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第10話 白斗と翡翠のらぶげーむ

「最近ヘドロちゃん、可愛くなったよね」 「ばっか、ヘドロちゃんはいつでも可愛いんですよ、何倦怠期に入ったオッサンみたいなこと言ってるんですか、イケメンのくせに!」 「すっごいdisられる〜」  倉庫での昼ご飯中に、白斗が新しく印刷した写真を壁に貼り始めたので、輝名がその写真を見ながら呟いたら、白斗がすごい剣幕で怒った。輝名はしゅんとしながらカフェオレを飲んでいる。それを無視して白斗は次々新しい写真を壁に貼っていく。  しかし、確かに近頃のヘドロちゃんは可愛い。以前は毒吐きネットアイドルという性質のせいなのか、いわゆるアイドルとは少しズレた路線だったように思う。しかし、近頃は普通のアイドルの様に愛らしい写真を撮って投稿している。そのおかげでフォロワー数はうなぎ登りだ。今までヘドロちゃんのことを知らなかった人達も、その可愛い写真目当てで見に来ているらしい。尤も、言動はいつも通りの毒吐きネットアイドルのままで、白斗は今でもヘドロちゃんを追いかけている。 「でも、やっぱり最近いつもより可愛いと思うんだけどなあ」 「そうそう、女性を褒めるなら、いつもよりをつけないと」 「恋でもしてるのかな」  輝名の呟きに白斗は盛大にこけた。そのせいで床の荷物が散乱し、弁当がひっくり返る。 「うわーっ、白斗、何してるのーっ」  幸い中身が入っていなかったので何事も起こらなかったが、輝名が迷惑そうな顔をしている。翡翠が授業の関係で来ていなくて本当に良かったと、白斗は溜息を吐いた。 「白斗は、アレ? ヘドロちゃんに彼氏できたら死んじゃうタイプ? 殺しちゃうタイプ?」 「サラッと物騒なこと言わないでくださいよ。そりゃあ、血の涙は流すかもしれませんけど……」 「流すんだ……」 「でも僕は良識ある大人のファンなのでね。ヘドロちゃんの幸せを祈りながら末永く愛しますよ」 「血の涙を流しながら……」 「そりゃあもう、滝のように」 「こわ……」  普通に引いている輝名を尻目に、白斗は椅子に腰掛けながら、考えを巡らせる。  にわかの輝名になど言われずとも、近頃のヘドロちゃんがめちゃくちゃに可愛いのは白斗もわかっている。最高にヌケる。ごはん三杯はいける。問題は、それが本当に「恋」だった場合だ。  もし、ヘドロちゃんの正体が翡翠だったら、その対象は高確率で白斗だろう。毎日キラキラした目で見つめられ、何をしていても褒められているからわかる。生きているだけで賞賛してくれる翡翠が、どれだけ熱を持った目で見上げてきているか。  つまり、翡翠がホモだということだ。これはキモい。あんな根暗そうなもじもじした男に万が一襲われたら、と思うと、怖くなる。男同士なんて考えられない。尻を掘ったり掘られたりなど、考えるだけでおぞましい。仮にそれがヘドロちゃんの中の人だとしても……。  いや待てよ……もし翡翠がヘドロちゃんで、ヘドロちゃんが僕に恋をしていた場合は……? 白斗はあの可愛い可愛いヘドロちゃんに、ナニが生えていた場合を想像して、想像して、想像して、頭を抱えた。 (ヘドロちゃんなら……、ヘドロちゃんなら……いける……!)  だがそれが翡翠と関係を持つこととは直結しない。あくまでヘドロちゃんがベースなら……と考えて、それからブンブン頭を振った。  この思考は、狂ってる。 「今夜飲みましょう」  酒の力を借りて何もかもを忘れたい。ボソッと呟くと、輝名は「無理」と即答した。 「なんでですか! 親友の頼みでしょうが!」 「前にも言ったでしょ〜、急な飲みは付き合えないって。家に帰らなきゃいけないの」 「ああ、そうでしたね! 家でかわいいかわいい彼女が待ってますもんね!」 「なんで泣いてるの」 「泣いてませんしっ!」  薄情なリア充のイケメンめ、めっちゃメガネ曇ってバスで恥ずかしい思いでもしろ、とブツブツ言っていると、「こんにちはー」と翡翠が部屋に入ってきた。 「あー、翡翠君、ちょうどよかった。白斗が今夜飲みに行きたいんだって。一緒に行ってあげてよ」 「ちょおおおお」  バッカお前どんだけ空気読めねえんだよ、という心の声は出せないまま、翡翠を見ると、彼は満面の笑顔で、それはもう、子犬のような笑顔で「ほんとですか! ぜひ!」と快諾していて、それはなんだか可愛い気もしたが、白斗は人生の詰みを本格的に感じ始めた。  +++△△□□+++ 「えと、白斗さん、白斗さん、大丈夫ですか? あの、……あの、すいません、ちょ、ちょっとだけ、待ってて下さいね!」  翡翠はそう言って、泥酔した白斗をアパートの廊下に座らせると、大急ぎで自室に入った。 「ああああ、ど、どうしよう〜!」  そして、部屋のそこら中にある女物の衣類や化粧品、ファンなら一目でヘドロちゃんの私物とわかる小物の類を見て頭を抱えた。  二人は居酒屋に飲みに行った。そこまではよかったのだが、何故だか白斗が文字通り浴びるように酒を飲んで、呑まれて、呑まれて、飲んで。その結果、早々に酔い潰れて動かなくなってしまった。  介抱しようにも、翡翠は白斗の家を知らない。散々悩んで、翡翠はタクシーで白斗を自宅であるアパート、白夜荘へと運び、自室で一晩過ごさせることにしたのだ。  しかしまあ、問題は、この部屋だ。 「あああ、あーっ」  物をかき集めてはどんどこクローゼットに放り込む。急がないと外で白斗さんが倒れてしまうかもしれない。翡翠は大急ぎで目に付く物をベッド下やら戸棚の中などに隠して、部屋を見渡した。パッと見てそれとわかるものは隠せたと思う。後は、白斗さんが寝ている間になんとかしよう。翡翠はそう考えて、玄関へ向かった。白斗は床に寝そべっていた。 「し、白斗さん!」 「おふとん……つめたい……」 「白斗さん、それはお布団じゃないですよ、はい、捕まって、ベッドに行きましょうね……」  憧れの白斗に肩を貸して密着すると、少しドキドキしたが、今はそれどころではない。ズルズルと部屋の中に連れ込んで、ベッドに座らせる。苦しいだろうと上着を脱がせてやっていると、急に引っ張られて、「わー!」と声を出している間に、何故だかベッドに押し倒されていた。 「えっええっ、し、白斗さん?!」  上に覆い被さってきた白斗は酒のせいで真っ赤な顔をしていて、目は虚ろだ。襲われている、と気付くには少し時間がかかって、ハッとして「白斗さん!」と名を呼ぶ。 「あの、すいません、ボク、男です、勘違いしちゃダメですよ!」  あわあわと白斗を押しのけようとしたが、その手を掴まれてギョッとした。目がすわっている。男の目をしている、と思って、翡翠は焦った。 「白斗さん、ボクは、」 「ヘドロちゃん……」 「えっ」  名を呼ばれて大いに焦った。酔って自分をヘドロちゃんと勘違いしているのか、それとも正体に気付いているのかは定かではない。いずれにしろ、この状況は大変にまずい。白斗に抱かれるのは翡翠にとってむしろご褒美ではあるが、泥酔して正気を失っている白斗に罪を犯させてはならない。なんとかして、一線を越えるような事は回避しなければ。 「あのあのっ、白斗さん、ボク、ボクですよ、翡翠ですっ!」 「……翡翠君……?」 「そうです、翡翠君です! だから、ね、やめて、寝ましょう! ね!」 「……僕の……、かわいい翡翠君……」 「えっ」  急にそんなことを言い出したから、翡翠は目を丸くした。ヘドロちゃんならともかく、自分が可愛いだなんて言われたことが無い。胸がドキドキして、翡翠も顔が熱くなった。恥ずかしい。 「し、白斗さん、あの」 「……ぐえ」 「……あっ、白斗さん!」  急に吐き気を催したのか、白斗の顔がみるみる青ざめていく。口を押さえるために手を離してくれたので、慌てて起き上がって白斗を引っ張り、トイレに連れて行った。  白斗の介抱をしつつ、翡翠は地道に部屋を片付けながら、ボンヤリと考えた。  もし、白斗さんがボクとヘドロちゃんが同一人物と気付いた上で一緒にいてくれているなら。本当のことを伝えても、許してくれるだろうか。翡翠のことを、認めてくれるだろうか。 +++△△□□+++  目を覚ますと見知らぬ天井。頭がガンガンしてグラグラする。ものすごく気持ち悪い。  うう、と呻きながら体を起こすと、「あっ」と何処からか翡翠がそばにやってきた。 「大丈夫ですか? 白斗さん」 「ううっ、僕は……?」 「酔い潰れてしまったので、ボクの部屋で寝てもらったんです。大丈夫ですか? 何か食べられそうですか?」  昨夜のことを思い出そうとしても、一緒に居酒屋に入ったことぐらいしたわからない。食べ物……と考えただけで胸が気持ち悪くなる。力なく首を横に振ると、「では、お水を用意しておきますね」と翡翠が心配そうに言った。 「気分が落ち着くまでゆっくりして行ってください、何か有ればすぐ言ってくださいね」 「すいません、本当に申し訳ないんですが、お言葉に甘えて……」  グラグラするので再び横になる。布団からはいい匂いがした。のろのろと部屋を見渡すと、随分物の少ない部屋だと思った。白い壁、フローリング、テーブル、戸棚。綺麗に掃除されていて、物が全く置かれていない。これではヘドロちゃんの家かどうかはわからないな、とボンヤリとした頭で考えて、それから「ああ、ごめんなさい」と謝罪する。 「これ、翡翠君のベッドですよね……寝床を奪ってしまって……」 「ボクのことは気にしないでください、大丈夫ですよ」 「君は本当にできた良い子ですね……」  翡翠とヘドロちゃんの関係について悩んだ末に酔い潰れて介抱されるようなバカのために、嫌な顔一つしない。色々な事情をおいても、とても良い子だと思った。だから素直にそう褒めたのだが、翡翠は困ったような、照れたようななんとも言えない顔をしていた。 「そんな、ボクにはそんな言葉、もったいないです」 「本当のことですよ」 「でも、ボク、そんなことを言われたのは生まれて初めてで……。ほ、ほら、ボクこんな感じだから、もっとハッキリ喋れとか……どんくさいとか……頭悪いとか……怒られるばっかりで……」  翡翠が俯きがちにそう呟く。きっと本当にそう言われてきたのだろうし、白斗にもそう言われる理由がわからないわけでもない。ただ、そうして怒るのは怒る側の都合だ。怯えているのは相手の態度を恐れているからかもしれない。そうすれば動きも鈍るだろう。現にこんなに素直な良い子だというのに、それを傷付けるのは、傷付ける側が気持ちよくなりたいからのように白斗は思った。 「他の人が翡翠君をどう言おうが、僕は翡翠君をいい子だと思います。僕は翡翠君の話し方や仕草も嫌いではないですし、それに頭は良いと思ってますよ」 「……白斗さん……」 「周りが何て言うかを気にしすぎると、何もできなくなってしまいますよ。翡翠君には翡翠君の特徴や良いところが有るんですから、大丈夫です。それに気付かせてあげられる人がそばにいなかったのは残念なことですけど……翡翠君?」  翡翠が顔を真っ赤にしているから、白斗が声をかけると、彼は「あっ」と震える声を出して、顔を手で覆った。 「ご、ごめんなさい、本当に、本当にそんな風に言ってもらえるのは、初めてで、ボク、ボク、その、あの、……し、白斗さんは、本当に素晴らしい人です……っ」  泣き出しそうな声で言うから、白斗は困惑した。翡翠を泣かせたかったわけではない。「翡翠君」と上体を起こそうとしたが、翡翠は「ちょ、ちょっと、スポーツドリンク買って来ます!」と白斗の言うことも聞かずに部屋を出て行ってしまった。  翡翠こそ、白斗に対して夢を見過ぎなのだ。自分は正義のヒーローでも、彼の言うような素晴らしい人でも、イケメンでもない。ただのクソネットアイドルオタクの童貞だ。白斗は溜息を吐いて、布団に潜った。もしかしたらヘドロちゃんのものかもしれない布団は、本当にいい匂いがした。 「……ん?」  布団の中で何かに足が当たった。なんだ、とそれを引っ張り出して、白斗は答えを得てしまった。 「……くまさん」  包丁を持ったクマのぬいぐるみが、布団の中から出てきた。それは、ヘドロちゃんが抱いて寝ていると言っていたものだった。

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