気づくのに、あんたは自分自身に気づけないんだ……」
引きつる舌で絞り出した声音は、天使に届いただろうか。
頬の冷たくもあたたかくもない、手のひらを包み込む。暗闇の中で存在を確かめつつ、胸を締め付けられるような、どうしようもない切なさが生まれる。
『なぜ』と疑問が生まれるのは、個ができている証。
天使とは本来、神の望みを実行する使命を与えられており、規律を重視してそれ以上でも以下でもない。なのに個性ができたのは、長の天使ひいては神の力が弱まっている証拠。
この天使がどれほど天使として務めているかは知らない。しかし確実に当初より変化しているのだろう。その例のひとつが、自ら願った口減らし。神やそれに従ずる者達に負担を掛けまいとして、思いやる行動が。
神の介入が減ったことにより、生まれた天使自身。
振り返ってみれば、出会った時よりもだいぶ表情が豊かになった。
「雨は――」
狩り場で会った、美しくもどこか寂しげで放っておけない印象を受けたのは、あながち間違いではなかった。
「雨は……あんたを、探しているんだろう」
「我を?」
探されているのは、必要とされているとイコール。
天使を束ねる長・サキエルの司るは、水と雷。
唸る雷雨は、縮小した力を持ってしても捜索している。逆に天使としては、その力の使い方に理解が出来ない。自分を切り捨てればいいと思っているからだ。
双方が互いを想って、背反している。
「大切にする」
自分を大切に思えなかった自分。
それに気づかせてくれた、自身を大切にできない天使。
イビツな思考から、驚くほど人間らしさを覚える。
はぐれた天使は、どうなるのだろう。
「今日は、あんたの生まれた日だ」
かき上げた天使の額に、祝福の唇を落とす。
近づく、雷鳴――。
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