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【きっと君は覚えていない 〜Side A〜】さほり
「手荒なことをするよ」
そんな不穏な予告をされたのは、生まれて初めてだった。
炎天下の道端で、俺は1人の男に会った。照りつける真夏の太陽があまりに眩しくて、コンビニからの帰り道を俯いて歩いていたときだ。
「相沢?」
そう声をかけられて顔を上げたら、同じ歳くらいの男が立っていた。
こいつ、誰だっけ…… ?
まわり中に眩しい光が溢れていて、すぐそこにいるのに顔がよく見えない。しかも、強烈な日差しで頭が朦朧としていた。
男の下唇の端には、小さな黒い石が光っていて。
こんなとこにピアスするようなヤツに、知り合いいねぇけど。
そう思ったら、そいつが薄く笑って、言った。
「手荒なことをするよ。ごめん」
次の瞬間、背後から伸びてきた手に首を強く圧迫された。訳もわからず、振り向くこともできないまま、意識が遠のく。
まぶたの裏に映ったのは、青すぎる真夏の空とそれを分断する飛行機雲が反転変色した、ネオンのように狂気じみた残像だった。
*****
次に気がついたとき、俺は見知らぬ女と2人、ベッドの上にいた。
ぼうっとした頭で最初に認知したのは、見慣れない天井。仰向けに寝ていた俺は、無意識に腕を下ろそうとして、それが叶わないことに驚いた。
両手首が手錠のようなもので拘束され、ベッド上部のパイプにつながれている。柔らかい素材らしく痛くはないが、体の自由がきかない。
幸い、服は着たままだった。
その俺の腰のあたりに、髪の長い女が座っている。女はレースがフリフリした白いブラウスに黒いスカートという、アキバのメイドみたいな服を着て俺を覗き込んでいた。
状況が飲み込めない。
呆然と見つめ返す俺に、女はにっこりと微笑んだ。
「ごめんね、スタッフが手荒なことして」
その声が思いのほか低くて、俺は思わず女の喉に注目した。
喉仏が、しっかりと出ている。
え?…… 男?
黙っていれば女に見える。唇は艶々と光っているし、たぶん目元にも化粧をしているのだろう。
女は混乱している俺の下腹に手を伸ばした。指が長く、節が高い。男の手、に見える。
「これ、ゲイビの撮影なんだ。騙し打ちみたいにしたくないからちゃんと言うけど。この部屋、カメラ3つ仕込んであるの」
困ったように微笑みながら、女(?)は俺のジーンズのボタンを外した。
右目に泣きぼくろ。それにコーディネートするように、耳たぶと唇の端に、ほくろと同じ大きさの黒いピアス。
それを見て、やっと頭の回線が繋がった。
「おまえ、さっきの…… っ」
やっぱり男だ。さっき道端で物騒なことを言ってきた、唇 ピアスの男。
ご名答、と言うように、男はフッと笑った。女装してはいても、その表情は、完全に男のものだった。
「ごめん。この動画、公開されちゃうけど、君の顔はちゃんとモザイクするから、許してね」
女装の男は俺のジーンズのジッパーを下ろし、ためらいもなく下着の中に手を入れて蒸れたそれを引きずり出した。
「…… 勃ってないのに、結構おっきいんだね」
男は微笑みながら上半身をかがめると、艶のある唇で俺のを咥え込んだ。柔らかい唇が、まだ芯のない竿を上下にしごき、生温かい舌がその表面を這い回る。
訳もわからず与えられる刺激に、俺の身体は恥ずかしいほど素直に反応した。
半年前に別れた彼女になら、されたことがある。でもその時とは、比べ物にならない快感だった。ツボをおさえたような動きは、男同士だからか、それともこれがプロのテクニックというものか……
しゃぶられているものを奮いたい衝動に、我知らず腰が浮いてしまう。
「よかった。ちゃんと、勃ってくれて」
唾液で濡れた唇で、男が言った。そそり立った俺のに口をつけたまま。
身体を起こした男が滑らかな動きで俺にまたがると、太腿にしっとりした肌の感触と確かな重みを感じた。
黒いミニスカートをたくし上げると、その下には何も履いていなくて。
1番「男」だと主張するそれが、はっきりと見えた。
男はスカートを片手で胸の前にまとめると、腰を浮かせて俺のものを股間にあてがった。
「ちょ、待…… っ!」
淡々と進む奇想天外な事態に、俺は叫んだ。
男は濡れた唇で艶 かしく微笑みながら、腰を上下に動かし始める。
ぴちゅ、ぷちゅ、と、卑猥な音がした。
ほんの先端だけが、何か柔らかいものに飲み込まれ、揉みしだかれるような感覚。圧迫と解放を繰り返し与えられた俺のものは、ますます硬くいきり勃った。
「中出ししてもらう企画なんだ。だから悪いけど、生で入れるよ。でも大丈夫。さっきちゃんと、きれいにしてきたから」
経験を物語るように、触ってもいない男の性器が、勃ち上がっているのが見えた。
自分以外の勃起したものを、生で見るのは初めてだ。思わず凝視すると、俺にまたがった男はきゅっと眉根を寄せた。
「ごめん。ほんとは目隠しでもしてあげたいんだけど、この部屋にそんなものなくて。ずっと目、閉じてていいから」
そう告げる顔は、どこか悲しげに見えて。
なんで、と思った瞬間、しびれるような快感に襲われた。
刺激に敏感になった俺のが、温かく柔らかいもので包まれている。しかもそれはわずかな痛みを感じるほどにキツく締めつけ、ぴったりと密着した肉壁が波打つようにうねっていた。
目を落としても、男の陰部に隠されて結合部は見えない。でも、オトコを抱いた経験のない俺にだって、絡みつくような柔らかく狭い場所が、あの孔だってことくらいさすがにわかる。
気持ち悪いと思って、萎えてもいい状況なのに。
俺のを根元まで咥え込んで、せつなげに息をつく男が腰を振るたび、擦られるものは熱を増していった。
男が息声をもらしながら俺の上で腰を回すと、節操のない俺のは、もっと擦れ、もっと絡みつけと更なる刺激を求めた。
男だぞ、こいつは男なんだぞ……
理性はそう警鐘を鳴らすのに、貪欲な俺の身体は快楽を求めて勝手に腰を振る。
小刻みに突き上げられた男のものが、俺の腹の上で跳ねた。先端を濡らす透明な液がピュルッと飛び散るのが見えて、そんなビジュアルにもなぜか興奮が高まった。
すると突然、俺の視線からそれをかばうように、黒く艶のあるスカートが幕を下ろし、淫部の全てを覆い隠した。
目をあげると、スカートを押さえていた男の手は、襟元の黒いリボンをほどいている。
下から見上げると、うつむき加減でいる男の顔がよく見えた。
苦痛か、快感か。
少し顔を歪め、目が合うとなぜか恥じるようにそらし、男はほどいたリボンを白いシーツの上に棄てた。
男の指が、胸元に並んだブラウスのボタンを外す。
そこに現れたものに、俺は瞠目した。
その胸には、明らかに胸筋によるものではない膨らみがあったからだ。
柔らかさを感じさせる白い双丘と、その頂点で控えめに咲く、桃色の小さな花。
見たことがある……
胸を締めつけるような、既視感に襲われた。脳裏をかすめたのは、炎天下のプール。鼻の奥に、ツンとした塩素の匂いまでもが蘇った。
男ばかりの男子高校のプールで、視姦される屈辱に顔を歪ませていた、あいつは……
「伴野 …… ?」
俺がそう呟くと、上に乗った男は目を見開き、すぐに泣き笑いの表情になった。
「おまえ、やっぱ高校のーー」
開いた唇を、人差し指で止められた。伴野はその指を自分の口の前に立て、言うな、と微笑んだ。
撮影しているんだ。目の動きだけで、そう伝えてきた。
そしてその手でシャツの胸元を大きくはだけると、胸の膨らみを露出させた。腹の中をかき混ぜるようにゆっくりと腰を回しながら、両手で自分の胸を揉み始める。
演技か、本心かはわからない。
恥じらうような表情を見せて、自らの膨らみを両側から寄せるように揉み、2つの蕾をつまんで指先でこよるように動かす。
感じた表情でせつなげな声を上げる伴野に、俺は戸惑った。
おまえその胸、嫌だったんじゃねぇのかよーー?
*****
俺と伴野は、高2の短い間だけ、クラスメイトだった。部活も委員会も違う俺らは、本当にただのクラスメイト。
でもいわゆるモブだった俺と違って、伴野はちょっと目立つやつではあった。
派手ではないけど、キレイな顔をしていて。
でも彼女いないらしいぜ、という噂があった。伴野は特定の誰かとつるむわけでもなく、でも別にワルってわけでもなくて。いつも耳にはまってるヘッドホンが、「話しかけるな」オーラを醸し出していた。
いつ見ても、制服のシャツの上に大きめのパーカーを着ていて、体育はほとんど見学。あいつは身体が弱いんじゃないか、と囁かれていた。
その伴野が、何度目かのプールの授業に初めて参加したとき。
その姿に、誰もが言葉を失った。
学校指定の水着を履いた身体は確かに男のそれなのに。露わになった伴野の胸には、控えめな大きさではあれど確かな膨らみがあったからだ。
伴野は、女子のように腕で胸を隠したりはしなかった。精一杯の虚勢で、堂々としていようと心に決めていることを、引き結んだ唇が痛々しいほどに語っていた。
無遠慮な視線に晒されながら、伴野は誰に話しかけられることなく、1人でその屈辱に耐えていた。
おそらく、ずっと「体調不良」でプールを見学している伴野に何か脅すようなことを言ったのであろう体育教師は、彼の姿を見るとあんぐりと口を開いた。伴野は恨むような視線を投げたきり、その教師とは話をしなかった。誰とも目を合わせず、口をきかず、ずっと怒ったような顔で50分を過ごした。
伴野は、泳ぎが上手かった。きっと子どもの頃に習っていたのだろう。クロールのフォームはきれいで、水泳部員に匹敵する速さ。その彼が水泳をずっと見学していた理由など、1つしかない。
でもきっとクラスの誰も、その速さになんか注目していなかった。
その日以来、伴野はみんなから特異な目で見られるようなった。
休み時間になると、他の学年の奴らまで、頬杖をついて音楽を聴いている伴野を見に来る。そして誰も彼もが、シャツとパーカーに隠された胸の膨らみを想像していた。ちらちらと胸に注がれる視線に、本人が気がつかないはずがない。
伴野は夏休み明けから、学校に来なくなった。
いないのが普通になってしばらく経った冬に、クラスの担任から、伴野が自主退学したと聞かされた。
友達でもない。
連絡先も知らない。
何度かしか話したこともない、クラスメイトの1人だった伴野はそうして、俺の視界から消えた。
*****
どうして気づかなかったんだろう。
俺は双丘のつぼみを自ら摘まんで喘ぐ男の顔を見つめた。
黒かった髪が伸びて茶色になった。いくつも開いたピアスが、チャラい印象を前面に押し出している。さらに今は、カツラをかぶって化粧までしている。
でも。
色素の薄い目も、その下の泣きぼくろも、薄く引き結んだ唇だって、あの頃の伴野のままなのに。
短く、細切れの息を吐きながら、俺の上で伴野が腰を振る。
伴野の両手は長い指の間から柔らかそうな白い膨らみを覗かせながら、ひたすらに乳首を愛撫している。桃色だった2つのつぼみは、いまや赤く腫れ上がっていた。
せつなげに震える顔を見上げると、潤んだ瞳と目が合った。伴野が眉根を寄せて泣き笑いの表情を見せると、俺のを包む中の肉がぎゅっと締まる。
「気持ちいい…… 」
断続的な喘ぎの合間に、台詞とも本音ともつかないことを呟く。
「もっと、奥…… 欲しい…… っ」
ねだられて、思わず腰を突き上げる。一段トーンの高くなった喘ぎに煽られて、頭上で拘束された俺の腕がガチャガチャと金属音を響かせた。
触りたい……
男だってことは、分かってる。
それでも、その白い肌に、柔らかそうな膨らみに、触れたくて堪らない。
両手で腰を押さえて、一番奥まで突き上げたい。
控えめな胸を揉みしだいて、赤い先端に吸い付きたい。
我ながらバカだと思いながら、俺は闇雲に腕を動かした。
すると伴野が腕を伸ばして、暴れる俺の手首にそっと触れた。そのまま身体を倒して俺の耳元に唇を寄せると、ちゅ、ちゅ、とついばむようなキスをする。硬く勃ち上がった赤い乳首が、俺の胸を擦った。
「中に出して」
鼓膜を震わせたその台詞に、俺がその顔を見返すと。
「そうしたら、ほどいてあげられるから」
内緒話のように、伴野は息声で囁いた。
そして再び上体を起こすと、片手で持ち上げたスカートの裾を口に咥えた。露出した性器は濡れて光り、天井を仰いでいる。
伴野は太腿に力を入れて腰を浮かすと俺のをぎりぎりまで引き抜き、一気に落としてそれを奥まで挿し入れた。
スカートを咥えた艶のある唇から、声にならない喘ぎが漏れる。
何度も、何度も。
男らしい力強い動きを繰り返しながら女のように喘ぎ、伴野は激しい抽挿で俺を攻めた。
中の肉は引き絞るように絡みついてきて、今まで感じたことのない強制的に搾り取られるような快感に、何も考えられなくなった。
「………… っ!」
こんなのに、耐えられるはずがない。
俺は伴野の中に、激情を放った。
生で誰かの体内に放出するのは初めてのことで、その開放感と背徳感に頭が痺れた。
出している間も、最後の一滴まで絞ろうとするように、中の肉が貪欲に蠢 く。
出し尽くして動かなくなったそれを挿れたまま、伴野は自分の屹立をしごいた。片手で胸を弄りながら手筒を動かすと、先端から白濁が溢れて指を濡らす。粘度のあるその体液を見せつけるように、指の間で糸を引くそれを自ら舐めた。
きゅんきゅんと収縮を繰り返すその孔から、伴野はゆっくりと俺のを引き抜いた。
そしておもむろに体勢を変え、後ろ向きに俺の胸の上に跨った。伴野が黒いスカートをたくし上げると、目の前に白い尻が露わになる。
「お願い…… 」
弱々しい声が、向こうを向いたままの伴野から聞こえた。彼は背中を猫のようにしならせて、俺の目の前にその尻を突き出した。
「見ないで…… 頼むから…… 」
泣きそうな声に、ハッとした。俺の頭上にカメラがある。さっき、そう目で教えてくれたのは伴野だ。挿れてる俺の目線での映像を撮るためだろう。
だから伴野は今、俺にじゃなくカメラに向かってその尻を晒しているのだ。
見ないでと言われても、さっきまで俺のを咥え込んでいたその濡れた孔に、目が釘付けになる。
閉じきらず痙攣をくりかえすそこから、目を離すことができなかった。
ふうっと、孔の辺りの皮膚が盛り上がった。孔が開いて、奥に続く赤い道がパッと花咲いたように見える。その花の中心から、粘度を感じさせる白濁がとろりと垂れた。
それが、さっきまでは俺の体内にいて、伴野の腹で温められたものだと思うと、汚いとか、やらしいとか、そういう感じは全然しなくて。
ただ、無性に愛しかった。
*****
「犬に噛まれたと思って、忘れて」
伴野はそう言うと、振り向きもせずにベッドを下りてドアの方へと歩き去った。その向こうに消えてからすぐ水音が聞こえてきたから、あっちはバスルームなのだろう。
俺はさっきまで男に挿入って、狂犬のそれのように猛り狂っていた息子を眺めた。そこから放出したものを、目の前で垂れ流した、伴野の……
ガチャッと音がして、女装のままの伴野がドアから出てきたので、俺は慌てて顔を上げた。バスルームで整えたらしくブラウスのボタンは上まで閉められ、膝までの黒いスカートがふわっと揺れる。伴野だと分かっていても、少し離れると女に見えてドキドキしてしまう。
伴野はベッドに乗ると、濡らした温かいタオルで俺の身体を拭いてくれた。優しく、特に股間を丁寧に。
そして冷蔵庫からペットボトルを取り出して、俺に差し出して見せた。
「のど乾いただろ?飲む?」
俺が頷くと、伴野はボトルにストローを挿して飲ませてくれた。横になったままの喉に、冷えたカフェオレが流れていく。味なんてほとんど分からなかった。ただ、喉の下半分だけを冷やしながら流れる液体の感触が、いつもと違うと感じた。
ボトルの半分ほどを一気飲みして、俺はストローから口を離した。
「もういいのかよ」
そう聞く伴野の声音が、さっきまでとは違う。素っ気ない男の口調だと気づいた俺は、もう個人的な話をしてもいいのだと分かった。
でも、何から話したらいいのだろう。
伴野は俺と分かっていて、ここに運んだ。俺の名前を呼んだ声を、確かに聞いた。偶然の再会なんかじゃない。
なんでそんなことを?
学校辞めてから、何があった?
これが今のお前の、仕事、なのかよ…… ?
言葉を選んでいるうちに、瞼が重くなってきた。
ヤッた後に眠くなること自体は、おかしくはないんだけど。
なんだろう、こんな強烈に。
ちゃんと話をしようと思ってたのに、なんで……
不思議に思ってふと見上げると、伴野はうっすらと笑っていた。こうなることが、分かっていたように。
「ごめん」
低いその声を、最後に聞いた。
おまえ、さっきのコーヒーに、何か……
伴野に何も聞けないまま、俺は暗い眠りの中にずぶずぶと沈んでいった。
*****
目が覚めたら、同じ部屋のベッドで一人きり。
下着だけは履いていて、俺の服は畳んでベッドサイドに置いてあった。
その下に挟まれていたのは、見慣れた紙片。
「出演料、かよ…… 」
冗談じゃない。
全部夢だったのかなんて、疑う余地もない。
手首にはうっすらと赤い跡。腰には鈍い疲労感。そして両手には、細く白い身体に触 れなかったもどかしさが残っている。
ふと視線を感じて窓の外を見ると、向かいのビルの屋上に、日傘をさした人影が見えた。
シャツの上に、青いパーカー。細身のデニム。「男」の格好をした彼を見て、俺は跳ね起きた。
「伴野…… っ!」
俺が窓に寄ったのを確認すると、彼はゆっくりと踵を返した。黒い日傘が、フェンスの向こうに消える。
この炎天下、俺がちゃんと眼を覚ますか、あんなところで見てたのか……?
俺は慌てて服を着て、その脇に置いてあった鍵をひっつかんで部屋を飛び出した。
ホテルのエントランスを駆け抜け、周りを見渡す。黒い日傘も、青いパーカーも見当たらない。
向かいのビルのエレベーターに乗り、屋上に上がった。重い鉄のドアを開けたとたん、刺すような眩しさに目がくらむ。伴野はいない。フェンスに駆け寄り、屋上をぐるりと一周して下を確認した。
伴野の姿は、もうどこにもなかった。
身体中から汗が噴き出した。
緑化もしていないビルの屋上は、地獄のような暑さだ。強烈な日差しを浴び続け、その熱を溜め込んだフライパンのようなコンクリートに、俺はへたり込んだ。
ビルだらけの街のどこにいるのか、周りは蝉の声が充満してうるさいくらいだ。
伴野は、もしかしたら。
うるさい外野の声を聞きたくなくて、いつもヘッドホンをしていたのかもしれない。
ふと、そんな風に思った。
頭痛と耳鳴りを感じた俺は、ゆっくりと立ち上がって屋内へのドアを開いた。
このままでは、熱中症確実だ。
日傘を差していたとはいえ、伴野はどのくらい、ここにいたのだろうか。
おそらく睡眠薬のようなものを飲まされた俺を心配して、こんな炎天下に。
もしかしたら、何時間も…… ?
…… 探そう。
伴野を、探そう。
今の時代、ネットを駆使すれば人1人を探すことなど、それほど難しくはないだろう。
俺は流れ落ちる汗をぬぐいながら、古いエレベーターに乗り込んだ。
壁にもたれて目を閉じると、まぶたの裏側に、あいつの泣きそうに歪んだ笑顔が浮かび上がった。
[了]
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