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【飛行機雲を追いかけて】ゆきじ

椎名が居なくなったことに気付いたのは、カナの連絡からだった。 7月上旬の蒸し暑い朝に、カナからメッセージが届く。出かける前だったが、やけに胸騒ぎがして、直ちにメッセージを展開した。 『ねえ、椎名君がどこにもいないの。携帯も繋がらない』 『家は?』 『引っ越してた。会社も辞めたって。岳、何か知らない?』 『ごめん……知らない』 そう言えば、椎名とは2ヶ月近く会っていない。椎名が何も言わずに居なくなるなんて、信じられなかった。 革靴を履こうとした足が止まり、思考が停止する。頭の中を雑音が行き来した。 また今度、と手を振る椎名の顔は今でも覚えている。愛想笑いが下手な椎名の笑顔は貴重だから忘れる筈がない。 『椎名が居なくなった……』カナの動揺する様よりも、遥かに俺が衝撃を受けていた。 俺と椎名とカナは大学からの同級生だ。 地方からやってきた同じような境遇の俺たちは、授業で顔を合わせているうちに自然と仲良くなった。 何故そこに異性のカナが入っているのかと言うと、ありがちなことに、俺はカナと付き合っていたからだ。更にありがちなことは、寂しさを埋めるように互いのアパートを行き来しながら、自堕落な半同棲生活をしていたことだ。 そんな俺たちに、口数は少ないものの、いつも穏やかな佇まいで傍にいてくれたのが椎名だった。 カナとは、1年で別れることになったものの、俺たちの友情は続いた。一緒に授業を受け、学食で昼ご飯を食べたり、時にはコンパへも行き、深夜のテンションで遠出をしたり、時には同じ布団で雑魚寝もした。 そんな関係が社会人になってから一転する。 カナがブラック企業に就職したせいで、飲み会は必然的に俺と椎名の2人が定番になった。 椎名はメーカーの営業、俺は地方の信金に勤めており、至ってホワイトな企業であった。 だが、その日の椎名は何があったのか、やけ酒を煽るように飲んでいた。 「椎名、飲みすぎんなよ。帰れなくなるぞ」 「分かってる。岳はうるひゃい……」 「『ひゃい』って完璧に酔ってんじゃん」 「酔ってねーよ」 回答とは裏腹に、何杯目か数えることを諦めたジョッキを、椎名は勢いよく飲み干した。 結局酔いつぶれた椎名を抱えるように俺の家へ連れて帰る。椎名だって、飲みたい時もあるだろうし、誰だって抱えているものがあるから、致し方ない。そんな時はお互い様だ。 俺のベッドへワイシャツのままの椎名を転がした。柔らかな乱れ髪を指先で直してやる。 頬を撫で、頭をポンポンと優しく叩いても、起きる気配がない。寝息を立てて、気持ちよさそうに寝ている。 俺はシャワーを浴びるべく、浴室へ向かった。 ┈┈ ✈︎ 目覚めたら、ソファで寝ている俺を見下ろしている椎名がいた。 シャワーを浴びたらしく、髪から滴り落ちた水が俺の頬を濡らしている。 「冷たっ、お前、ちゃんと拭けよ」 「聞いて欲しいことがある」 「へぇっ?」 「隠して生きていくのが辛いから、岳に打ち明けたい」 慌てて起き上がる俺を、軽く手で制して、椎名は思い切ったように静かに話し始めた。 「岳は俺の恋愛遍歴知ってる?」 「あ、いや、大学の時にカナの友達と……」 「付き合ってないよ。他は?」 「他は知らないけど、それが何だよ」 「俺、男が好きなんだ。大学の時から男と付き合ってた」 「……………………」 「ほら、気持ち悪いって顔に出てる」 驚きで言葉が出ない。 だって、なんとなく分かっていたから。椎名は女に興味が無いこと。男が好きなのは、容易く予想ができた。 長いこと一緒に居て、気付かない訳がないのだ。 ただ、隠しておきたかったマイノリティをわざわざこのタイミングで、しかも俺だけに話したことが疑問だった。 「気持ち悪いなんて思ってねーよ。憶測でしゃべんな」 「だってそう見える」 「どんだけ一緒に居ると思ってんだ。なんとなく知ってたし」 「えっ……」 「親友だろ」 「そうだけどさ……昔付き合ってた人から連絡が来て、一昨日、久しぶりに会ったんだ。こっちだって期待して行くじゃん。ものの見事に下心を見透かされて、気持ち悪いって罵られた」 「はあ……それが突然のカミングアウトとどう関係してんだ」 同じ立ち位置で恋愛をしていた相手から気持ち悪いと言われる体験は早々できるものではないだろう。かなりショックに違いない。 椎名がどうという問題ではなく、昔の椎名が選んだ相手が難ありではないのか。 「だから、更に岳にも全否定されて、救いようのないくらい落ち込みたかったんだ。俺のこと、人間失格で、まともに生きられる訳無いって言ってよ。気持ち悪いって笑って。そしたら、今後一切期待せず、慎ましく生きていける」 椎名の潤んだ目が俺を見据えた。 言っている意味が分からないし、落ち込んでる人間を更に追い込むようなことはできない。それに、椎名を気持ち悪いとは思えなかった。 「思ってもないことは言えない。椎名は椎名だし、どんな恋愛してようが、誰と何をやっていようが、俺はお前を軽蔑しないよ。俺の目の前にいる椎名が全てだ」 「岳なら俺をどん底へ落としてくれると思ったのに……意気地無し」 「考えが甘い。とにかく頭を拭けよ」 「ん……」 俺は項垂れる椎名を引き寄せて、濡れた頭をバスタオルで一気に拭いた。 「そんな親友へ1つ提案があります」 「悪い予感しかしないけど」 「うふふふ」 椎名が可愛らしく悪戯に笑う。 「ねえ、岳。それなら俺とセックスしない?」 予期しなかった親友からの提案に再び絶句した。 気持ち悪いとどうしても言わせたかった椎名の方が1枚上手であったが、セックスを持ち出されても否定する気になれなかった俺は、更に上手であると言える。 ドヤ顔で返事を待つ椎名へ、俺は『別にいいよ』と涼しい顔で返した。 ┈┈ ✈︎ それからの展開は説明に容易い。 引くに引けない椎名と、文字通りセックスをした。受け入れる側の椎名も、最初こそ恥じらうものの、そのうち慣れてきたのか、大胆さを見せるようになっていた。 女性としかしたことがない行為は、簡単に俺の概念を変える。椎名のナカは温かくて柔らかく、顔を隠しながらも漏れてくる声はとても色っぽいものだった。 ノリで始めた行為は、忘れられない快楽とともに、俺の中で甘い余韻を残す。 そんなことを知ってか知らずか、初めての行為後もしつこく椎名が確認してきた。 「どうだった?色々気持ち悪かったでしょ」 「いや、全然。気持ち良かった。椎名さえ嫌じゃなければ、またやりたいくらい」 「!!!…………ほんっとに、岳って何なの??」 「…………?お前の親友だけど」 「そういうのじゃなくてさ……もっと、普通の友達みたいな反応を見せてよ」 「ごめん。普通の友達がよく分かんないや」 「分からずやだね!!」 半泣きの困った顔で、椎名は枕に伏せた。 一度行った行為は、2回目も3回目も流れでやることになり、そのうち会う度身体を重ねるようになった。 言い訳するが、行為中は椎名のことを可愛いと思えたし、興奮もした。どちらの性別とも言えない妖艶な生き物に翻弄された。 もっと場の雰囲気が読めて、椎名の言わんとすることを察することができていたら、彼が姿を消すことは無かったのかもしれない。 互いの性欲を晴らすための行為が、椎名の苦痛になっていたことにも気付かなかった。 最後に会った2ヶ月前は、そんな気分じゃないとセックスを拒否された。様子が明らかに違っていた訳でなく、いつもと変わらない、いつもの椎名だった…………と思う。 ┈┈ ✈︎ 「マジか……」 カナの言った通り、椎名は引っ越していた。ヒラヒラと空き家を告げる紙がドアノブで揺れている。仕事先にも電話してみても、先月の退職を事務的に告げられるだけだった。 携帯も繋がらない。SNS系のアカウントは全て消えていた。 原因は鈍い俺にあると第六感が告げている。 真相は分からなくても、俺がきっかけを作ったに違いないのだ。 息をするにも躊躇うくらいの熱風がアスファルトから上がってきた。目眩を覚えるような暑さに、頭がくらくらした。 椎名の行方について共通の友人に聞いてみても『岳の方が知ってるはずだ』と、皆が口を揃えて言う。新しい情報を得られぬまま、失踪発覚から1ヶ月が過ぎていた。 椎名のことを考えすぎて、仕事中でさえも、ぼんやりすることが多くなる。 そんな営業の帰り、交差点で見知らぬ誰かとぶつかった拍子で尻もちをついた時だった。 飛行機雲が、透き通った濃い青へ、真っ白な1本の筋を見事に作っていたのだ。浮かび上がるような白は、夏空を切り開くように凛としていた。 『ねえ、知ってる?飛行機雲にはね、死者の魂が宿ってるんだ』 頭のなかで椎名の声がリフレインする。 『俺の田舎ではそう信じられていて、みんな手を合わせるの。安らかに眠りますようにって』 『どこの田舎だよ』 『馬鹿にしてるでしょ。関東の奥にある小さな町。田舎だけど、海が綺麗なんだ。岳にも見せてあげたい』 そう言って、椎名は聞いたことの無い地名を告げた……のを今はっきりと思い出した。 俺は震える手で地名を検索する。どうして今まで思い出さなかったのか。都会から消えた椎名の行方を、海の綺麗な港町へ望みをかける。 その日のうちに有給を申請し、翌朝の暗いうちに電車へ飛び乗った。 ┈┈ ✈︎ ガタタン……ゴトトン…… 流れる緑一色の景色に飽きた俺は、車内でうたた寝をした。すると、夢の中の椎名が溢れて止まらなくなる。 肉まんが好きで、冬の帰り道によく半分こして食べたこと。細いのに、体型を女子みたいに気にしていたこと。かと思えば、カナのストーカーを捕まえて警察に突き出したり、サッカーがものすごく上手かったりした。 親友のくせに、一年以上微妙な関係を続けていた時でさえ、何も言及してこなかった。それでいいと思い込んでいた自らを呪う。 嫌な素振りは見受けられなかったのに、一体椎名は何を理由に俺から逃げたのだろうか。 『うちは、小さな商店街で酒屋やってんだけどさ、俺は全く飲めないの。酒の善し悪しがさっぱり分かんない』 『宝の持ち腐れだな。俺は羨ましいよ』 『いいの。実家を継ぐ気はないから』 小さな椎名が度々現れて俺にヒントをくれる。駅に着いたらまず商店街を探そうと決めた。 3度目の乗り換えで、閑散とした無人駅へ到着した。周りには緑以外何も無い。タクシーすら、人っ子一人いない。 突き刺すような炎天下のもと、俺は椎名を求めて歩き始めた。 ┈┈ ✈︎ 燦燦と降り注ぐ太陽の下、丘らしき高台へ上り、町を一望する。 そこから20分程で海が見えてきた。小さな港町は、穏やかな昼過ぎを迎えている。漁船がゆらゆらと波に揺れ、木陰で猫が昼寝をしていた。魚市場的な建物にも人はいない。 さらに歩みを進めると、家が立ち並ぶ集落が見えてきた。じりじりと身体が焦げていく。明日は真っ赤になるに違いない。帽子を持ってこれば良かったと後悔しても、時すでに遅しである。 椎名の言った通り、港町の小さな商店街には、クリーニング屋、豆腐屋、服屋などが小じんまりと並んでいた。その端っこに『椎名酒店』はあった。 店には、いつしかテレビで見なくなったアイドルがビール片手に微笑む、色あせたポスターが貼られている。 覗いても、店内は町同様に人の気配は無い。しかも入口には鍵がかけられていた。 (留守か……) 勢いで椎名の実家まで来てしまったが、収穫無しの上、ただの迷惑な輩になる可能性もある。 今更ながら、椎名の親御さんに何と説明すればいいのか、分からなくなってきた。 (おたくの息子さんと良からぬ仲を続けていたために、彼がどこかへ居なくなってしまいましたとか、むちゃくちゃ格好悪いし、やっぱり帰ろうかな……) 「お待たせしてすみません。配達に行ってまして。今から開けますね」 店の前で右往左往している俺に、後ろから優しい声が掛かる。 「…………椎名…………」 聞き覚えのある声を噛み締めるように振り返った。久しぶりに会う椎名は少し痩せ、日焼けしているように感じた。 「……………………岳、じゃん……なにしてんの」 「……それはこっちのセリフだよ。お前こそ何してんだ。どうして居なくなった?」 およそ3ヶ月ぶりの再会は、苦くも甘くもなく、胸の辺りを締め付けるような切なさが込み上がる。 言葉が続かない俺たちをフォローするかの如く、遠くでアブラゼミが鳴いていた。 ┈┈ ✈︎ 「久しぶりだね」  店の奥にある、生活スペースへ入れてもらう。  不機嫌な表情で、椎名がちゃぶ台へ麦茶を置いた。氷がこれでもかと投入してあるそれを、俺は一気に飲み干す。干からびた身体に麦茶が染み渡った。 「椎名が黙って居なくなるから、探しに来たんだ。仕事も辞めたって。どうして相談してくれなかったんだよ」 「岳に相談したところで、何も解決しないでしょ」 「そんなことない」  小さなため息をついた椎名は、お替わりの麦茶を注ぐ。 「半年前にね、父さんが病気で入院したんだ。母さんが1人で看病してたけど、心労がたたって倒れて、2人共入院中なんだ。今後父さんは、通院しながら療養するけど、酒屋をやっていくだけの体力がない。どっちみちここをどうにかしなくちゃいけなくて、だったら仕事を辞めて帰ろうかって……」 淡々と椎名は家庭の事情を説明する。 「姉ちゃんがいるって言ってたよな」 「姉ちゃんは、結婚して家庭もある。俺ももう28で、腰を据える時期だと思ったし、酒屋を継ぐかは決めてないよ」 「そうか……」 俺は頼りにならない、と遠回しに言い切られては、反論も無かった。 椎名には、他人が介入できない椎名の事情がある。それは他所の俺が口を出すことではない。 カラン、と氷が崩れ落ちる音が、唸るクーラーと重なった。 「でも、実家の話をあまりしたことがなかったのに、よくここが分かったね。何も言わずに姿を消したこと、後悔してたんだ。岳、ご飯食べてってよ。お隣さんから新鮮な魚を貰ったの。後で駅まで送ってくから。ここ、夜8時で電車が終わるんだ。ウケるよね」 「椎名、あの……」 俺は何のために来たんだ。椎名の気持ちを聞きたかったからではないのか。勿論、彼の事情も知りたかった。それ以上に、謝りたかった筈ではないか。 手を伸ばし、自身の手を椎名の掌に重ねた。 「…………何?やりたいの?」 椎名は思わせぶりに、俺を見つめる。 いつもの、色を含んだ視線だ。 「こっちに来てご無沙汰で、俺も溜まってる。別にいいよ。しようか」 「……違うって!!」 無意識に大きな声が出てしまう。 この後に及んで、俺との微妙な関係に触れてこないとは、惚けるにも程がある。 「俺がここに来たのは、椎名の気持ちが知りたかったから。俺達、親友なのに、普通の親友がやらないことやってて、それでお前が居なくなって、最低な自分を心底反省した。椎名の厚意に甘えてた。ごめん……」 椎名は微動だにせず、俺を見据えている。 いや、呆気に取られてるに近い。 「俺は恋とか愛とか、同性愛とかよく分かんないけど、椎名が居なくなって本当に寂しかった。気持ちいいからってズルズルあんなことしちゃいけなかったんだ。会えなくなるのは嫌だ」 ちゃんと伝わったかは不明だが、心にある自らの気持ちは言葉にできた。 沈黙が続く。言い切った後に、地雷を踏んだのではないか、もしかして俺自体が場違いか、と後悔の念が駆け巡るも、椎名の表情からは読み取れない。 椎名が再び口を開くまでに、長い時間を要した。 「…………俺は器用じゃないから、セックスと友情、どちらもっていうのが辛かった。岳のことは初めて会った時から好きだったし、なおさら苦しくて……」 「……それ、初めて聞いた」 「うん。初めて言った。ちなみにカナは全部知ってる。岳の人でなし行為も筒抜け」 「…………」 俺の事が好きなのに、何故目の前から黙っていなくなったんだ……?と喉から言葉が出かかったが、椎名のペースで話を聞かなければ、何も始まらない。今は受け入れる器の大きさを見せるところだ。 しかし、カナが知っていたとは驚いた。 「岳は身体だけで、心は求めてくれなかったでしょ。知らないうちに身体と心が別ものみたいになって、あ、ヤバいって、限界を迎えた時、母さんが倒れたの。渡りに船で、全てを捨てて帰ってきた。岳と離れるなら都会に居る意味無いし、住む場所にこだわる理由もない。田舎暮らしも結構楽しいし」 岳は身体だけで、心を求めてくれない……椎名の言葉がグサグサと自分の悪行に突き刺さる。 都合よく扱ったのは俺だ。椎名の優しさにどっぷり浸かっていた。 「それは本当に悪かった。椎名の話を聞こうともせず、何も言わないのが了承だと思い込んでいた」 椎名の丸く澄んだ瞳へ吸い込まれそうになる。 「でもね、こうして探しに来てくれたし、もういいかなって。俺、やっぱり岳が好きなんだ」 「…………椎名…………」 「そんな顔しないで。岳に会えて嬉しいもん。岳と初めて寝た時、世界が変わったんだ。このままでいい、欲張らないって誓っても、人は貪欲だね。あーあ、簡単に許しちゃった……絶対に許さないって、死ぬまで祟ってやると決めていたのに……結局好きになった方が負けだ」 俺は、舌を出しておどける椎名を無意識に抱きしめていた。 結局、椎名に赦して欲しかったのだ。この笑顔に会いたくてしょうがなかった。 「いいよ、俺に合わせなくても。俺は俺。岳は岳。やりたくないことはやらなくてもいい。恋人になってなんか言わないから」 「いや、久しぶりに再会したら、お前のこと可愛いく見えた」 「うそっ……それこそ青天の霹靂だよ」 椎名がこっちを向いた隙に、唇を奪った。 ┈┈ ✈︎ かなりガツガツしていた。いきなり舌も入れ、椎名を押し倒そうとした。 自分の性欲が制御できない。ここ最近は椎名としかしてなかったから、簡単に椎名でスイッチが入る。 というか、とうの昔に俺は椎名でなければいけない身体になっていたらしい。しかも俺に彼女がいたのは、2年以上前だ。遠い昔で記憶が薄い。 「ちょ、ちょ、ちょっと待って……」 「…………なに?」 椎名は、両手のひらで俺の頬をぐっと遠ざける。肩で息をしながら、深呼吸した。 「女々しいと思われるかもしれないけど、今後、俺とどうするつもりか教えて欲しい。そうじゃないと……」 「やりたくないのか?」 「…………そんなことはない。でも、気持ちの問題を解決してから、行為に集中したい」 またしても己の欲望に負けるところだった。同じ轍は二度と踏まない。俺は、椎名に対する言葉が圧倒的に足りなのだ。 互いの額を近付けて、目を合わせた。椎名が恐る恐る俺を見る。ゆっくり間を持たせて、丁寧に伝える。 「椎名は遠恋できる?」 「遠恋?…………できる、よ」 「俺もできる。付き合おっか」 「……………………なんか軽い」 ぷい、と椎名は反対方向を向いた。 この期に及んで俺に真面目さを求めてきたようだ。 「なんでそっち向くの。椎名は今から俺の恋人だろう。恋人の話はちゃんと聞かないと」 『恋人』というワードに反応し、瞬く間に椎名の顔が赤くなった。小さく『恋人なら別にいいけど……』と呟くのが聞こえる。 お許しが出たので、再びねっとりと濃い口付けに戻る。前のめろうとしている自らをキスで落ち着こうと試みるが、失敗に終わりそうだ。 (やばい……可愛く見えてしょうがない) 固くなりかけていた椎名の股間を揉む。硬いジーンズを脱がし、ゆっくりと服を剥ぐ。Tシャツ跡が少し焼けているものの、相変わらずの色白は変わらない。男らしいとは言い難い風貌で一生懸命酒屋をやっているらしい。全体的に引き締まった筋肉体型になっていた。 ピンク色の乳首を舌で嬲って甘噛みする。その度に椎名から可愛い声が漏れた。 モゾモゾと動きながら、懸命に応えようとしている椎名は、荒い息に潤んだ瞳で耐えている。 「だ、ダメだよ……岳……気持ちをよくなっちゃう……ぁっ……」 「いいんだって。『恋人』なんだから」 「そればっかり言うな。しつこい。ってか岳自体がしつこい……」 「悪かったな、しつこくて」 「ぁぁぁっ……そこは舐めちゃだめ。今までだってしたことない、ぁ、ぁっ……」 人生初の口淫も何ら躊躇うこともなかった。濡れそぼるそれを口に含む。口内に苦味が広がるも、快感に腰を震わせる椎名が何よりもエロくて興奮した。 ┈┈ ✈︎ 「はぁっ……ぁ……あ、ん、きもちい……岳の、久しぶりだぁ……」 散々愛撫して、椎名へ自身を挿入する。爆発寸前だった息子は、とろけるくらい柔らかで温かな窄まりに歓喜していた。勿論、腰は止まらない。 椎名も気持ちよさそうに喘いでいた。久しぶり同士、時間の隙間を埋めるため身体を重ねる。 夏の平日の昼間、しかも酒屋の奥で男同士が抱き合ってるとは、誰も気が付かないだろう。 田舎特有のかび臭さが、椎名の甘い体臭と重なる。変な懐かしさが込み上げてきて、腰を奥へ奥へと進めた。 「本当に、本当に、俺たち付き合ってるんだよね」 椎名が俺に向かって手を伸ばす。膝を広げていた手を離し、目の前の愛しい存在を抱きしめた。 「ああ、そうだよ」 「岳……強くしてもいいから、もっと来て」 自然の仕草のように、椎名の腰が上がり、再奥へ誘われた。やらしい姿勢に息子は益々膨らむ。 「絞めんな。すぐ出る」 「……ん、いいよ、ぁ……岳の、でっかくなった……あ、ん……あ、あ……俺もイキそ……」 互いに快楽のまま腰をぶつけ合う。椎名がイくのと同じ頃に、俺も熱を放った。 久しぶりのセックスに心も身体も満たされる。 とても幸せな気持ちになった。 ┈┈ ✈︎ 結局、椎名の両親がいないことをいいことに、翌日まで居座ってしまった。有り余っている有給を体調不良と偽って使うのには気が引けたが、他の口実が思いつかなかった。椎名でさえも酒屋を臨時休業にしていたくらいだ。 抱き合っては眠りを繰り返し、時間の限り、付き合いたてを味わった。 椎名にいたっては、これで病院と酒屋の両立を頑張れると喜んでいた。普通に考えて、1人で店の経営と看病をするのは無理がある。恐らく限界に近かったのだろう、かなり疲れているように見受けられた。 俺といるときは、出来る限り甘えさせてやりたい。 「じゃあ、またな」 「うん……」 昼過ぎ、近くの駅まで送ってもらう。 名残惜しそうに、車の中でにぎにぎと手を繋ぐ。2本も電車を逃してしまった。田舎で2本は結構な長時間である。時刻は夕方を迎えていた。 「来週末会いに行くから」 「分かってる」 「寂しい?」 「まあね。帰ったら泣く自信はある」 俺はポンポン、と椎名の頭を撫で、触れるだけのキスをした。 「岳………………」 「毎日電話する。メッセージも送る」 「…………ん」 「そろそろ行くよ」 このままだと帰る時間が夜中になってしまう。意を決して車を降り時だった。 「あ、飛行機雲だっ。きれい……」 椎名が白い一筋の雲を指さして、手を合わせる。やはりあの迷信は続いているらしい。 飛行機のお陰で記憶が呼び覚まされ、椎名と再会できたことを改めて感謝した。 そして、この恋がいつまでも続きますようにと、祈るように願った。 【おしまい】

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