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第4話

「僕、帰ります。ご飯、ありがとうございました」 「もう遅いから、ここに泊っていったらいいよ」 「でも、勉強しないと」 「勉強なら、僕が教えてあげる。僕もあの大学の4年生なんだ」 「本当ですか」  食べ終えてから立ち上がると、お兄さんにまた座らされた。それから、お兄さんは、一冊の本を持ってきてくれた。それは、数学でも英語でも物理でもなかった。  『オメガバースについて』と書かれている。 「大学に入ったんなら、もう違う勉強もしていかないといけないよ」 「オメガ、バース?」 「そう。アルファやベータ、オメガについては教わった?」 「わからない。けど、そう、学長先生が、今日、『アルファとベータとオメガを区別しない』ってお話されていました。知らなかったら、おかしいですか」 「おかしくないよ。今から覚えればいいから」  よかった。僕は頭がよくないから、なんでも先にたくさん勉強しておかないと、周囲から置いて行かれるんだと、母さんが言っていた。 「けど、これは、明日からにしようか。学校もお休みだよね。もう0時過ぎたから寝よう」 「まだ、眠たくないですよ」 「そんなことない。眠たいはずだよ」 「そうですか」 「うん」  眠たくないのに、ベッドに入るなんていいのかな。贅沢な気がする。促されるがままに、お風呂に入ってから、お兄さんと一緒のベッドに入る。 「おやすみ」  お兄さんが目を閉じたのを見て、僕もそうする。お兄さんから言われたとおり、眠たかったみたいで、すぐに意識が遠のいた。  ***  ゆらゆら、ゆらゆら、意識が揺れる。  ベッドの、それも布団の中に入って寝るのは、久しぶりだった。温かいし、心地よい。思考が、浮き沈みする。 「その子をこちらに渡しなさい。あなたはおかしい」 「私はおかしくなんかありません! うちの子が□□□だから、そんなこと言うんですか! 私が! □□□□を生めなかったから! 分家だからって、私が、私が□□□だからって馬鹿にして!」 「違う。落ち着きなさい。その子は□□□だ。それをどうこう言っているんじゃない。ただ、あなたの元には置いておけない」  母さんが、泣きながら頭を振って怒っている。父さんは顔をしかめてため息を吐いて、どこかへ行ってしまった。全部、僕のせいだ。僕の血液検査が悪かったせいだ。僕が悪いんだ。 「聞かなくていいよ」  後ろから、僕の耳をふさいでくれたのは、僕より3つ年上の男の子だった。確か、お父さんの兄弟の子供だと、紹介を受けたことがある。とろりとした蜂蜜色の髪の、嘘みたいにきれいな男の子だ。  毎年、お正月やお盆には、たくさんの人が、この大きな家に集まる。その中で、唯一、僕に優しくしてくれるのが彼だった。 「でも、僕のこと言ってる」 「弓弦のことじゃないよ」 「僕は、母さんの子じゃないの」 「そうじゃないよ。ほら、泣かないで」  小学4年生になって採血検査が行われてから、いいや、その前からずっと、父さんと母さんは僕とあまり話してはくれなかった。学校でも、僕は会話するのが下手で、友達がおらず、年に数回しか会えない彼との会話が、とても楽しみだった。 「僕の父さんがね、弓弦と僕がずっと一緒にいれるようにしてくれるって。その方が、弓弦もいいでしょう」  僕は、彼のことが好きだった。  彼とずっと一緒にいることを想像すると、胸が弾んだ。なんでもないことを話したり、聞いたり、笑ったり、そんなことが毎日できたら素敵だと思った。  そう話したら、彼も「素敵だね」と頷いてくれた。  けど、そうはならなかった。 「これ以上しつこくするなら、弓弦を殺します」  母さんに腕を引っ張られ、背中を壁に押しつけられる。白い手が、僕の首を掴んだ。悲鳴をあげる間もなく、いや、その発想もなく、何をされるのかわからないまま、僕は母さんに首を絞められた。 「来ないで! 来ないで! 近づかないで!」  僕は、父さんと母さんのことも好きだった。怖い顔や辛い顔をしてほしくなかった。まして、それが自分のせいだなんて、悲しかった。 「ごめんなさい。母さん。僕、いい子にするから」  僕は、一瞬でも、この家を離れて彼と一緒にいる想像をしてしまったことに罪悪感を覚えた。してはいけない想像だった。 「ごめんなさい」  それから、僕は、毎日、机に座って勉強をした。勉強しかすることが許されなかったし、勉強をしていれば、母さんも父さんも「いい子」と言ってくれた。  だから、僕は、勉強しかしなかった。

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