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2人のマンション

「さて、午後も乗り切るかぁー」 欠伸をしながら伸びをして、頭の中を切り替える。そうして気合を入れたおかげか、今日は5限まで睡魔に負けずに済んだようだった。隣に司がいるという非日常感も、起きていられる要因の1つだったかもしれない。 放課後。サークルに向かう奏多に「また明日」と声を掛け、バイトの前に一旦家へと戻る。 そんな俺に、司は後ろからついてきた。 「お前もこっちなのか?」 幼馴染なのだから、司も下宿なんだろうという確信はあった。実家からここまでは2時間強かかってしまうから、毎日通うにはきつい。 それは分かっていたが、いつまで経っても離れる気配のない司の行動を疑問に思った。 「颯の隣の部屋、ちょうど空いてたからね」 だから聞いてみたのだけれど、何でもないことのように言われた答えに驚く。 「は、もしかして同じマンション……?」 「まずそこを確認するのは当たり前でしょう?」 「いや、それは司の基準。どう考えても当たり前ではないって」 たしかに年賀状は送りあっていたから住所を知っているのは不思議じゃない。不思議じゃないけれど、普通ここまでするだろうか。 「いいね、お隣さんって響き」 「俺は朝から晩までお前のお世話しなきゃなんねぇのかよ」 「なんなら晩から朝までも込みでいいよ?たくさんお泊まり会しようね」 「暇だったらな」 どうやら司の言っていることは本当のようで、俺の隣の部屋のドアをいとも容易く開ける。 これで今日はお別れかと思い「またな」と言いかけた時、司は何かを思い出したのか、もう一度俺の方へと近付いてきた。 「颯、バイト終わるのはいつ?」 「20時だけど」 「じゃあそれから颯の部屋行ってもいい?再会の記念に飲もうよ」 「月曜から夜更かししたくねぇ」 「じゃあ金曜日」 「まぁ、それなら」 ありがとう、と言った柔らかい笑顔に少しだけ見惚れる。俺の目から見ても司の顔は綺麗で、もっとそれをよく見ようと、つい手を伸ばしかけていた。 「どうしたの?」 そんな俺の手にそっと自分の手を重ねて、笑みを一層深くする司。自分が何をしようとしていたかに気付いた俺は、ばつが悪くなって弾かれたように手を離す。 「バイト!もう行くから!」 焦っているからか鍵がうまく開かず、扉はがちゃがちゃと音を立てる。さっきの司の所作とは反対のそれに、恥ずかしさがこみ上げてきた。 「くそ……っ」 荒く荷物を床に放って、貴重品だけを取り出し小さな鞄に詰める。そのまま洗面台へと向かって、冷たい水で顔をパシャパシャと濡らした。 司に変に思われてしまっただろうか。綺麗な顔が見れないのが惜しかったから、髪を手で払おうとしただなんて。 どこのカップルだよと自嘲してしまうこの行為を、彼ならどう受け止めただろう。 きっと彼は、表面上喜んだだろう。司は俺のことが好きだから。好きなように見せているから。 しかしそれが本心かどうかは、俺には分からない。 俺の方からどれほど司に近付いていいのかは、俺には分からない。 「司には、嫌われたくねぇな……」 もし司が颯、颯って言うのがネタだったら。 本気じゃ無いのであれば。 こっちから近付いたら、引かれてしまう可能性があるのなら。 俺は自分から近付かず、享受するだけでいい。 もう一度冷たい水を浴び、タオルで雑に水滴を拭き取る。小さな鞄を持って扉を開けた先には、もう司の姿は見えなかった。 つい向けた隣の家の表札には『植村』の文字。それは見慣れた司の苗字。 「行ってきます」 と小声で呟き、俺はマンションを後にした。

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