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第12話 白斗君は考えるのが苦手

「白斗どうしたの? 通夜と葬式がいっぺんに来たみたいな顔して」  輝名がカフェオレを飲みながら言う。白斗はげっそりとした顔で彼を見た。 「普通通夜と葬式は割といっぺんに来ますし、さっきまでの話聞いてたのに、そういうこと言えるアンタの神経が僕にはわからないです」 「ヘドロちゃんが翡翠君だったって話?」  翡翠の部屋で厄介になった翌日。白斗はいつも通りに部室で輝名と過ごしていた。当然ながら、翡翠は現れなかった。  盛大な二日酔いで気分も最悪、頭もよく回らないところに事実が飛び込んでしまったものだから、そそくさ逃げてしまったし、挙句に翡翠を泣かせて帰ってしまった。それからどうにもこうにも気分が悪いままだ。 「それは確かに驚きだけど、翡翠君、元々可愛いもんね。俺は別に違和感無いかな」 「男なんですよ、男。女装してアイドルしてたんですよ」 「今時珍しくないでしょ、そういうの。それに、俺が腑に落ちないのはそこじゃないんだよねー」 「なんだっていうんですか」  むっとした顔で輝名を見ると、彼は白斗を見ていた。 「白斗、薄々勘付いてたんでしょ、さっきの説明の仕方からすると」  前々から疑っていた、という旨の事を説明したような気もする。 「だったらなんですか」 「いや、おかしいんだよ。前々から疑ってたなら、なんでそんなにショック受けてるの? 普通、やっぱりそうかー、とはなるかもしれないけどさ。俺にはよくわかんない。ヘドロちゃんだってアイドルなんだから、元々架空の存在なのに、正体がずっと疑ってた翡翠君だったからって、そんなにショック受けるもの?」 「アンタはドライすぎるんですよっ」 「そうかな? 俺は、白斗が本当は違う事を問題にしてるような気がするけどね」 「どういう意味ですか……!」  白斗が苛立ちを隠せずに輝名を睨む。彼はいつものマイペースそうな顔で、のんびりと答えた。 「じゃあ聞くけど、白斗は翡翠君のことが嫌いなの、もしくは、嫌いになったの?」 「それは、……そんなわけないでしょう、あんないい子を……」  白斗をキラキラした目で見つめてくる、控えめな青年。翡翠を嫌いだと思ってはいない。最初こそ少々気持ち悪いと思っていたが、今では素直ないい子だと思っている。 「じゃあ、ヘドロちゃんのことは? 翡翠君だとわかって冷めちゃったの?」 「そんなわけないでしょう。ヘドロちゃんは至高の存在です。宇宙で一番かわいいです」 「ほら〜」 「なにがほら〜ですか!」 「自分で言っててわかんないの? 翡翠君が正体だと知ってもヘドロちゃんが好きな気持ちになんの変化もないし、まして翡翠君のことも嫌いになってないんだよ? だったら白斗が許せないのは翡翠君でもヘドロちゃんでもないんじゃん」 「……はっ」  ほ、ほんとだ……。白斗が思わず呟くと、輝名は深い溜息をついて頭を抱えた。 「白斗ってホント、昔からそういうところあるよね……自分の気持ちがわかってないっていうか……その結果どうなるかわかってないっていうか……」 「な、何のことですか」  輝名は大きな溜息をまた吐いて、おやつのチョコレートに手を伸ばした。 「小学生の頃、いじめられてた俺と遊んでくれたでしょ。あの時の白斗は、人をいじめるのはよくないって正義感しかなかったと思うんだよね。別に俺と友達になりたかったわけじゃなかった。でも白斗は、その本心に気付かないで俺と遊んじゃったわけ。それで白斗までみんなにいじめられるようになったわけじゃん」 「……そ、そんな、小学生のくせにアンタ、そんなませた思考回路で僕と一緒にいたんですか?!」 「根暗は考えが深くなるの。一度理不尽を味わうと悪い意味で賢くなるんだよ。だからさ、白斗は自分の本心に気付かないで行動しちゃうところが有るんだよね。正義感の塊っていうか。俺はそういうところ、好きだけど」 「サラッと気持ち悪い告白しないでください。それに、色々ありましたけど、僕はアンタと友達になった事を後悔したことはありませんし」 そう言うと、輝名は一瞬キョトンとして、それからまた盛大に溜息をついた。 「……ほんっと、そういうとこあるよね、白斗って……」  +++  許せないのは、ヘドロちゃんでも、翡翠でもない。では、何を許せないのか。  自室でぼんやり、ヘドロちゃんのポスターを見ながら、白斗は床に座り込んで考えていた。  最後に見た、涙を流す翡翠のことを思い出すと、胸が苦しくなる。泣かせてしまった。そんなことをするつもりはなかった。本当に翡翠を裏切り者だと思っていたら、こんな気持ちにはならないだろう。  翡翠には、笑顔でいてほしいと思う。ヘドロちゃんはあんなに可愛く笑えるのだ。翡翠もきっと本当は、愛らしく笑えるのだろう。時々そんな顔はしていたように思う。白斗の話を聞いたり、褒めたりする時の笑顔は、素直そうで、嬉しそうで、幸せそうだった。  なのに、泣かせてしまったのは自分だ。 「あーーーー……」  ごろん、と床に転がって、スマホを見る。毎日のように更新されていたヘドロちゃんのSNSは2日前から止まったままで、ファンがざわついている。何かあったんじゃないかと心配するファンも多い。何かしでかしたのは自分だ。  今もあんな顔で泣いてるんだろうか。そう考えると胸が苦しくなる。じゃあなんであんなこと言ったんだ。  白斗は難しいことを考えるのは苦手だ。ヘドロちゃんの中の人が翡翠だと考えると頭がおかしくなりそうになる。輝名は頭がいいからもう答えはわかっているのだろうが、白斗にはさっぱりわからない。  ぐぬぬ……と呻いて、スマホを放り出す。難しく考えようとするから、わからなくなるのかもしれない。天井で微笑んでいる下着姿のヘドロちゃんを見る。今日も宇宙で一番かわいい。翡翠のことを思い出す。少しおどおどしているけど、睫毛は長いし、顔は整っている。笑顔を浮かべた時の顔は最高にかわいい。キラキラした目で見つめられるとドキドキする。褒められると胸が熱くなって、たまらなく愛しくなる。 「……はっ!?」  白斗は飛び起きた。なんて単純なことだ。白斗はわかってしまった。そしてめちゃくちゃに後悔して、着の身着のままアパートを飛び出した。  +++  微かな記憶を頼りに翡翠のアパートまで辿り着いたが、部屋まではよく覚えていない。二階だったような、三階だったような……。アパートの入り口で頭を抱えていると、赤い髪のお姉さんが階段を降りてきた。 「あら……? お客さん? ……あなた……確か……」  彼女は少しの間首を傾げていたが、ややして「あー」と笑顔で言った。 「この間、翡翠ちゃんが探してたお友達ね? 牛柄に豹柄の……あら? 今日は落ち着いた格好なのね〜」  言われて白斗は自分を見た。黒い無地のシャツに、デニムにサンダル。ものすごく地味な格好だ。部屋着のまま来てしまった、と白斗は恥ずかしくなったが、「そのほうが親しみやすいわよ、イケメンさん」と笑顔で言われて、白斗はなんとも言えない気持ちになって「あはは」と頭を掻いた。  と、そんな事をしている場合ではない。こうしている間も翡翠は泣いているかもしれないのだ。 「あ、あの、地下さんの部屋って……」 「あら、覚えてないの?」 「すいません、ど忘れしちゃって……」  あはは、と頭をかきながら言うと、「こっちよ〜」と素直に案内してくれる。今時セキュリティとして大丈夫なのか、とやや不安になったが、彼女は「私はねぇ、あなたが悪い子じゃないことぐらいはわかるのよ」とニコニコして言っていた。何の根拠も無い話だが、今はありがたい。  三階の一番奥の部屋に案内されて、「もう喧嘩しちゃダメよ」と言い残してお姉さんは立ち去ってしまった。本当にこのご時世に珍しい、と思いつつ、白斗は翡翠の部屋のチャイムを鳴らす。ややして、かちゃりと玄関が僅かに空いて、隙間から片目が覗いた。その目は白斗の姿を見るや否や、バタンと勢いよく玄関を閉めた。 「わーっ、ちょ、翡翠君! 待ってください、開けてください! あの、折り入って話があるんです!」  どんどん、と扉を叩いて、大きな声でそう言っても、返事が無いし、扉も開かない。この天の岩戸を開くために宴を開くわけにもいかない。白斗は、押してダメなら引いてみろ、というありがたい言葉を思い出して、コホン、と咳を一つすると、優しく扉に向かって語りかけた。 「その、先日は本当に、ごめんなさい。僕も、気が動転していて、貴方に酷いことを言ってしまいました。貴方に謝罪して、改めてお話ししたいことがあるので、もし許してくれるなら、扉を開けてはもらえませんか」  扉はやはり開かない。心を閉ざされてしまったかもしれない。それでも、悲しみのあまり自殺なんかをしていないだけでも良かった。白斗はそう思いつつ、諦めずに扉の前に立っていた。  しばらくして、かちゃりと扉が開いた。また、片目だけが扉の隙間からこちらを見ている。 「翡翠君、その、……お話ししてもらえますか……?」  怖がらせないようにと、あの日とは違って、優しく、精一杯目を見つめて問う。翡翠はしばらく白斗を見つめた後で、そっと、扉を開いた。 「……散らかって、ます、けど、……」  翡翠はぐすぐすと鼻をすすりながら、ポツポツそう言った。少し前まで泣いていたのかもしれない。本当にかわいそうなことをしてしまった、と胸が苦しくなる。言葉に甘えて部屋に入ると、あの日介抱された部屋とそうは変わっていなかった。強いて言えば、ゴミ箱がティッシュで埋まっているぐらいだ。 「……この間は本当にすいません、すごく、悲しませてしまいましたね……」  翡翠がどうぞと出してきたハート形のクッションの上に正座して、白斗はまず謝った。向かいに座った翡翠は俯いたまま「こちらこそ」と掠れた声で呟いた。 「ボクが、悪いんです。ずっと本当のことを、黙って、たから」 「いえ、僕が悪いんです。本当は、……本当はずいぶん前から、ヘドロちゃんと翡翠君は同一人物なんじゃないかと、思っていたんです……。だから、騙されたと感じてショックを受けたわけではないんです……」 「え……」  翡翠が困惑した顔で白斗を見る。泣き腫らした顔は赤くて、かわいそうだった。本当に申し訳ない、という気持ちになりつつ、白斗はポツポツと語った。 「前にいじめられたって言いましたよね。僕は、あの時に感じたんです。それまで僕をチヤホヤしていた女の子達が、僕がちょっと気に入らないことをしたからって、僕をいじめ始めたっていうことは、彼女達は僕のことなんて本当は何も見ていなかったんだなって。僕のことが好きなら、僕が気に入らないことをしたからって、そんな手の平を返すようなことしないと思ったんです。だから、きっと彼女達は、僕の表面だけを見て、好きとか嫌いとかを決めて、その結果いじめるようなことをしたんだなって。それは、とてもよくないことだと思ったんです」  思えば、輝名だっておそらく「ビン底メガネをかけていた」ぐらいの理由でいじめられていたのだ。彼が物静かで、部屋の隅で猫を作って遊ぶような少年だから。それが証拠に、すっかりイケメンになった彼に、当時のことなどすっかり忘れた女子達は、甘い声で近寄っている。もっとも、輝名はイケメンながらも根暗眼鏡のままだから、全ての誘いをキッパリ断っているようだけれども。 「僕は……僕はヘドロちゃんが好きです。宇宙で一番かわいいです。毎晩おかずにできます。あんなことやこんなことをしたいです」 「は、はぇ……」  翡翠が変な声を出しているが、ここで話を止めるわけにはいかなかった。 「でも僕は、ヘドロちゃんの本質なんて何も知らないで、その見た目だけでそう思っていたわけですよね。中の人が翡翠君だと知った時に、裏切られたと思ってガッカリする。それって、僕に彼女達がした事と同じ手のひら返しじゃないかって思うんです。そんな自分が嫌だったのにあまつさえ、僕は君を泣かせるようなことまで言ってしまった。本当にごめんなさい」 「い、いえ、だって、ボク、事実、白斗さんを騙していましたし……」 「いいんです、それは、もう、いいんです。問題はここからなんです」 「は、はぇ……」  翡翠が本当に困惑しているが、白斗は思い切って全部ぶちまけることにした。もう後には引けないのだ。 「じゃあ、僕はヘドロちゃんの内面、つまり翡翠君についてどう感じているのかを考えたんです。僕はね、翡翠君の事を考えると、胸があったかくなります。君に褒められるとむず痒くて、でも本当に嬉しい。君が美味しそうにご飯を食べているのを見るのも好きです。輝名の野郎と楽しく話してるのを見てると、あのイケメン野郎にムカムカしてきます。君の笑顔を見ていると幸せな気持ちになります」 「し、しらとさん」 「僕は、君にムラムラすることができると思います」 「は、はえぇ……」  翡翠が顔を真っ赤にして顔を手で押さえている。白斗は自分が何を言っているのかよくわからなくなってきたが、伝えるべき事を伝えるまでは止まれないと思った。 「だから、僕が、翡翠君の事を好きではないと言ったのは、大嘘です。僕にとってヘドロちゃんは、宇宙一可愛いネットアイドルです。でも、翡翠君のことも僕は、大好きです」 「しらとさぁん……」 「だから、本当にごめんなさい。君を僕の勘違いで傷付けてしまいました……。こんな僕のことを許せないと思いますし、一度ついた傷は癒されないと思いますが……僕は、君の事が、好きで……わっ?!」  翡翠がポロポロ涙を流し始めたから、白斗は仰天した。また傷付けてしまったのかとあわあわしていると、翡翠がぎゅっと抱きついてきて、白斗は頭が真っ白になった。 (あわわわ、や、やわらかい、あったかい、いい匂い、いや、いやいや、えっとこれはどうしたら?!)  童貞の脳みそには抱きつかれた時の対処などない。どうしていいかわからず、とりあえずその背中に手をやってみると、翡翠が胸でわんわん泣き始めてしまった。 「うええ、白斗さん、しらとさんに、嫌われてなくて、よかったぁ……!」 「き、嫌いになんてなりませんよ、貴方みたいないい子をそんな、ほら、泣かないでください、好きですよ、だから、ね」 「うわああぁん、しらとさん、ボクも、ボクもしらとさんのこと、大好きですぅう……っ」  泣きじゃくる翡翠を、白斗はドキドキしながら、ずっと抱きしめて、背中を撫でてやった。やがて落ち着いてきたのか、翡翠が白斗から離れる。彼はタオルで顔を覆ったり外したりしながら、途切れ途切れに、呟く。 「ボク、ボクも、しらとさんが、大好きです、しらとさんになら、何されても、いいけど、嫌われるのだけは、こわくて、」 「な、何されてもいいとか、そんなエロゲみたいなこと言っちゃダメですよ」 「事実ですもん……しらとさんが……ヘドロちゃん辞めろって言うなら、ボク、もう、」 「いや、ヘドロちゃんは辞めないでください」 「えっ」 「ヘドロちゃんは、宇宙一かわいいネットアイドルです! 僕はいつまでもファンです! 翡翠君がヘドロちゃんを続けたいなら、続けて下さい! 僕も毎日更新を楽しみにします!」  白斗が力説すると、翡翠はしばらくきょとんとしていたが、それから恐る恐る、尋ねた。 「あの……ボクは白斗さんの事が、大好きです」 「はい、知ってます」 「白斗さんは、ボクのことが、その、大好き、なんですよね……?」 「ええ、そうです」  翡翠はそれから少し考えて、おずおずと。 「それって、ボク達これから、お付き合いをするってことで、合ってますか……?」  白斗は、また頭が真っ白になった。

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