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原葵 6

翌日は残念ながら仕事だった。 土曜日なので十四時には終わるのだが、本音を言うと朝は遅くまで壮太とベッドで寝ていたかった。 もっと戯れたかったし、壮太のことをもっともっと愛したかった。 「今日は行きたくないな、仕事。折角壮太がここにいるのに」 珍しくそんな愚痴を壮太に零すと、壮太は少し驚いた表情を見せた。 「葵さんでもそういうこと思うんですね」 「人間だからね」 ふふ、と笑うと、壮太は葵に抱きついてきた。 壮太の鼓動の音が伝わってくるようで、伝染するように葵の心臓の音も早くなる。 「どこにも行かないんで。帰ってくるの、待ってますから」 「そっかー。じゃあ、今日も気合い入れないとね」 葵はベッドから降りると着替えるべく上の服を脱いだ。 ワイシャツに着替えていると、壮太が頬を赤らめながらこちらを見ているのに気付いた。 「どうしたの?」 「いや……スーツ姿、似合うなぁって。スリーピースなんですね」 「うん、好きなんだ、これ」 スーツに着ると、気持ちがすっと切り替わる気がした。 壮太と別れるのは惜しいけれど、待っていてくれるというのなら頑張り甲斐があるというものだ。 「終わったらラインするね」 寝室を出て玄関まで行き靴を履いていると、葵さん、と壮太に名前を呼ばれた。 「あ、あの、……少し屈んでもらえませんか?」 「ん?何かついてる?」 言われた通りに屈むと、ちゅ、と壮太にキスをされた。 それは一瞬の出来事で、何が起きたのか理解するのに数秒要した。 壮太は顔を真っ赤にしながらもはにかんでいる。 「い……行ってらっしゃい」 「!」 なんて可愛いことをしてくれるのだろう。葵は壮太の頭を撫でて、にこ、と笑った。 「ありがとう。行ってくるね」 壮太は自分の部屋へ帰っていった。 扉が閉まるのを確認し、葵は大きくため息をつきながらその場に座り込んでしまった。 「やばい、にやける」 口角が緩みっぱなしだ。 壮太が新婚みたいなことを不意打ちでするから、朝から葵の脳内は処理しきれないことでいっぱいだ。 ぱん、と頬を軽く叩いて気を引き締め、階段を下りた。 エントランスで郵便受けを確認する友治とばったり会った。理人は一緒ではない。 「おはよ。理人くんは帰ったの?」 「いや、中川くんのとこ行くって言ってた」 「ふぅん」 昨日散々した後なのでそんなことはないと思うが、今日の葵は何となく、壮太が自分の知らないところで雌の顔を見せるのを許せなかった。 いつもならそんなことはないのだけれど、今日は何故だろう、無性に、壮太のことを自分だけのものにしたいという、まるで独占欲のような気持ちが働いていた。 昨日までの自分とは打って変わってだ。 「今日も定時で帰れるかなー」 「帰れるかな、じゃない。帰るんだよ、定時に」 「強気だな、葵。連休初日の土曜日をなめてんじゃないだろうな?」 「なめてないから気合い入れてるんだよ」 壮太が葵の帰りを待っているのだ、のんびり残業なんてしていられない。 理人と二人きりというのもなんだか心配だ。 「ちょっとライン送っとこうかな」 スマホを取り出し、メッセージを作成した。 どれどれ、と友治が覗き込んできて、何故か咳込まれてしまった。 「おま、じゃあ昨日のはなんなんだよ」 「ちょっと気持ちが変わってね」 メッセージを送信し、葵はスマホをカバンにしまった。 あまりのんびりしていては遅刻してしまう。 二人は足早にアパートを出て真っ直ぐ職場へと向かった。

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