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【天使の謀】今いずみ

夕立が騒ぐ――。 灰色に覆われた空からは、無数の雨が降り注ぎ、窓ガラスを強く叩いていた。 風が唸り鳴いていた。空を走る稲妻が激しい光を放っていた。 それはまるで……今から天使の羽を、もぎ取ろうとする、俺に対する怒りのようだった。 「――キスしていいか?」 薄暗い部屋でそっと尋ねた。 雨に打たれた体が床を濡らす。ガンガンと鳴り響く鼓動が、地鳴りのような雷鳴と共鳴していた。 「……いいよ、だって僕はもう、君しか……いらない」 美しくも儚げな彼がコクリと頷いた。覚悟を決めるようにして、輝く瞳をそっと閉じた。彼もまたびしょ濡れだった。長い睫毛が震えていた。きっとこれは、寒いからじゃない。刻み込まれた恐怖が消えないのだろう。細い体躯は小さな震顫(しんせん)を引き起こしていた。 そんな彼に手を伸ばし、色素の薄い前髪を優しく掻き上げた。形の良い額が露わとなる。不安がる彼を安心させようと、俺はもう片方の手で、彼の左手を強く握り締めた。 「大丈夫……何も心配しなくていい。これからは、何があっても俺が絶対に傍にいるから」 「っ……」 強い決意をもって宣言した。 安堵したかのように、目の前の白い体が強張りを解きはじめる。 彼が顎をそっと突き出した。まるで口付けを赦すような仕草だった。指間を滑り抜ける髪を柔く掴みながら、額へと唇を落とした刹那、窓外で稲妻が強い光を放った。互いの素裸が鮮明に映し出される。それを合図に、俺達は抱き合った。重なった肌が蕩けていく。その神経も心も、胸に抱く存在に感動を覚えた。 恋は落雷の如くと言うが、まさにその通りだ。彼を初めて見た瞬間、俺の恋は光りの速さで走り出していた。ただそれを見つめる事に時間がかかってしまった。その間、彼はたくさんの傷を負った。 あぁ、俺だけの天使。やっと救い出せた。やっと、勇気を出せた――。 ***  初めて出会いは今から五年前、中学一年生の頃だ。 不動産業を営む両親が管理するアパートに、彼が引っ越してきたのだ。アパートは三階建だった。ファミリータイプではあるが、小さな造りだ。八畳ほどのダイニングと、小さな畳の部屋が二部屋あるだけだ。広いとは言い難い。老朽化も進んでいたが家賃が破格という事もあってか、入居者は絶えなかった。そのアパートは自宅から歩いて五分ほど離れた場所に、ひっそりと存在していた。 彼が越してきたのは、夏休み中だったと記憶している。 炎天の下(もと)、三歳年上の兄と自宅庭でサッカーの練習をしていた時だ。「ごめんください」と、淑やかな声が届いた。門扉に目をやると、女性と子供が並んで立っていた。すぐに親子だとわかった。兄が駆け寄り尋ねると、女性は引っ越しの挨拶に訪れたと言った。それを聞いた兄は家の中に居る両親を呼びに向かった。 庭に残された俺は、訪れた親子の様子をジッと見ていた。いや、母親の方は殆ど見ていなかったのかもしれない。 (キレイな女の子だ……)  目線は子供の方へと釘付けとなっていた。 肌が白く、体の線が細い子だった。日の光を反射する、色素の薄い髪がキラキラと輝いていた。それと同じようにして、瞳もまた煌めく色彩を放っていた。まるで人形だと、ただ見惚れていた。 「……大家さんのお子さんかしら?」 「はっ、はい……」  母親が突っ立つ俺へと声をかけた。 慌てた俺は、門を開けに向かった。「ありがとう」と言った彼女の手には菓子折があった。綺麗な女性(ひと)だった。良く似た母と子だと思った。 「はじめまして。あなたも息子と同じで中学生かしら?」  「……えっ、息子?」  どこに居るのかとキョロキョロと見渡したが、息子らしき姿は見当たらない。 「この子、中学一年生なの。仲良くしてもらえたら嬉しいわ」 「この子って……え?」  まさかと、驚き目を送った。 「……はじめ……まして」  小さな唇が動く。消え入りそうな声だった。白い頬は朱色に染まっていた。 (……人形が、喋った)  思わず、あんぐり口を開けていた。しかし驚いたのはそこじゃない。そう、母親は確かに息子と言った。この子は女子では無かったのだ。俺と同じ、男子なのだ。 (嘘だろ……こんな事ってあるのかよ) 心臓が煩かった。顔は絶対に真っ赤だっただろう。 人生で初めて男を可愛いと思った。痺れるような電流を味わったのも初めてだった。 「はじめまして……」  振り絞った声は緊張で震えていた。目の前少年……いや天使はそんな俺に、そっとと微笑んだ。 「君、とっても格好いいね……」 「っ――!」  脳がクラリと揺れていた――。  彼とは同じ中学校に通う事となった。  見た目も性格も正反対の俺達だが、すぐに打ち解け仲良くなった。お互いの家にも行き来しては、勉強に勤しみ、ゲームを楽しんだ。一緒に居るだけで楽しかった。彼の全てが大好きだった。この時は、恋愛感情の自覚は全く無く、友達の中で一番好きといった、単純な気持ちだけだった。 けれど、彼が笑うだけで幸せだった。 彼は母子家庭だった。アパートには母親の交際相手である男も一緒に暮らしていた。 母親は朝から夕方まで近くのスーパーでパート勤めをし、男は町工場で働いていた。三人で仲良くやっている様子であった。 ある事を目撃するまでは――。  中学三年の、ある冬の日。  彼の白い頬に青痣があった。内出血が酷かった。一体何があったのかと問うと、転んだだけだと言って笑われた。 最初はそれで納得したが、どうもおかしいと思ったのは、それから数日後。体育の授業が始まる前だ。 彼はどこか落ち着かない様子であった。隠れるようにして、体操着の着替えをしていた。 細い腕や腰回りが露わとなる。思春期を迎えた男にしては、ひどく頼り気無くて細い。女子とは違う、何とも言えない色香が彼にはあった。 そう感じているのはきっと俺だけじゃ無い。 クラスメイトの男子も彼の着替える姿へと盗み目を送っていた。 (ジロジロ見やがって……) やましい視線から護るようにして、彼の隣を陣取った。そして先に着替え終えた時、俺は発見してしまった。 彼の上半身に残る数々の傷や青痣を。気が付いた時には彼の細い腕を取って保健室へと向かった。保健医は不在だった。どうしたのだと詰め寄ると、彼はまた転んだと言った。嘘だと直ぐにわかった。あれは明らかに誰かに殴られた痕だ。危害を加えられたのだ。俺の心が怒りで燃えた。 この美しい彼を、誰が傷付けたのか……憤怒の感情が迸ったが、彼の手当てが最優先だと怒りを一旦鎮めさせた。 「――脱げよ」 「えっ……?」  その一言に彼は大きな瞳を不安気に揺らしていた。脱ぎたくない。そう訴えているようだった。 「脱げって言ってんだよ。手当してやるから」 「っ、いいよ……本当にもう、大丈夫だから」 「大丈夫なわけあるかよ!」 「――っ!」  大声に威圧されたのか、薄い肩が跳ね上がった。 「っ、あ……ごめん、俺はただ、お前が心配で」  怖がらせたと、謝罪した。彼はフルフルと首を横に振りながら言った。 「心配してくれて、ありがとう……酷い見た目だけど、本当に大丈夫だから……痛っ!」  引き攣った声で彼は痛みを表現した。 「嘘つくなよ。腫れてんじゃねぇか」  体操服をたくし上げ、脇腹の痣へと掌をあてた。細い……本当に、細い。なによりも―― (――綺麗だ)  確かに傷だらけだが、彼の躯体は美しかった。それはもう、思春期真っ只中の脳をヒートさせるほどだ。 もっと触ってみたいと、邪な欲が過ったが、振り払った。こんな時に何考えているんだと、黙々と手当を施した。その間、彼も無言だった。 怪我の理由は決して聞いてくれるなといった意思表示があった。これ以上、彼の心の領域に無理矢理に踏み込む事は許されない。きっと嫌われてしまう。 拒否を恐れた俺は何も言えないまま、滑らかな肌を労わるようにして撫でた。 この時より、彼の傷は治ったり出来たりを何度も繰り返していた――。 月日は流れ、俺は有名私立高校、彼は公立高校へと進学した。あの怪我の原因は結局分からず、聞けず仕舞いだった。  彼と会う機会も自然と減っていった。 アパートを訪れても留守ばかりであった。学校が違うだけで、こんなにも会えなくなるものかと、何とも言えない寂寞感が押し寄せる中、彼の身が気掛かりだった。しかも―― 「……えっ、引っ越した!?」  高校一年の夏。彼が引っ越したと両親から聞かされた。話によると突然の退去だったとの事だ。どうやら母親と男が別れたらしい。  だったらどうして何も言ってくれなかったと、連絡をつけようとしてもスマートフォンを持たない彼とは連絡の手立てがない。俺は彼の通う高校へと翌日向かったが、先日自主退学をしたと、クラスメイトだったという男子生徒に聞いた。  突然の別れだった。 どうして、もっと、会いにいかなかったのだろう。  どうして、もっと、勇気を出して彼に踏み込まなかったのだろう いや、違う自分で制御していたのだ。 初めての出会いから今まで、同性である彼を特別な感情で見ていた事を、気付かない振りをしてきたのだ。 そう、俺は彼が好きだ――。友情じゃない。明らかな思慕だ。  初恋の自覚だった。鮮烈な感情が体中を突き抜けた。それは稲妻のようだった。 別れと共に落雷した恋は、それから俺を何度も苦しめた――。  もう会えないのだろうか。  どこかで偶然再会する事はないだろうか。そんな願いも虚しく、二年が経過した。高校三年となった今、この恋は色褪せるどころか、濃くなっていく一方であった。そして考えていた。彼は虐待を受けていたのではないかと。  思い当たる人物は母親が交際していた、あの男しか考えられない。何故あの時救い出せなかったのか、嫌われる事を恐れず、踏み込もうとしなかったのか、後悔の連続だった。  そんなある日、告白を受けた。隣のクラスの女子だった。男子の間では人気だという。見た目は少し派手だが、確かに可愛い。スタイルも良かった。 「取り敢えず試しにデートしてみない?」そう言った彼女は俺の返事など聞かずに勝手に日時を決めた。 正直、彼女の事は気にも留めてこなかった。存在すら曖昧だったからだだ。好きだの嫌いだのといった感情すらない。そんな気持ちで一緒に出掛けるのは申し訳無いと、断ろうとしたが、結局押し切られてしまった。約束は次の日曜日。水族館に行く事となった。  寡黙な俺とは違い、彼女は一生懸命に話に花を咲かせてきた。 傍から見れば、こんな可愛い女の子を連れてと、羨ましがられるだろう。しかし俺の心にはシコリがあった。 原因は自分が一番良く分かっている。 『君、とっても格好いいね……』  記憶の中の彼が天使の微笑みで、俺を呼ぶ――。 (あぁ、俺は一生この気持ちを引き摺って生きいくのか……) もう疲れた。 この恋は実りもしないどこか、再会すら果たされない。誰も愛する事もないまま、この長い人生を生きていくと思うと、途方に暮れる想いだった。 「それでね、可笑しいの。担任の先生ったらね……」  水族館を巡ったあと、多くの人が行き交う大通り沿いの歩道を彼女と並んで歩いていた。高いソプラノ調の声を、どこかぼんやりと聞いたまま、ふと見上げた。夏空が夕焼け色に染まっていた。いい時間だろう。 これで解散しようと口にする前に、察した彼女は慌てて言った。「ショッピングに付き合って欲しい」と。 きっと帰りたくないのだ。俺ともっと一緒に居たい。そんな願望が表情に出ていた。 憂鬱な気分に駆られたが、それを隠して「いいよ」と頷いた。彼女はメイクバッチリの顔を綻ばせた。 (女って、これぐらいで喜ぶんだ……) いっその事、彼の事なんて忘れて、彼女と交際し楽になってしまおうか。そんな考えが過った矢先…… 「――――っ!?」  瞳の先に捉えた姿に、息が止まるほどの衝撃を受けた。 そう、人混みの中に見つけたのだ。色素の薄い髪が風に舞う。オレンジ色の夕陽が白い肌を反射していた。その背にはまるで羽が見えた。彼(てんし)だ――。 「っ……ごめん! 俺っ、帰る。今日はありがとう!」  次の瞬間、人の波を掻き分けて駆け出していた。 「えっ……ちょ、ちょっと!?」  呼び止める彼女の声には一切振り返らずに、流れに逆行するようにして彼の背を追った。擦れ違う多くの人と肩がぶつかった。それでも気にもせずに走った。縺れそうな足で必死に走った。 しかし、その後姿はあっと言う間に見失ってしまった。まるで夕闇に解けるようにして天使は消えたのだ――。 「……クソ……っ!」 横断歩道の手前で地を踏み蹴ったあと、俺は自宅の方へと急ぎ向かった。ただ、会いたかった。諦め切れなかった。  湿った風が吹きつける。空はあっと言う間に灰色に染まり、雷が唸り出した。まるで行き場を無くした恋心が叫んでいるようだった。夕立が迫っていた――。  空は一層暗くなっていた。 降りしきる雨の中、住宅街をとにかく直走った。雨は勢いを増す一方で、辺りは霧のように白く煙っていた。 街中でみた人物が彼だとう確証は確かに無い……いや、あれは彼だ。見間違えるはずがない。彼はきっとこの街にいる。そう強く確信を持って、ある場所を目的地としていた。 (……絶対にいる、絶対に)  あのアパートに行こうと思った。彼が呼んでいる気がした。  アパートは近々、取り壊しが決まっていた。春には全ての住人が退去しており、今は誰も住んでいない。土地は区が買い取り、今後、ボランティア施設が建設される予定だ。そんなアパートを路地から見上げる一人の人物がいた。予感は的中した。雨に打たれるその後姿は相変わらず細く、今にも崩れそうだった。 「――っ、はっ……はっ、はぁっ……見つけ……た!」  息切れる声で呼んだ。しかし彼は動かない。ただ空を仰ぎ、降る雨を全身で感じていた。そして言った。 「……追い掛けてきてくれたんだ」  久し振りに聞いた声は少し震えていた。 「き、気付いていたのか? じゃあ、どうして……」  俺の存在を知りながら何故立ち止まってくれなかったのか、そんな意味合いを込めた。 「うん……だって、楽しそうにデートしていたから」 「あれは、違うっ……!」 「違う? 何が? 彼女なんじゃないの?」  ここでやっと、彼は俺へと振り向いた。 「っ……」  相変わらず美しい容姿に息を飲んだ。聞きたい事がいっぱいあったが、言葉が上手く紡げない。焦がれていた彼との再会がそうさせるのだ。会いたくて仕方が無かった。 「……向こうに行く前に、もう一度君に会いたくて……戻ってきたんだ」 「向こう……って?」  どういう意味だと問い返した。 「……うん。来週に、お母さんの実家に行くんだ……そこに住む事になったから」  聞くと、彼の母は山陰地方出身との事だった。 本当の別れを意味していた。 「っ……なんで、なんで、何も言わずに姿を消しんたんだよ! 俺がどれだけ心配したか!」  責めるつもりは無かった。ただ、感情がぐちゃぐちゃに絡まっていた。 「……ごめん」  何故か彼が謝った。その瞳は切なげに潤んでいた。泣いているのか、それとも雨なのか、分からないが、双眸の奥が滲んでいるのは確かであった。 「だって、言えなかった……こんな汚れた僕は……君と友達でいる資格も無かった」 「なんだよ……それ、汚れた?」  意味がわからないと彼の細い肩へと手を伸ばしたが―― 「――っ、触っちゃ駄目だ!!」  その身は引かれ、雨音に交じって鋭い叫びが飛んだ。 「どうしたんだよ……なぁ、何があったんだよ!? 俺達、あんなに仲良かったじゃないか!」  拒否された事は確かに辛い。それでも俺は逃げずに彼の心へと踏み込んだ。 「……君は、本当に優しくて綺麗だから」  ポツリと言った声はあまりにも小さい。彼は自らの体を掻き抱きながら、何が起きたかを明かし出した――。  あの傷はやはり母親の交際相手から受けたものだったらしい。 ちょうどあの頃、男は町工場を解雇になったとの事だった。不況の煽りを受け、工場が人員削減に踏み切ったらしい。 結果、生活費を稼ぐために母親は働き詰めとなり、無職と成り下がった男との関係に当然亀裂が入りはじめた。しかも長引く不況のせいで、男の方は次の職もなかなか決まらない。フラストレーションを募らせていった。その感情の行き先は、当時中学だった彼へと向かう羽目となる。 ある日突然、殴る蹴るの暴行が始まったのだ。母親が止めてもそれは収まらず、それどころか母親にも暴力を振るう始末だったとか。母親が男に別れを切り出せば、暴力はヒートアップする一方だった。 そこに変化が起きたのは、彼が高校入学したての頃だという。それは母親が留守中に起きた。彼は突然男に押し倒されたのだ。またいつものように暴力を振るわれるのかと身構えた彼だったが、違った。 男の手は彼の体を厭らしく這い回ったという。明らかな欲情だった。その出来事は、彼を一気に絶望の底へと叩き落とした。そのまま男に穢された彼は、心に深い傷を負った。全てを知った母親は彼を連れ、逃げるようにしてアパートを出た。 そこまでの話を彼は淡々と語った。 (そんな、事が……起きていた……のか)  言葉が出なかった。  自分は何も知らなかったと、凄まじいショックが襲っていた。 怪我を発見した時、もっと自分が動いていたら、働きかけていたら、何かが変わっていたのかもしれない。行動を悔いた。けれど時間は巻き戻せない。彼は一人で傷付き、苦しんできたのだ。  足が思わずフラついた。パシャリと、スニーカーが水溜りを踏んだ。 「もう、生きていけないと……思った……あいつに犯されながらも、君が好きだという気持ちだけは、最後まで捨てたく無かった」 「え……?」  今、彼は何と言った? 俺はただ瞠目した。 「ごめんね、ごめん……本当はこんな気持ちを捨てて、お母さんと一緒に行くつもりだったけど」 心に痛いほど響く涙声が、俺の心を揺さ振る。 「やっぱりこの地を離れる前に、君に会いたくて――だから……っ!?」  言葉を待たずして、彼の体をひん抱いた。堰を切った感情ごと、強く強く抱き締めた。 「なんで、なんでお前が謝るんだよ……謝るのは、俺だ……あの時もっと俺が……っ」  勇気を持って救いの手を差しのばしていれば、この恋心を少しでも早く認めていれば、俺達の未来は変わっていたかもしれない。しかし彼は俺の胸の中で頭(かぶり)を振った。 例えあの時、俺が何らかの行動を起こしていとしても、何も変わっていなかったと言っているようだった。 実際そうだろう。中学三年の子供に一体何が出来た? じゃあ今は? 俺は今、彼に何が出来る――?  もう、腹を決めるしかないだろうと、覚悟を決めた。 「――俺も、ずっと、ずっと好きだった……初めて会った時から、お前が好きだった!」  秘めてきた想いをやっと口にした。 「っ――嘘……?」  細い両肩がビクリと大きく跳ね上がった。顔を弾け上げた彼の双眸は驚きに満ちていた。まさか同じ感情だとは思わなかったのだろう。 「嘘じゃない……初めて会った時から、なんて綺麗な子だって感動してた。天使みたいだって……」 「でも、僕はもう綺麗なんかじゃ……あっ!」  否定する彼を更に抱き寄せた。細い背が湾曲する。 「綺麗だよ……お前は綺麗だ」 「そんな事……無い……っ、だってもう、この体は……っ」  穢された事を彼は嘆いているのだろう。確かにその事実は消えない。けれど―― 「馬鹿……俺を一途に思ってくれただけで充分なんだ。それだけで……お前は誰よりも、綺麗だよ」 「っ……!」  息飲む呼吸音が聞こえた。 そう、彼の心は綺麗なままだ。それは何も変わらない。例え体が穢されていようと、彼が俺を想い続けていた限り、その内面までは誰も汚せない。 彼の首筋に顔を埋めて、匂いを精一杯嗅いだ。抱き締める腕の力を強めた。濡れた衣服がしっとりと吸い付き合った。 「いいんだ。もう、いい……こうやって会いに来てくれただけでいい……」 「っう……君は……どうして、昔から……っ、うぅっ、あぁ、うぁぁぁ……!」  咽び泣く彼を、しっかりと抱擁しながら、俺は耳元で囁いた。 「――おかえり」と――。 *** 「っ、はっ……ぅん、あぁ――っん!」  喘ぎが止まらない――。  獰猛な腰遣いが僕の体を背後から揺さ振ってくる。肌と肌が、淫猥な打音を鳴らしてぶつかりあっていた。狂おしい肉摩擦が次々と生まれていく。 結合部は蕩けに蕩け、もうグズグズだった。滾りをもった生雄が抽挿を繰り返す度に、中に放たれた白濁熱がどんどん溢れ出してくる。 もう、どれくらいの時間、体を繋げただろうか。  此処は彼の部屋だ。あれから僕達は過去からの想いを爆発させるようにして情交に傾れ込んだ。額への口付けをスタートに、丁寧な求愛と愛撫がスタートしたが、今はもう、そんな動きはない。まるで獣だ。僕を貫く彼は、とても情熱的であった。  そう、これだ。これが欲しかった――。 「っあ……ぁあ、そこ、駄目ぇ……っ!」 「駄目って、さっきから奥がめちゃくちゃ、うねってる……っ」  ズンと、最奥の窄みを穂先で抉られた。臍奥が蠢いた。 「っひ――っ、あぁぁ……んっ――!」  一番弱い箇所を突き捏ねられ、逃げようとした腰は逞しい腕によって阻止された。そのままガクガクと奥を固定されたままの突き上げが容赦なく始まる。 「っは、凄ぇ……腰がバカになるっ……!」 「あっ、はぅ……っ、待って、待って……強いからっ……!」 (あぁ、なんて、なんて幸福感だろうか……)  揺れる世界で、愛される恍惚に酔い痴れた。 やっと手に入れたと、気が狂いそうな快楽に身を委ねながら、僕は口端を上げて、ほくそ笑む。後ろにいるからは、その表情は見えないだろう。僕がどんな顔をして笑っているかなんて、彼は全く知らないのだ。 長かった。彼が本気で僕を攫う決意に辿り着くまで、本当に長かったと、腰律動を受けながら、出会いからの日々を想い返していた。 彼は僕の事を天使だというけれど、彼のそこ心こそが僕は天使だと思う。 彼を初めて見た瞬間から、その無垢な恋心に気付いていた。けれど、同性同士ではどうしてもストッパーがかかってしまう。それを長年かけて僕が外したのだ、鮮烈なイメージを植え付けながら。 あの傷は全部嘘だ。 母の男に穢されたのも嘘だ。全部全部、僕が作り上げた、嘘の塊だ。 なぜそんな事をしたのか。 確実に、この優しい男が欲しかったからだ。心ごと欲しかったからだ。刹那的な感情だけじゃなく、永遠に自分だけのものにしたかった。この恋は一生で無いと意味が無い。それにはスパイスが必要だ。 彼の前から姿を消したのは、母があの男と別れた事が一番の原因だ。それだけは合っているが。僕はそこを利用した。高校を退学したのも全部僕の計画だ。会えない時間をあえてつくったのだ。そうすれば、彼はもっと僕を想い続ける。罪悪感と共に――。 会えない二年間は辛かったが、こうやってやっと実を結んだのだ。 「出していいか……っ、またお前の中に、全部……っ」  高速のピストンを行いながら、彼が爆ぜる熱を宣言した。 「んっ、出して……僕を君で、いっぱいにして……っ!」  上擦った声で、最奥部での野種付けを強請った。 埋まった竿肉は、みるみるうちに根元から嵩を増しブルリと脈動した。近い、来ると、僕が下腹の力を抜いた時―― 「っ、ぐ……はっ、出るっ……!」 「はっ、ぁ……あぁぁ――ぅっ……んっ!」  鋭利な射精だった。まるで的を射る勢いだった。粘ついた熱がどんどん胎の中へと染み渡っていった――。 もう彼は僕から一生抜けだせない 庇護欲と深い愛情、その全てを僕に向けてくれるだろう。そう持って行ったのは、僕だ。 僕が天使だというのなら、その羽は果たして何色なのだろうか。灰色か、黒いか、或いは―― (彼からしたら、白に見えるんだろうね……) 窓の外が光る。 雨は続いていた。俺だけの天使と言いながら、彼は僕の体をひたすら貪った。 今でも忘れない。初めて僕を見た時の君の顔。まさに「恋は落雷」だった。でもそれは僕も一緒だ。 夏空の下、その素直で綺麗な心に捕らわれた。 本当の天使は僕なんかじゃない。君なんだ。だって君は…… 「誰よりも、優しい――」

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