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第10話
遊馬とカイの関係は静かに続いた。水曜日は大抵の場合会って、また大抵の場合抱き合った。カイはいつまで経っても抱かれるのを恥ずかしがって、顔を隠そうとしたり、声を殺そうとしたり、無駄な抵抗を続けていたが、それもまた可愛い。あんまり焦らして苛めると、怒ったように「早くしてください」とか急かしてくるのもまあ、可愛かった。
問題は、ゲーム中は可愛くない事である。
ある時、ついに事件は起こった。数人のフレンド達と遊んでいた時の事だ。強いドラゴンを倒しに行く事になり、カイは効率を重視して、フレンド達に倒すまでの段取りを細かく指示した。それを気に入らなかったフレンドの一人が突っかかって来たのに対し、カイは「文句が有るなら僕より上手くなってからにして下さい」と言い切った。そして激昂した(と思われる)フレンドは黙ってゲームを止め、残った面々には気まずい時間が流れた。
カイは全く気にしていないのか、そのままゲームを仕切り続けた。流石にこれはいかがなものかと思い、遊馬は皆が眠り、カイと二人きりになってから、切り出す。
「カイちゃん、あれはないよ」
「あれって、何の事です」
「何って……判ってないわけじゃないだろ? 今日のは流石に言い過ぎだよ」
「僕は事実を言ったまでです」
カイはあくまで取り合わない。遊馬は溜息を吐いて、尚も続けた。
「事実かもしれないよ、確かに俺達のグループの中ではカイちゃんが一番上手いんだろう。でも攻略サイトなり何なり、検証データとかは知らないんだし、カイちゃんだけがいつも正しいわけじゃないだろ? 人にとやかく言われるのは嫌いなのに、自分のは押し通すの? そんな事続けてたら、いつか一人になっちゃうよ。前にも言ったけど、本当の事だからって、言っていい事と悪い事が……」
「あぁ、もう、いいです」
カイは珍しくイラついたような声を出す。
「僕は本当の事を言っただけだし、遊馬さんがどうしたいのか理解出来ません。遊馬さんだって僕より下手なクセに、口出ししないで下さい。こんな事、遊馬さんには関係無いんですから」
ぶち、っと。音がしたなら、そんな音を出しただろう。遊馬は頭に血が昇るのを感じた。どうにも止めようが無かったのだ。
「あぁ、そうかい、俺とカイちゃんはそういう関係じゃないよ、判った、偉そうな事言って悪かったね、もう何も言わないさ、そんなに自分が上手いと思ってて、自分のしたいようにしたいだけなら、一人でゲームしてりゃいい、俺は降りるよ」
「遊馬さ、」
「下手クソなのに付き合わせて悪かったね、じゃ、そういう事で」
「遊馬さん、僕は、」
何か言いかけているのを無視して、遊馬はヘッドセットを外すと、そのままパソコンの電源を落とす。ヘッドセットを放り捨て、深い深い溜息を吐き、布団までのろのろ向かうと、仰向けになった。もう一度溜息を吐いて、天井を見上げる。
やっちまった。
後悔は有った。昔から急に感情的になるところが有って困る。遊馬はカイの言動について、一種の見切りをつけようとしただけだ。カイはそういう人間なのだ、と理解すると共に、諦めようと思っている。だがそれは見放すとか嫌いになるとか、そういう事とは別次元だ。あくまでも受け入れようとしている。ただ遊馬も、人に偉そうに言えるほどの度量が無いだけで。
俺も言い過ぎた。カイちゃん、たぶん誤解したろうな。後で謝らなきゃ。
そう考えつつも、遊馬はパソコンを付けはしなかった。今は感情が昂っていて、制御出来ない。今会ったらそれこそ、取り返しのつかない言動をしてしまいそうだったので、遊馬はただ、天井を見上げていた。
カイとの関係を、壊したくない。
遊馬は珍しくそう感じ、それなりに悩んでいたのだ。
それからの数日は仕事も忙しかったし、カイに会うのを避けていたところも有って、遊馬は会社に長い時間居た。同僚と携帯ゲーム機で遊んだりもした。それなりに楽しい時間だった。だから家に帰っても、ゲームもせずにぐっすり眠った。
四日目ともなると、遊馬の気持ちもかなり落ち着いていた。今日から復帰しよう、と思う。明日は水曜日だし、ひょっとするとカイからの呼び出しも有るかもしれない。
上手い具合にその日の仕事は早く終わり、夕方には帰宅できた。早速パソコンをつけてみると、過去の日付でカイからメールがいくつか。内容は極少ない。『怒ったんですか?』『遊馬さん、返事して下さい』『会って話がしたいです』そして最後のメールには、今日の日付で、
『もう、何もかも終わりですね』
そう、書かれていた。
全く、男の構ってちゃんなんて初めて見た。遊馬は少し呆れつつも、カイのマンションに向かった。ほったらかしで居たのは遊馬のほうだし、すぐに会って謝ろうと思った。幸い合鍵が有るから、留守でも部屋で待ち伏せればいい。
もしかして鍵を付け替えられているだろうか、と心配したが、玄関の鍵はあっさり開いた。中に入ると、床にビールやチューハイの缶が転がっている。遊馬はそれを不審に思った。カイの部屋はいつも異常なぐらい片付いていたのだ。それに家でアルコールを飲んでいる気配も無かった。なのにこの体たらく。
ふと水音がする事に気付いた。バスルームからシャワーの音がしている。それは、身体を洗っている時のような不規則な音ではなかった。ただ流している、というような音で、遊馬はなんとなく嫌な気持ちになった。
待てよ……何もかも終わりとか言って……あいつ変なトコで乙女だから……俺にフラれたと思って……自殺、とか……いやまさか、そこまでは……いや……。
あの乙女ならやりかねない!
遊馬は慌てて勢いよくバスルームに飛びこむ。と、
「……ッ!」
何故だか裸で座り込んでいた、カイと眼が合った。遊馬は「カイちゃん、無事か!?」と声をかけたが、カイは「な、な」と困惑した様子でしばらく言葉にならない。遊馬がカイに近寄って、特に切り傷などが無い事を確認し、安心していると、
「な、何、人のバスタイムに勝手に乱入してるんですか! 変態ですか!? さっさと出て下さいっ!」
とカイが叫ぶ。
「わ、ご、ごめん、ごめん出て行くよ!」
慌ててバスルームを出ようとすると、カイがハッとしたような顔をして、「嫌です行かないで下さい!」と遊馬に抱き付く。「わー、濡れる! ちょっと、上着に携帯とか入ってるから!」と叫ぶと、カイは一瞬手を離して、今度は上着の下に手を突っ込んで抱き付いた。
「ちょ、カイちゃん、あのね!」
「行かないで下さい、会いたかったんです、話がしたかったんです!」
「わ、判った、行かないから、離して、ね! 俺の携帯壊れちゃうから!」
「信じられません、僕が着替えてる間に何処かに行くでしょう!」
「何でそんな信用無いの俺!?」
遊馬はしばらく抵抗したが、どうにもカイが離れそうにないので、仕方無く上着だけ外の脱衣所に放り出して、後は諦める事にした。携帯と車のキーさえ守れれば、後はまぁ、どうでもいい。既に上着以外はすっかりカイのおかげで濡れまくっている。
「……んで、話って、何……あ! ごめんなカイちゃん、メールの返事出来なくて。俺、ここ数日パソコン見てなくて……」
先に思い出して言うと、カイは遊馬に抱き付いたまま、「何で連絡くれないんですか……」と恨めしそうに言う。
「僕は遊馬さんに嫌われたんだと……もう二度と会えないんだとばかり……」
「いや、その、ホントごめんな、ちょっと俺も気持ちの整理付かなくて……ってか、カイちゃん泣いてんの?」
「泣いてません。それより遊馬さん、僕の事もう嫌いになったんじゃないんですか。合鍵返しに来たとか、そんなんじゃないんですか」
「う、疑い深いねカイちゃん……いや、ホント嫌いになるとかじゃなくて……」
遊馬はカイに抱き付かれたまま、長い時間をかけてカイに説明した。自分はカイを嫌いになったわけではないし、受け入れるつもりだと。ただその為に時間が必要で、それでメールの返事も出来なかった、と。
カイは黙って聞いていたが、やがて小さく「すいませんでした」と呟く。
「僕も確かに言い過ぎました。あんな事言うつもりじゃなかったんです。僕も本当はもっと穏便にゲームしたいんですよ……」
「へ、へえ……。その……、カイちゃん、仕事とかだとちゃんと穏便に出来るんだろ? なんでゲームだと出来ないの」
そう尋ねると、またカイはしばらく黙って、それからのろのろと答える。
「僕、今のグループの人達が好きです。一緒に遊ぶのは楽しいし、皆好きです。遊馬さんは特別ですけど、他の人達も大事に思ってます」
「う、うん、じゃあなんで……」
「……たぶん、甘えてるんでしょうね。僕は仕事の方ではその……思いっきり偽ってますから、その反動が……。でも本当に悪い事をしたと思いました。だから彼には謝罪もしましたよ」
「仕方無く、とかじゃなくて、本心から?」
「当たり前です。僕もね、自分より上手い人から下手とか言われたら、この野郎ぶっ殺してやるって気持ちになります」
「そ、そいつは、穏やかじゃないね……」
「なんにせよ、僕も反省はしていますし、気を付けているつもりなんです。そう簡単に生き方やら何やらが、変わらないだけで……」
時間はかかると思いますし、これからも迷惑をかけてしまうとは思います。それでも僕と一緒に居てくれるんですか、受け入れてくれるんですか。
カイがそう不安げに言うので、遊馬は苦笑して頭を撫でてやった。
「前にも言ったろ、カイちゃんの色んなトコひっくるめて好きなんだって。愛想つかしたらそん時はそう言うさ。俺だって急に感情的になって怒ったりするけど、いいの?」
「僕はそれは別に、いいですけど……………………遊馬さん!」
「な、何」
「なんで僕だけ裸なんですか! 卑怯ですよ、遊馬さんも脱いで下さい」
真面目な話をしていたはずなのに、カイが急にそんな事を言って怒るので、遊馬は困惑してしまった。
「卑怯ってなんだよ、卑怯って。そんな、カイちゃんが服着ればいいだけで……」
「遊馬さん、服びしょびしょですよ、どうせ脱ぐんでしょ、早く脱いで下さい、ずるいですよ」
意味が判らない。そもそも服が濡れたのはカイのせいだ。ずるいも何も無い。色々言いたかったが、こういう意味の判らない事を主張しているカイに何を言っても無駄だとは判っていたから、遊馬は深い溜息を吐いて、脱ぐ事にした。
まぁバスルームで裸なら、健全な方だけど。そう思いつつ、服を脱いで、それから改めてカイを見る。カイはすぐに抱き付いてきた。よほど不安にさせたのだろうか、少し申し訳無くなると同時に、やはり可愛いと思う。それと、お前どんだけ乙女なんだよ、と呆れる。
「また僕とゲームしてくれます?」
「まぁ、俺は全然構わないよ、むしろやりたいし」
「まだこの関係続けてくれます?」
「カイちゃんが望むならね」
「そうじゃなくて、遊馬さんはどうしたいんです?」
「俺? 俺はカイちゃんを抱きたいけど」
そうきっぱり言うと、カイは困ったような顔をして、「だから、そういう恥ずかしい事を平気で言うの止めて下さい」と呟く。それがまた可愛くて、遊馬はカイの額にキスを落とした。
「あのね、カイちゃん。俺、カイちゃんの事、好きだよ」
「……っ」
「だから泣かないでよ」
「泣いてませんっ!」
「じゃあ、シャワーしながら何してたの。別に身体洗ってたわけでもなさそうだし」
「な、何って、何って……っ」
カイは何故か言葉に詰まっている。しばらく待ってみたが、カイは俯いて何も言わない。だから、遊馬は勘付いた。
「……言えないような事、してたの?」
「……っ、し、してません!」
「そっかそっか、してたんだね」
「してません! 何にもしてませんっ」
「うんうん、そうか、寂しい思いさせたね」
「遊馬さん、人の話聞いて下さいっ」
真っ赤になって否定されても、説得力が無い。遊馬はカイをぎゅうと抱きしめて、言った。
「じゃ、後は俺に任せるといいよ」
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