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第10話

それどころか慶一は、先の見えない暗闇の中にいた秋青を、『草原の砂』という一筋の光を持って導いてくれた。 慶一の自宅には昔から担当編集者がよく出入りしていたが、一緒に住むようになってからたまたま、慶一のいないときに彼と出くわして、話を聞いたことがある。 わりとコンスタントに小説を出している慶一にも、3、4年ほど、プロットすら満足に書けない時期があったらしい。いわゆるスランプというやつだ。 「先生自身がどう思ってるかは知りませんけど。先生はね、書くことでしか生きていけない人なんですよ」 不器用で誤解されやすく、他人から向けられる悪意に、いく度となく傷ついて。それでも、慶一が他人を否定することはないし、恨み言を言うこともない。 不器用であるがゆえに誰にも気づかれないが、それが慶一の、なんとも悲しいやさしさだった。 「正も負も、生も死も、先生はすべてを文章にぶつけて、なんとか今にしがみついているんだと思います」 慶一が綴る文章はただ美しいだけではない。時に気味の悪ささえ感じるほど、どこか生々しさを含んでいる。でもだからこそ、それを手にした誰もが引き込まれてしまうのだろう。 「先生から文章を奪ったらきっと、狂ってしまう。文章と共に歩んでいくという生き方しか、あの人にはできないのかもしれません」 だからひどいもんでしたよ、書けないときの先生はほんとに。 今だから笑って言えるけどね、と彼は続けた。先生こそ、生粋の物書きだと自分は思う。そんな言葉を添えて。 ――俺だって同じだ。俺にはもうずっと、絵しかなかったんだから。 退学届を持って家を出たあの日に、すべてを投げ出していたら、きっと自分もいつかの慶一と同じに、他人から見たら目も当てられないほどになっていたのではないか。 このパズルはいつまでも完成しないと心のどこかで気づいていながらそれでも、自分で捨ててしまった最後のワンピースの代わりを探し続けるような人生を、歩んでいたかもしれない。 そんなふうにならないでいられたのは、気まぐれでも下心でも何でもいい。あのとき、慶一がずぶ濡れの自分を拾ってくれたからに他ならない。

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