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第5話

 目を覚ます。窓の外を見れば、もう太陽が高く昇っていた。お兄さんが、僕を抱え込むようにして眠っている。 「お兄さん、僕帰ります」  腕の中から抜けだそうとするも、更に強く抱き寄せられた。 「僕、勉強しないといけません。僕は、頭が悪いので勉強しないといけません」 「んん、」  お兄さんは、何回も目を擦りながら、ようやく起きてくれた。僕の顔を見、微笑む。 「おはよう」 「おはよう、ございます。お兄さん、僕、勉強」 「うん、俺が教えるって昨日話したよね。覚えてる?」 「お兄さんが、教えてくれる」 「そうそう。思い出した?」 「はい」 「その前に、朝ご飯を食べよう」 「お腹空いてないですよ」 「勉強の本も持ってくるから、そのまま待っていて」  言われたとおり、ベッドに入ったまま、お兄さんが戻るのを待つ。  お兄さんは、すぐにお皿の乗ったトレイと本を持ってきてくれた。昨日見せてくれたあの本だ。『オメガバース』とか話していた。  知らない単語だ。大学に入ったら、必要な勉強も違うんだ。ちゃんと予習していないと、置いていかれてしまう。 「はい、受け取って」 「はい」 「ココアとトースト。簡単でごめんね」 「温かい」  身体を起こし、膝の上にトレイを置く。いいのかな、行儀悪い。お兄さんも隣に戻って、布団の中に足を入れた。僕と同じように膝の上にトレイを置く。  よかった。合っていたんだ。  トーストを食べる。サクサクした食感がおもしろい。  食べ終わってから、お兄さんはトレイを脇のテーブルに避け、代わりに僕の前に本を広げてくれた。指で字を追いかけながら、話してくれる。   「『オメガバース』っていうのはね、男と女とはまた別の性別になるんだ。アルファとベータとオメガに分けられる。ベータは一番数が多い。きっと、弓弦くんが知っている男と女はここに入るよ」 「ベータ」 「そう。そして、アルファとオメガは数が少ない。少し特殊な人種だ。特に、オメガは特殊で、定期的に発情期と呼ばれる期間があって、その間は、ただただ子供を授かるためだけに動く。つまりは、性欲のためにアルファやベータを誘い、セックスに狂う」 「大変、だ」 「そう。大変なんだ。だけど、オメガは獣じゃない。人間だ。理性がある。だから、発情抑制剤という薬を飲んだり、番と呼ばれる関係を無理矢理結ばれないよう、首に保護具をつけたりする。番っていうのはね、アルファがオメガの項を噛むことで成立するんだけど、ベータでいう結婚のようなもので、オメガはその相手しか受け入れられなくなる」 「薬」  昨日、お兄さんは僕に薬を持っているかと聞いた。 『うちの子が□メガだから、そんなこと言うんですか! 私が! ア□ファを生めなかったから!』    咄嗟に両手で口を押さえる。気持ちが悪い。吐きそうだ。目を閉じる。お兄さんの声が遠くに聞こえる。痛い。頭が痛い。口が、勝手に動き出す。 「僕が、オメガだから」 ああ、吐き出してしまう。 「母さん父さんは、僕が嫌いなんだ。僕、たくさん、頑張ったのに褒めてもらえなかった。勉強しなさいって言うから、お腹空いても眠たくても、外に出たくても遊びたくても、全部我慢して頑張ったのに、褒めてもらえなかった。大学、合格したのに、何も言ってもらえなかった。家を出て行けって言われて怖かった。初めての電車もバスも怖かった。入学式、1人で、人がたくさんいて、怖かった。弟が、産れて、アルファで、僕は、オメガだから、もう要らないって、わかってる。だ、から、僕、1人でも、ちゃんと、ようやく、外に出れたんだから、ちゃんと、僕は、僕として、生活、するって」  また、眠たくなってきた。  母さんが部屋に持ってきてくれるご飯には、いつも荒く砕かれた白い錠剤が混ぜてあった。食べると、ボリボリ音がして、噛むのが大変だった。お兄さんが、昨日から作ってくれるご飯は、柔らかくて食べやすい。  歪む視界の中で、お兄さんが、泣きそうな顔で笑っていた。 「遅くなって、ごめんね。弓弦」  お兄さんが、夢の中のあの子と同じ、蜂蜜色の髪をしていることに、ようやく気がついた。  僕の、好きな色だ。 「これからは、ずっと一緒にいるからね」  お兄さん。僕ね、母さんと父さんに合格おめでとうって、言ってほしかった。入学式も、横に並んで座ってほしかった。けど、それはもう無理だって、わかってた。  家から出るとき、すごくすごく怖かった。けど、もしかしたら、前みたいに、あの子と話ができるかもしれないって想像したら、勇気が出たんだよ。 「おにい、さん」 「(しゅう)だよ、弓弦」 「しゅ、う、さん」 「ん」  まだ、目が覚めたばかりなのに、おかしいな。疲れているのかな。勉強、しないといけないのにな。勉強、しないと、困らせる。 誰が、困るんだっけ。 「よく頑張ったね、弓弦。おやすみ」

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