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おあずけ 3

「あーーーー、うまかったー!ごちそうさまでした!」 肉も野菜もたらふく食べて、逸は満足げに箸を置いた。 目を見張るばかりの食いっぷりに敬吾もビールを煽りながら微笑む。 まだそれほど人に奢る機会はないが、気持ちよく食べてもらえると嬉しいものである。 「そーか、良かった」 (か) 今置いたばかりの箸に被さるように逸は俯いた。 (かっ、わっいいい……………) 背中が震えて、手まで痺れる。 これはまずい。 「あ………っの俺、皿洗いますね…………」 「ん、そーか?」 敬吾がぐっと缶を傾けた。 「あ!いや、敬吾さんはゆっくりしてて下さい!なんか海外ドラマやってますよ?好きなやつ」 「んじゃお前も少しゆっくりしろよ」 「や、俺は……一回休むとめんどくさくなっちゃうんで、」 一度持った皿を置き直し、また別の皿を持ってみるなど挙動不審ぶりを大いに披露しながら逸は敬吾を牽制した。 それを見て訝しげに眉根を寄せつつ、敬吾が缶を置く。 「なんだよー、じゃあ手伝う。」 「……………」 「よっこらせ」 すねたようなその表情に逸が魂を飛ばしている間。 その逸の肩を手すり代わりにしながら敬吾は立ち上がっていた。 んじゃ片付けますかねー、と幾分年寄りじみた声音でこぼしつつ台所へ向かう敬吾を、見送っているようで逸の目は全く機能していない。 (なんっで今日に限ってこんなかわいーんだこのひと…………!!!) また少々痺れてしまった指を握り握り、逸も台所へ向かった。 「そーいや今日女子高生ががっかりしてたぞ。あのかっこいー人がいないーって」 「え?」 いまいち意味が分からなかったのは水の音がうるさかったせいだろうか。 「え、……俺?じゃないすよね?」 「お前だろ」 「え、えー………そう、すかねー……、店長も敬吾さんも男前じゃないすか……」 「いや全然だろ、俺も店長も普通にいたし。お前はいわゆるイケメンだよな」 「えー……そうすかー……?」 謙遜というより純粋に困っている、なんとなれば少々嫌がってすらいる逸を、敬吾は意外な気持ちで見上げた。 てっきりよく言われているものと思っていたのだ。 「あんま嬉しいもんじゃねーのか」 「んー、まあ褒めてもらってどーもって気持ちはありますけどー……」 「へー、女の子ってなんなの?お前的に」 「人間……すかねー」 「ふーんなるほど」 (よく喋るなあ敬吾さん……) 普段無口な人だから、違う一面を見られるのは嬉しい。 嬉しいのだが、違う方向でお願いしたかった。逸は黙々と泡を流す。 「バレンタインとかチョコ渡されたりしてな」 「ないですよ」 「あるだろ」 「そうじゃなくて、あっても受け取りません」 「ああ、そーゆーのは嫌なんだ?」 「だから、そういうことじゃなくて……」 不思議そうに目線を振られて、その稀なあどけない表情にどうしようもなく感動するのに、妙に平らな気持ちで逸は敬吾を見つめた。 ーー分からないのか? 黙らせてしまおうか。 ありがちな少女漫画みたいに。 「恋人がいるからもらえないってちゃんと断ります」 敬吾が滑稽なほど肩を揺らす。 それが照れだとか喜びからではないのがこれでもかと伝わってきてまた冷めたような気持ちになった。 その冷静さはある種自棄じみた強気に繋がる。 来年のバレンタインまで捨てられない自信など、普段の逸ならば欠片も持ち合わせていないはずだった。 「あ。あー……、そう」 その曖昧な相槌。 意味するところは何なのだろう。 「……もったいねえなー、女の子は全然ダメなの?お前……」 「敬吾さん」 普段頭の切れる人なのに、話題の変え方がこのお粗末さとはーーー もったいないなどと言えるほど自分だって好色ではないくせに。 それほどまでに動揺しているのかと、少し心が震えた。喜びとも怒りともつかない、ただの揺れ。 濡れたままの手で敬吾の手首を掴むと、皿を拭いていたタオルが落ちた。 驚いて逸を見た顔が、僅かに赤くてーーー 「…………っ、」 自分の血潮の音が、ざわざわと逸の耳にうるさい。 顔が勝手に近づいていく。 どれほどそうしていたのか、わずかに顔を離すと敬吾の呼吸は苦しげに乱れていた。 逸はごめんなさいと言ったつもりだったが、声になっていなかった。 ただただ、敬吾の顔を撫でて見つめている。 しばらくそうしていてーー ーー我に返ったら返ったで、逸は固まった。 (やっっべ…………………) キスどころか触れるのも我慢していたから、興奮と心地よさとで加減も何もあったものではなかった。 敬吾の薄い唇は微かに赤くなっている。 これは殴られても仕方がない、と当然のように考えていたのだが。 特にこれと言って拘束しているわけでもない腕の中、敬吾は別段逃げようともしなかった。 「……………?」 不思議ではあるが、敬吾に拒絶してもらわないと逸としては困ってしまう。 殴ってくれるくらいでちょうどいいのだがーー その間にも敬吾は大人しいまま。 つい先ほどの敬吾と同じように、沈黙よりはましだろう、程度に逸は謝った。 謝ったがまだ体が固まっているので離れられない。 その逸に、敬吾も言葉を返さなかった。 ほんの僅か肩に回っている腕にその手が触れたが、押し返すでもなく。 「……………敬吾さん?」 「………………」 火花を散らして回路が繋がったように、逸が敬吾を掻き抱く。 まともに肺が潰れて敬吾が苦しげに呻いた。 それも聞こえないほど、逸は浮足立って、しかし浮かれていた。 さきほどまでの冷静さはどこへやら、指先まで脈が打つようで、舌もまともに回らない。 「敬吾さん、おれたぶん我慢できないですよ」 腰の辺りで、敬吾が逸のパーカーを掴んだ。 「……とちゅうでやめらんないですよ?」 「う、……」 「…………………」 「……うん」

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