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バレンタインss3
心のどこかがズキズキと傷むのを感じながら力なく身体を拭っていると、今度は紅鳶が訊ねてきた。
「お前は…」
そこまで言うと、紅鳶は突然口を閉ざしてしまう。
不思議になって隣を見ると、彼は唇をキュッと引き結んだまま目の前のロッカーをじっと見つめていた。
男らしく整ったいつもの紅鳶に変わりはないが、ほんの少し顔が強張っているように見える。
やはり多忙による疲れが出てしまったのだろうか。
無理もない。紅鳶は人の倍働いているのだから。
「大丈夫ですか?紅鳶さん?」
心配になって声をかけるが、紅鳶は微動だにしない。
「あ、あの…」
医務室に行きますかと言いかけて、ようやく紅鳶がボソリと呟いた。
「誰かに渡すのか」
「え?」
体調を心配したアオキの質問とは全く噛み合わない答えに思わず聞き直すと、紅鳶は畳み掛けてくる。
「誰かに渡すのか?今日はそういう日だろう?」
アオキははた、と止まると頭の中で整理した。
誰かに渡すのか…今日はそういう日…
そして紅鳶の少ない言葉から、彼が何を言いたいのか答えを導き出した。
つまり紅鳶はアオキに誰かにバレンタインのチョコレートを渡すのかと聞いているのだ。
なぜそんな事を聞いてくるのだろうか。
疑問に思った次の瞬間、たった今渡すまいと心に決めた鞄の中のものが脳裏を過る。
まさかアオキが彼にチョコレートを準備している事を知られてしまったのだろうか。
背中から変な汗がどっと吹き出してきた。
しかし、アオキは紅鳶に対する気持ちを誰にも打ち明けたことがない。
当然、チョコレートを準備したことだって誰にも一言も話していないのだ。
落ち着け…大丈夫…バレていない。
アオキは心の中で自身に言い聞かせた。
きっと紅鳶の質問に深い意味はない。
ちょっとした軽い興味本位…昨日の夜に何を食べたのかという質問と同じくらい軽い気持ちで訊ねてきたに違いない。
外していた視線を戻すと、さっきまでロッカーを見つめていた紅鳶がアオキをジッと見ていた。
アオキは思わずたじろぐ。
その眼差しから紅鳶が軽い気持ちで質問をしたわけではないとわかってしまったからだ。
アオキはごくりと唾を飲んだ。
もういっその事白状してしまおうか。
さっき決意したばかりだというのに、心がグラグラと揺らいでしまう。
自分の意志の弱さにほとほと呆れてしまうが、紅鳶のためを思って一生懸命作ったものなのだ。
できる事なら、いや、本音をいえば紅鳶に受け取って欲しい。
もしも彼に貰ってもらえなかったら、自分で処理するしかない。
きっと味なんてしやしないだろうけど。
鞄の中のチョコが世界一哀れなチョコレートに思えてきて、アオキは口を開いた。
「あ、あの…実は…」
本当はあなたのために用意してきたんです。
しかし、すぐそこまで出かかって突然声が出なくなってしまった。
段ボール二箱分もあるという贈り物たちが脳裏を過ってしまったからだ。
きっとアオキの贈るものよりずっとずっと煌びやかで高価で価値のあるものばかりなのだろう。
「何だ?」
不自然に口を噤んだアオキに対して、紅鳶がグッと眉間を寄せた。
「あ、あの…」
「どうした。まさか…言えない相手、なのか?」
うまく誤魔化せばいいものの、図星をつかれたアオキはますます口籠もってしまう。
舌打ちが聞こえ、空気が一瞬で重たくなった。
次の瞬間ガタン、という衝撃音が響く。
気がつくとロッカーに背中を押しつけられていた。
驚くヒマもなく、覆いかぶさってきた紅鳶が性急な手つきでアオキのスカートの中に手を潜り込ませてくる。
「ま、待ってくださ…あ…っ」
アオキは訳もわからないまま、這い上がってくる紅鳶の手をスカートの上から必死に押さえつけた。
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