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【蚊帳の中で待ちぼうけ】睦月なな
<週刊ラジヲニュースのお時間です>
一週間前の発砲事件について、犯人二人組は未だ捕まっていません。
被害者は身元不明の男性。腹部と足を撃たれ、意識不明の重体です。犯人二人組は片山組の構成員と思われ、被害者との関係を捜査中とのことです。
ーーー
<煙草屋の二階>
何?あんた。どこから来たの。ふーん、都会の人がこんな郊外になんの用?
頼まれごとをされた?俺に?あ、もしかして……俺、今はウリなんてしてないよ。おじさん、けっこうかっこいいけど、今は特定の人がいるから。
……え、違うの。じゃあ煙草?煙草なら売ってるよ。下の売り場に適当に置いてあるから、お金置いて、持ってっていいよ。
煙草は吸わない?じゃあ、あんた本当に何しに来たのさ。
話をしに来た?
話をすることなんて何にも……え?銀仁朗のこと……?
ーーー
<好奇心旺盛な初等部の子どもたち>
ぼくは、ともだちの嗣秋 くんと先生の所へ行った。
先生は生まれつき目が見えないらしくて、杖を持っている。
算数係のぼくたちは、先生が使う大きな三角定規や教科書を持ってあげる。
先生の荷物を少しでも減らしてあげるためだ。
ありがとうと言ってくれる先生の優しい声が好き。
五限目の算数が終わって、みんなが帰りの会をして帰っていくと、ぼくたち二人はもう一度先生の所に行く。
ぼくが不思議だなぁと思っていることを聞いてもらう為だ。
ガラガラとすりガラスが嵌め込まれた木製の引き戸を開けると、先生が椅子に座ってご本を読んでいた。
点々のついたご本だ。
「おや、貞一 くんと嗣秋くん。今日はどうしたんですか?」
「先生は、どうしてぼくたちが来たって分かるの?」
先生は目が見えないはずなのに。
「貞一くんの足音はいつも軽やかで早足です。嗣秋くんの足音はいつも落ち着いていてゆっくりなんですよ。それにランドセルの学業御守りの鈴も聞こえました」
「足音なんて、みんな一緒じゃないんですか?」
嗣秋くんがそう言うと、先生はふふふと笑った。
「私には全く違う音に聞こえるんですよ」
「先生!何でぼくのランドセルに学業御守りが付いてるって知ってるの!?」
「ランドセルに付いてる御守りといえば、学業御守りか交通安全御守りかなと……一か八かでしたが、当たりましたか」
先生は不思議な人だ。
何も見えないって言いながら、ぼくたちよりもずっと見えているのだ。
「先生、あのね、この間、不思議な人を見たの」
「不思議な人?」
「麹町三丁目に煙草屋さんがあるの。昔はおじいさんがやってたんだけど、今はお兄さんがやってるの。だけどね、そのお兄さんも一週間前から全然お店にいないんだ。お休みの時は『お休みします』って貼り紙するのに、今回はシャッターが閉まったままなの。お父さんの煙草、全然買えないから、もう少し先の煙草屋さんまでお使いにいかなきゃいけないんだ……あれ?お話が逸れちゃった。えっとね……何が不思議かって言うとね……」
ぼくが説明に困っていると、嗣秋くんがすかさず助けてくれた。
「雨降りの日、二人で帰っていたら、煙草屋さんの二階の窓がずーっと開いてたんだ。中に人がいたら閉めるのに、誰も閉めに来ないんだ。それと、煙草屋さんの前に傘もささずにぼーっと男の人が立ってたんだ」
「……二人はその男の人に声をかけたんですか?」
ぼくと嗣秋くんは顔を見合わせて、「うん」と答えた。
『おじさん、どうしたの?』
『……晴海 ……煙草屋の兄ちゃんに会いに来たんだが、入れないんだ』
『お店の横に階段があるよ。そこから上がれないの?』
『……上がれないんだ』
『嗣秋くん。上がってみよ!』
『あ!待って、貞一!!』
「勝手に他所様のおうちに上がるのは感心しませんね」
先生がぼくたちを戒めるように言う。
「ごめんなさい。でもね、とても気になったし、お兄さんのこと心配だったから」
「……それで、お兄さんはいましたか?」
「階段がずーっと先まで続いてて、部屋まで行けなかったんだ。その後おじさんもいなくなっちゃったし」
「いなくなった?」
「下に降りると、そのおじさん、どこかに行っちゃったんだ」
一体どこに行っちゃったんだろう。
先生は少し考えるような素振りをして、本を閉じた。
「会いたいのに、会えないとは……悲しいですね」
先生の横顔はとても寂しそうだった。
ーーー
<晴海の話>
銀仁朗はさ、捨て犬みたいな感じだったんだ。
初めは何回か煙草を買いに来てて、なんとなくカタギの人間じゃないなと思ってたんだ。
雨の日、煙草屋の裏で怪我を負ってうずくまってる銀仁朗を見つけたんだ。
何でか分からないけど、放っておけなくて、家で匿った。
「怪我、大丈夫?」
俺が消毒液を浸した綿をピンセットで摘み、切れた口の端に当てる。
「痛……っ!……痛てぇ」
「あんた、喧嘩かなんかしたの?」
「……喧嘩なんかじゃねぇけど」
「帰るところあるの?」
「今は、ねぇよ」
いつもきっちり後ろに流している黒髪は乱れ、綺麗なスーツも汚れている。
「煙草、よく買いに来てくれてるよね」
「ここが一番近いからな」
雨に濡れた髪の先からポタリと落ちる雨粒。
長い指で煙草を取り出し、口にくわえる。背広からライターを取り出そうとポケットを探るも見当たらないらしく、溜息をつきながら煙草をしまおうとする手を俺は止めた。
「……帰る場所がないなら、しばらく雨宿りしていったら」
「は?」
「梅雨の時期だけでもいいから」
何でこんなに引き止めているのか。
銀仁朗の切れ長の目が少しだけ和らいだ気がした。
ーーー
<銀仁朗の話>
あ?あんた、誰だ?
先生?……あーあのガキ共の。
何でこんな雨の中で立ってるのかって?
あの煙草屋の二階に俺を待ってる奴がいるんだけど、階段を登っても登っても晴海の部屋に辿り着かないんだよ。
晴海っていうのは、煙草屋の店主。
俺の……恋人だ。
一目惚れってやつだ。……って何でこんなこと、初対面のあんたに話さなきゃいけないんだ。
部屋に入る手助けをしたい?
なんでまた……晴海のため?
だったら、「これ」を渡してほしい。
晴海に頼まれたんだ。
ーーー
<蚊帳の中>
銀仁朗はいつもラジオを聞いていた。
チューニングをしながら、ニュースを聞いていた。
俳優と女性モデルの不倫とか、銀行強盗とかどこかの暴力団の抗争とか。
世間はこんなに物騒なのに、この部屋の中はこんなにも平和だ。
「またラジオ聞いてるの?」
「あぁ」
「何か気になることでもあるの?」
俺は、布団の上で背を向けてラジオを聞いている銀仁朗に話しかける。
お互い生まれたままの姿で、昨夜の情事の残り香が湿気を帯びて肌にまとわりつく。
銀仁朗の背中に背負う虎と目が合う。
「この刺青、すごいね」
「……お前も入れるか。紋々 」
綺麗だけど……。
「痛そう……」
銀仁朗はふっと笑うと、向き合い、抱きしめた。
「入れるなよ、こんなもん。お前の背中は綺麗なんだから」
背骨を触られ、肩甲骨を撫でられる。
その触り方が艶やかな夜を思い起こさせる。
「あ……ちょっと銀仁朗……」
「何だ、感じてんのか」
「感じてなんか……あっ」
そのまま覆いかぶさった銀仁朗は俺の首筋にかぶりついた。
「だったら、試してやるよ」
悪い顔もかっこいいって思うのは惚れた弱味だ。
けれど、こんな幸せな日も続かなかった。
銀仁朗を匿って、梅雨の時期はとっくに過ぎた七月の末のこと。
「晴海、しばらく家を空ける」
「え……」
「ちょっと出かけなきゃいけなくなった」
「出かけるってどこに?まさか、元の場所に戻るの……?」
銀仁朗の背中の紋々のことを思い出す。
銀仁朗はカタギじゃない。
「戻らなきゃいけなくなった。叔父貴 に報告しねぇと」
「待ってよ……!理由を聞かせてよ!誰にも言わないから!!」
俺は銀仁朗に縋り付く。
やだよ、銀仁朗と離れちゃうなんて……ずっとずっと煙草を買いに来てくれた時から好きだったのに。
幸せな日々を送り続けられると思ったのに。
「お前はもう気づいてるかもしれないけど、俺はカタギの人間じゃねぇ。ある組でヤクザをしてる。俺らの組の若い奴らがチャカを奪いやがった。落とし前つけさせるために俺が追いかけていたが……反対にやられちまった。ラジオや新聞で色々調べていたが、ついにそのチャカ使って、銀行強盗をしやがった。あいつらを警察 に渡す前に捕まえねぇとメンツがたたねぇ」
「銀仁朗!」
部屋を出ていく銀仁朗を再び引き止める。
「晴海、お前はここで待ってろ」
「必ず、戻ってきてよ……!絶対!!」
「あぁ。約束する」
「じゃあ……俺に煙草買ってきてよ!その煙草持って、俺のところに帰ってきて……っ」
男の為に泣くなんて、かっこ悪い。
けど、銀仁朗はぎゅっと俺を抱きしめた。
「……約束する」
ーーー
<先生の話>
「なるほど。そういうことだったんですね」
一人の男が蚊帳の外で晴海の話を聞いていた。
穏やかに、うんうんと頷きながら。
「何で、あんたはそんなこと聞くんだよ」
「……この建物の外にいるんです。銀仁朗さんが」
「……え!?」
男はそっと小さな箱を蚊帳の中に差し込んだ。
「これ……煙草?」
「銀仁朗さんから」
男の言葉に身震いする。
何で、だって銀仁朗は撃たれて……死んだはずだ。
それを聞いて、俺はどうしたんだろ。
「晴海さん。いつまでその蚊帳の中にいるつもりなんですか」
「いつまでって……銀仁朗が帰ってくるまで」
「銀仁朗さんはすぐに帰ってこれませんよ」
男はふふふと笑った。
不気味な感じで怖い。
「それってどういう……」
「この建物の外で、銀仁朗さんが待ってますよ。あなたがこうやって蚊帳の中で待ち続けていると結界はやぶれません」
雨が降り続いている。
晴海は蚊帳から這い出し、窓の外を見た瞬間、目の前が眩しく、畳の上へクラクラと倒れ込んだ。
ーーー
「晴海、晴海」
目を開くと銀仁朗が傍に座っていた。
死んだと思ったはずの男が生きている。
「銀仁朗、何で……」
「お前こそ、何で病院に来てるんだよ」
「病院?」
周りを見渡すと、真っ白な清潔なシーツの上に寝かされている。
右腕には点滴の針がささり、ぽたぽたと液が落ちている。
「お前、何も食べずに俺のこと待ってたのか?小学校の先生が救急車呼んでくれたんだぞ」
先生ってもしかして、俺の話を聞いてくれたあの男?
「それより、銀仁朗はなんで生きてるの!?銃で撃たれたんじゃ」
「勝手に殺すな。銃で撃たれて、血を流しすぎてえらい目にあったけどな。……お前、まさか俺のラジオで俺のことを聞いたのか?」
「ラジオ、銀仁朗のものしか持ってないもん」
銀仁朗は、ははっと笑った。
「あのラジオはチューニングするのが難しいんだ。雑音まみれだっただろう」
「うん……」
「ニュースで俺が撃たれたってラジオで聞いたんだろ」
「撃たれたなんて聞いたから、てっきり……死んだのかと……」
雑音まみれで確かによく聞こえなくて、勘違いしてしまった。
勘違いして、もう二度と会えないのならばと思って蚊帳の中に引きこもった。
ご飯も食べずに。
「お前、あの先生に何か貰ったか?」
「銀仁朗から煙草を預かったって、聞いて貰ったけど」
銀仁朗はじっと黙り込み、俺の横に置いてあった煙草の箱を見せた。
「俺も危篤状態の時に夢を見たんだ。お前の部屋に行こうと煙草を持って行ったんだ。けど、何回階段を上がってもお前の部屋にたどり着けなくて……建物の前で困っていたら、先生って名乗る男に声をかけられたんだ」
先生……。
あの不思議な男のおかげで、また銀仁朗に出会えた。
「お前が病院に運ばれて、すぐに俺は目を覚ますことが出来た」
偶然か、必然か……それでも、やっと会えた愛しい人。
ーーー
先生、あのね。
煙草屋さんのお兄さん、また煙草屋さんを始めたんだよ。
やーっとお父さんの煙草を近くで買いに行ける!
お兄さん、体の調子が悪かったんだって。
それでね、新しく煙草屋さんで働いているおじさんもいてね。
そのおじさんが前、お兄さんの煙草屋さんの前にいたおじさんだったんだよ。
一緒に煙草屋さんをやるんだって。
あれ?先生、何でそんなにニコニコしてるのー?
【終】
Twitterアカウント→mutuki_7_7
この作品は拙作「慶明幽霊録」の現代パロディーとしても書かせてもらいました。
「慶明幽霊録」を読まれていなくても大丈夫です。
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