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【波間にパラソルを持ち込んで】弓葉

 照りつける太陽の光。その光に反射して赤いオープンカーが海岸へと繋がるカーブを走っていた。青い海と白い砂浜に赤い車はよく目立つ。  海の家でバイトをしていた日焼け青年は、手で日差し避けを作りながら車を見ていた。赤いオープンカーは駐車場に止まり、運転手が車から降りる。青年の目線からは白い点に見えた。  あれ? 今、何か光った気がする。  鏡で反射したような光が目に刺さった。光の正体を突き止めようと目を凝らせば…… 「おい、この忙しいのに何ボーッとしてんだ!」 「あいたっ……!」  海の家の店長に怒鳴られ、手ではたかれた。 「へいっ! すいません!!」  青年は店長からお盆にのった焼きそばを渡され受け取った。それを「3番テーブルに運べ」と言われ、混雑した店のなかを足早にすり抜け運ぶ。  青年は赤いオープンカーのことを忘れ、仕事に戻った。  そして、『赤い車』を思い出したのは数十分後――。 「ちょっと、いいかな?」  一息ついた青年に声をかけてきたのは、白いハットに白いスーツの胡散臭い男だった。 「あ、さっきの」  赤いオープンカーに見えた白い点を思い出した。青年は目を丸くしつつ、さっき見えた白い点はこの人だったのだと納得をする。 「ん? 俺と会うのはピアチェーレなはずだが?」 「ぴ、ぴあちぇれ……?」  聴き慣れない言葉に青年の頭はフリーズした。必死に近い言葉を引き出すが、何一つひっかからない。 「おおっと、向こうの言葉が出てしまったか。すまない。ピアチェーレは『はじめまして』って意味さ」  握手を求められ、青年は怪しみつつ応じた。胡散臭い男の手は青年よりも大人な手だった。甘くミステリアスな香りが青年の身体を包み込む。 「ぶええくしょん!!」  嗅ぎ慣れていない臭いに反応して、盛大なクシャミをした。ズルル、と垂れた鼻水を吸い込み、鼻先を人差し指で拭う。 「ふはははっ! 盛大な歓迎をグラッツィエ!!」  多少、鼻水が白いスーツにかかったかもしれないのに男は気にしなかった。白く磨かれた歯をむき出しにして豪快に笑っている。 「あ、すいまっせん!!」  見たこともない高価なスーツを汚してしまった、と気づいた青年は謝った。持っていたタオルで拭こうとすれば断られる。 「ジョヴィネッツアの汗が染みこんだタオルは勘弁してくれ」 「じょ、じょねつあ?」  また理解できない言葉が聞こえてきた。青年が理解に苦しんでいれば、その様子をスーツ男は嬉しそうに笑っていた。ひとしきり笑い終わったあと、スーツ男は波打ち際を指さして静かに告げる。 「波間にパラソルを置いてくれないか?」  男が指さす先に見えるのは、寄せては返す波。浜辺に白い飛沫を散らしている。 「はい?」  理解できずに聞き返せば、男はスルーをして話を続けた。 「そしてよければ君にも一緒に座ってほしい」 「はい?」  知り合いでもなければ、この男とは『はじめまして』だ。誰かの知り合いだったか、青年は必死に記憶の糸をたぐりよせていた。だが、誰一人思い当たる人が出てこない。  黙り込んだ青年に男は何かを思い出したかのように言った。 「そうか、飲み物を注文しなかったね。すまない、この海に合うブルーサイダーを1つ」 「ブルーサイダー1つはいいですけど、波間にパラソルはちょっと無理かと……」  浜辺に立てられたパラソルセットを見て、テーブル席へと案内しようとすれば断られた。もう一度「無理です」と告げると不思議そうに男は首を傾げる。 「どうしてだい?」 「倒れちゃうと思うんです」  テーブルはプラスチック製なので軽い。上手く設置しなければ、波に流されてしまうだろう。 「やってみないとわからんだろう。どうして無理だと決めつけるんだ?」  それでも男は引き下がろうとはしない。頑なに『波間にパラソルを置け』と要求してきた。  ……めんどくさいお客さんだなぁ  青年はしぶしぶ浜辺に設置したテーブルを持ち上げて浅瀬に置いた。そのままだと波で流されてしまうので砂を入れた重りをつける。  そして、テーブルに空いた穴へパラソルを差し込んで傘を広げた。バサリ、と白いパラソルが大きく開き、内側に海を映す。 「これで、いーですか?」 「ペルフェット!」  スーツ男は満足そうにパラソルとテーブルを見比べた。怒ってはいないから『満足』してるらしい。 「ではこれで……」  青年が立ち去ろうとすればスーツ男は引き留めた。 「君もここに座りたまえ。お昼は過ぎたしヒマだろう?」  パチン、と指を鳴らして浜辺に置かれたプラスチックのイスを指さす。 「え? いや俺は……」  バイト中なんで、と断ったがスーツ男も引き下がらない。しぶしぶ青年はイスを持ち上げて海の中に足を踏み入れた。だが、履いていたビーチサンダルの隙間から砂が入って気持ち悪い。  青年はイスを持ちながら砂浜に戻ると、履いていたビーチサンダルを脱ぎ捨てた。海にさらわれないように離れた場所に置く。 「私も靴を脱ごうかな」  スーツ男は履いていた白い革靴を脱ぎ、青年が置いたビーチサンダルの隣に置いた。 「スーツ、汚れるけどいいんすか?」 「構わん、また買えば良い」 「お金持ちはいいっすね」 「ほう、言うねぇ……」  スーツ男は手をあごに当てて撫でる。そして、目つきが鋭く変わった気がした。その反応に青年は怒らせたと気づき謝る。 「いやいや、良いんだよ。君は純粋なんだから」  ニコリと笑う笑顔に、青年は「本心から笑ってないでしょ」と言う。スーツ男は「バレたか」と笑った。 「それは本心から笑ってる」 「ジョヴィネッツアにはわかるのかい?」 「まぁ、なんとなく……」 「君はソッリーソの天才だ!」 「そっりそーは笑顔って意味ですか?」 「おっ? 私の言葉に興味を持ったのかい? 良い傾向だ」  パチン、とウインクを返され恥ずかしくなった青年は目線をそらすように、履いていたジーンズを膝丈まで捲し上げて、海の中へと入りイスを置いて座った。  海は砂浜と熱さが違い、冷たくて心地いい。 「おいおい、待ってくれ」  一方、スーツ男はスーツを捲し上げることなく海へと入る。腕を肘掛けに置き、青年と相まみえた瞬間――「ぶはっ!」青年が吹き出すように笑った。 「あ、すみません。なんだか、おかしくて……」 「若いっていいねえ……うらやましいよ」  何を考えているのか全くわからない。笑ってしまったことにスーツ男は怒るかと思っていたのだが、一切怒らなかった。代わりに怒ったのは別の男。 「こらあ! 海斗(かいと)! サボってんじゃねーぞ!!」  5メートル離れた海の家から店長の怒号が飛んでくる。 「すみません! 仕事の途中なんで!!」  イスを持ち上げ、バチャバチャと水飛沫をあげながら海を出た。脱ぎ捨てたビーチサンダルを履けばスーツの男は後ろから声をかけてくる。 「カイト! お金を忘れてるよ?」 「あっ!」  ヒラヒラと千円札を掲げるスーツの男。海斗はビーチサンダルを履いたまま、波間のパラソルへと戻る。 「お釣りはいらないから」 「はい」  千円を取ろうとした海斗の手首はスーツ男に握られた。 「え?」  そのままグイッと引き寄せられる。男の顔とぶつかりそうになり、海斗は目をつむった。  唇に細く湿ったものが当たる。海斗の身体は上手くコントロールされ、勢いよくぶつかることはなかった。海斗は不思議に思って目をあければ、スーツ男と目があう。 「いいスティーモロだ」  スーツの男はペロリと自身の唇を舐め上げる。海斗は何が起こったのか理解できず、その場にへたり込んだ。海の中に着地し、ジーンズだけではなくパンツも濡れたが、それ以上に『男とキスをした』事実を受け入れられなかった。  パクパクと口を開けては閉めて、起きた出来事を整理する。 「え? 今、キス、した?」 「ふふっ、考えていることが口に出るタイプだね」  海斗が尻餅をついた状況で見上げれば、スーツ男は白いテーブルに頬杖をつきながらニコリと笑う。だが、今回の笑顔はニセモノなのか判断できない。海斗は心を乱されてしまった。  理解していたつもりが、ふりだしに戻る。胡散臭い男は隙を与えてはくれない。 「私のことを知りたければ、夜にまたここにおいで」 ***  昼間青く輝いていた海は、黒い闇へと変わった。一寸先も見えない海の果て。  海斗は懐中電灯を片手に夜の浜辺を歩いていた。 「別に、あんな男が気になるわけじゃなくて散歩、散歩だからな!」  強く自分に言い聞かせ、本当にいるかどうか分からないスーツ男を探していれば、光の先に白いものが見えた。 「うわっ!!」  びっくりして叫べば、白いものはゆっくりと海斗に向かって動く。スーツ男が砂浜に寝転がっていた。 「し、しんでるかと思った……」  バクバクと激しく動いている心臓に手を当て深呼吸する。落ち着く気配は一向にない。 「ボナセーラ」  ゆっくりと身体を起こし、顔の上に乗せていたハットを手に持つ。優雅な立ち居振る舞いに、普段、海斗はあいさつをする時は頭を下げないのだが、不自然なくらいに頭を下げた。 「ぼ、ぼなせらー」 「若いっていいね、本当に来てくれるなんて思わなかったよ」  ふふっ、と大人の笑みを浮かべて男は立ち上がった。海斗の前に立ち、ツンツンした髪を撫でる。海斗は頭を撫でられた嬉しさと恥ずかしさが混ざり合い、羞恥心が勝って、男の手を払った。 「乱暴だなぁ」 「子どもじゃないので」 「いや、私から見ればカイトは子どもさ」 「子ども扱いしないで下さい」 「怒った?」 「少し」 「ごめんね」 「うわっ!」  一気に距離が近くなる。突然、男に抱き締められた。自分よりも大きい身体。同い年と違う筋肉。そして――甘く惹き寄せられる香り。 「夜の海に来たってことはそういうことでいいんだよね?」  大人特有の伏せ字に海斗は何も言わずに頷いた。 「あっ、んっ……」  懐中電灯は海斗の日焼けした肌を強く照らす。光で白飛びした肌に男はキスマークをつけた。ちゅ、ちゅっと、甘い音が、さざ波の音が響く砂浜で反響しあう。海斗の下には男が着ていた白スーツが敷かれていた。  だんだん、くすぐったくなって身をよじれば、逃がさない、と言うように身体を掴まれる。その独占欲が気持ち良かった。 「あっ……」  独占欲に酔いしれていれば、衣服を脱がされる。ラフな格好の短パンを穿いていたので、下着もするり、と取り払われた。  男はポケットからローションを取りだすと人肌にあたためる。くちゅくちゅといやらしい音が波音と重なった。  やんわりと海斗自身に触れ、つつみこむ。男の手は海斗よりも大きかった。ゆっくりと上下に動き、もどかしい刺激を与えれば、海斗は腰を浮かす。 「ふぅ……っ」  じわり、と汗が垂れ落ちる。タオルを探そうと下半身に手を伸ばしたところで、短パンと一緒に脱ぎ捨てたことを思い出した。  海斗の伸ばした手を男は逃がさなかった。ローションでぬめぬめになった手で、海斗の手首をつかむ。 「ひっ……!」  突然、手首を掴まれ海斗はビクリ、と身体を震わせた。だが、ローションはよく滑る。ちゅるん、とすぐに解放された。 「な、なんだよ?!」  予想していなかった行動に海斗は冷静さを取り戻す。熱はどこかへ去って、疑うような目線で男を見た。そういえば、この男の名前を知らない。 「な、名前は? 名前を教えろよ」 「Bruno」 「ブルーノ……」  ブルーってことは青。海が好きなのかな。  海斗が名前の由来を考えていれば、ブルーノは海斗の蕾に指を入れる。 「うわっ!」  初めての感覚に、びっくりして情けない声をあげた。 「Metti dentro」 「え、ちょっとまって、いま、なんてっ……あっ!」   お腹に意識をしていれば「ダイジョブ?」っと、カタコトな日本語が聞こえてくる。こういう時に限って、外国人のフリをするなんてヒドいやつだ。 「……っ、もっといたいかと思ってた」 「ん? どうして」 「だって、ケツに刺さってるんだもん」 「ふふっ、『刺さる』じゃなくて『繋がる』にしよう。その方がもっと気持ち良くなれる」 「日本語詳しいね。誰かに教わったの?」 「想像にお任せするよ」  ブルーノが本格的動き、海斗は喘ぐ。手を繋ぎ、涙目になりながらキスをした。今まで感じたことがない吐精を覚え、次に目を覚ました時は、ホテルのスイートルーム。  広すぎる部屋をくまなく探したが、ブルーノの姿はなかった。夢だと思いたいが、腰痛は現実を訴えかけてくる。  手ぶらで来たので、お金の心配をしたが、何も払わずにチェックアウトができた。 ***  今年も夏がやってきた。浜辺に並ぶ白いパラソル。海開きで人はにぎわい、海斗は大忙し。だけど、今年で終わりかと思えば少し寂しくなった。 「海斗! はよ動かんかい!」 「へいっ!」  海斗の声に重なるように、パッパーとおしゃれなクラクションが聞こえた。音がする方を見れば赤いオープンカー。今年も白スーツにハッとを被ったブルーノが手を振った。   あの夏の日の思い出がよみがえる。

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