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おあずけ 6
(いってぇ………)
無理に揺すぶられた腰が重苦しい。
しかめ面のまま目覚めると、敬吾は逸の顔を振り仰いだ。
昨夜は自分が先に寝たはずだから、この男はーー寝入った自分を腕枕に乗せて眠ったということか。赤くなりながら敬吾は考える。
(男相手に腕枕って。痺れねえのか腕……)
憎まれ口のように考えながらもそもそと敬吾が逸から離れると。
「うおぉっ!!」
「んん……」
腰と肩に回った腕が、鞭さながら敬吾を絡め取る。
不意打ちに驚いた声はなかなかの音量だったが逸は目を覚まさなかった。
そうだこいつは朝が弱いんだったーー。
それもまた平素は元気一杯の逸からは予想もつかない、同じベッドで朝を迎えて初めて知った意外な一面だった。
なにやらむにむに言っている逸の腕の中で不機嫌そうな顔を赤くしながら、どうしたものかと敬吾が考えているうち。
敬吾の携帯が鳴った。
朝の透明な空気を不穏に震わせる雑音に滑稽なほど驚いてしまって、すぐに黙らせようと音源を探すものの逸の腕がそれを許さない。
大音量の電子音は不愉快だわ、抱きすくめられた状態で目覚められたら恥ずかしいわでてんてこ舞う敬吾をよそに、逸はうるさそうな顔をして布団に顔を埋めるばかりだった。
どんどん沈んでいくと、敬吾の肩に甘えるような形になる。
「……………」
この騒がしさでも起きないのかと呆れながら敬吾はじわりと赤くなった。
不機嫌そうに眉根は寄っているが、安心しきったように眠りこけているその顔。
締まりなく笑ってばかりのいつもの顔とも、興奮しきって怖いようだった昨夜の顔とも違う。
飾り気がなくて、むき出しだが醜いところがなくて、平和だ。
(………肌つるっつるだな)
撫でたら気持ちが良さそうだーーそう思うが逸の拘束は未だに強固で、腕を抜こうと試みたら起こしてしまいそうだ。
いや、むしろそろそろ起きないとまずいのだ。しかしこの状態で起きられたら恥ずかしい、だがーー
「ん………」
「!」
「…ーごさん?」
「う、おう……」
この上なく眠たげな半眼とこれでもかと掠れた声で、逸は敬吾を探した。
敬吾の返事を聞き留めると嬉しげに笑う。
敬吾の感じた気まずさにも少しの照れにも気付かなかったようだ。
そのまま、平和に緩んだ瞳は閉じられてしまった。
「ーーん?え、おい!寝るな、起きろ」
「んー……?」
「朝だぞ」
「もーちょっと……」
「ダメだ」
髪が枕にこすれてカシャカシャ言う。
逸はまさに「いやいや」をした。
何故か敬吾がたじろぐ。
「い、いやいや……だめだっつーの起きろ……」
今度は逸は微動だにしなかった。
ただ、すんすんと足りなかったらしい呼吸を補いながらまたも敬吾を抱き寄せる。
「おい……」
「……………」
「……岩井」
敬吾が根気よく声を掛けると、どうにか意識だけは取り戻したらしい逸が不動のまま乾いた唇だけを開く。
「……ん無理……しあわせすぎる」
「ーーーー!」
無意識なのか、ひとりごとのように呟くと逸はまたことりと頭を落とした。一応少しは持ち上げていたのだと、敬吾はその時知った。
また逸が寝息を立て始める頃には、腕からもすっかり力が抜けていた。
それに気づいた敬吾が、そろそろと腕を抜く。
そうして、自分の鎖骨あたりに押し付けられている頭にそっと触れてみた。
思えば、自分から逸に触れるのはーー
……ほとんど初めてである。
妙に緊張して、布団の中で温まっていたはずの指先は冷たかった。
(……髪かたいな)
艶があって、少し癖がある。
乾きやすくて直毛の自分とは正反対だった。
逸が起きないのをいいことに、敬吾の撫で方は徐々に大胆になって行く。
(犬の毛みてえ……)
性格のみならず、毛並みまでも。
「ん……」
「!」
逸がもぞりと動いて、敬吾は思わず手を離す。
と、逸の顔が不機嫌そうになる。
「………?」
静かになったので撫でてやると、表情も緩んだ。
「ぶふっ!マジかよ」
「んー…………」
のんきな顔である。
面白くなってきて、眉間、額、頬、鼻筋と好き勝手に撫でてみた。鼻先の冷たさもまるで犬だ。もっともっとと言うようにすり寄って、緩んでいく顔も。
「ふっ……ほんっとに犬だな……」
この、番犬にもならなさそうな大きいだけのワンワンが。
あんなに獰猛になるのだから分からないーーとそこまで考えて、敬吾は慌ててそれをやめた。思い出さないほうがいい。
あんな、あんなーー
「けーごさん……」
「ん」
「…はよーごさいますー……」
「えっ」
どうせまた寝言だろうと思っていたら起きていたらしい。
ぐしぐしと顔を擦りながらじわりじわりと体を起こしている。
「おぅ……おはよ、う……」
「んんー……………」
じわじわと緊張し始める敬吾を尻目に、逸はやはりのんきにあくびを噛み殺していた。
と、長閑にねむたげに擦られていたまぶたがかっと見開かれる。
何事だ、と敬吾が思った刹那に強く手首を掴まれ、妙な方向に体重がかかってーー
「いっ……」
「敬吾さん」
「いて……なんだよ」
「嫌いになりましたか」
「あ?待て、いてぇって」
「あ……」
さきほどまでの勢いはどこへやら、逸は叱られた子供のように眉を下げて手を緩めた。
が、申し訳程度に手は握ったままだった。
「……嫌いになりました?」
「は?」
あまりに声が小さいので、なにか聞き違えたのかと敬吾は首を傾げた。
何かの好き嫌いの話をしたことがあっただろうか。
何をだと問うと、逸は冷たい飛沫でも浴びたように小さく瞬きをした。
「何をって…………… ………俺を」
「え」
一体何でまたそんなことをと、敬吾は思案する。
また何か粗相をした気にでもなっているのか。まあ確かにそれはーーだが。
そんなことはーー、さんざん我慢させていたことも敬吾としては自覚しているわけでーーー
「なんで?」
こうなる。
心から不思議そうに小首を傾げている敬吾に、言い辛いのか拗ねているのか顔を曇らせたまま逸は唇を開いたり閉じたりしていた。
「……それ以上やったら嫌いになるって」
「え」
言っただろうか。
しかし逸の顔が真剣なのでーー滑稽なほどーー真摯に思い返してみる。と。
「あ。」
「………」
「ーーあ、ああ……言ったなあ……」
一気に顔が熱くなった。
確かに言った。
この男が、あんまりにあんまりなーー強引だからーーと言うかあれはなんだったんだーー人の体をーーこいつはなんなんだーー思い出したくない。
話の方向を変えたい。
「お、お前やめたじゃん、だから大丈夫だ心配するな」
逸が安心したように息を吐き出すが、表情はまだ強張っていた。
「……なんでそんな嫌だったんですか?」
軌道修正されてしまった。
慣れないフォローまで入れたというのに。
敬吾の顔が挫折に歪む。
「ええ……」
「気持ちよくないですか、俺とするの」
「ええー……」
ただただこの状況に尻込む敬吾を尻目に、逸もまた落ち込んでいた。
かなり真剣に。
敬吾の方も真剣ではあるが、真剣に途方に暮れていた。
嫌な汗をかくしかできない敬吾に、そちらをまともに見ることもできず逸が言う。
問いかけるでもなく、語りかけるでもなくひとり言のようにただ言う。
「敬吾さん相手だと……っ俺もー、舞い上がっちゃって、突っ走っちゃって、夢中というか……も、触りたい!入れたい!ってばっかなっちゃって俺ばっかきもちよくてなにこれオナニー?みたいな」
「わーわーうるさい何言ってんだお前っ」
「敬吾さんノンケの人だしそんな急に感じるわけないとか分かってんですけど、分かってんですけどやっぱ焦って……気持ちよくないですか?どこも?全然?っていうかもう好きなとこ教えて下さいよ俺もうやだヒント!ヒントくださ」
「黙れ!!近づくな怖いっ怖い怖い!!」
「ヒント!」
「うるせえ!!!!!」
敬吾の平手が綺麗に決まる。
いつの間にか敬吾を壁とベッドの三角地帯に追い込んだ逸が、これでもかと左の僧帽筋を伸ばされていた。
ストレッチの教科書に載りそうなほどである。
「あ、ごめん」
「けーごさんのビンタしゃれになんないす………」
今度は背筋でも伸ばしているのかがっくりと項垂れて、逸は真っ赤な頬を指の甲で冷やそうとしていた。
「こえーよお前もー風呂貸せ」
「待って下さい敬吾さん逃しませんよ」
見透かされていた。
がっちりと腕を掴まれて、敬吾は部屋どころかベッドからすら逃げ出せなかった。
「ヒント……っ」
「まだ言ってんのかお前!」
「だってぇ」
「きっ、嫌いになるぞ!!」
乱発するものではないと思いつつも、追い詰められて敬吾は言ってしまった。
途端、癇癪を我慢している子供のように逸の眉根がぎゅっと寄る。
「じゃーどうしたらいいんですか!触ったら嫌われるし聞いたら嫌われるし」
「何がしたいんだよ!」
「敬吾さんに気持ち良くなってほしいんですっ」
「んな………」
敬吾が更に赤くなる。
手もまた出そうになった。
本当に自分は、この男といると子供じみたことをするーーー
「……そんなのっ、いってんだからいいだろべつに!」
「良くないです!出るときは出るでしょ、そーーじゃなくてー!」
「っもー!」
やはり子供のように、敬吾は自由な方の手で自分の顔を抱え込んだ。
顔を見られたくない。
絶対に赤い。表情が自分で分からない。どう読まれるかわからない、恥ずかしい。
「恥ずかしいんだよこの馬鹿……!!」
繭になってただそう言った敬吾に、逸は口を開きはしたが言葉が出なかった。
「あんなのなー!されたことねーんだよっ当たり前だろ!俺ゲイですらねーんだから!お前だって下はやったことないんだろ!なら分かるだろ、恥っっっずかしいんだよ!!!」
「あ……」
言うだけ言って、敬吾は思った。
やはり、駄々をこねる子供のようなことをしている。
恥ずかしいのだ。こんな風に手放しに、甘えん坊のように、いい年をして子供のようになってしまうことが。
この男はなぜか自分をそうしてしまうからーー自分で御せる範囲のことはーー手綱を握りしめていたい。そう思う。
「……お前が我慢してたのも知ってるよ、そのへんは、偉いと思うし感謝してる。無理なことされなくてほんと良かった」
「………」
急に落ち着いた口調になった敬吾を、逸は観察するように見つめた。
人が変わったようだと思っていた。
「だ、から……嫌とか……少なくともマイナスなことは考えてない、けどまだそんな、なに……おーっぴらにはなれねー……って言うか〜〜……うーーん………」
後半になるに連れ、敬吾は困りきったように首を傾げ傾げさらに頭を垂れる。
が、感覚的になって輪郭の曖昧な言葉のほうがなんとなく逸の耳にはよく納まった。
「ん……うーん、なんとなく分かります」
「うん……」
お互い、上手く伝えられたかも上手く受け取れたかも自信はなかったが。
「……じゃあ、もう少し」
「……………」
「待ちながら触りますね」
「…………………」
逸があまりにも正しく自分の意図を受け取ったことに、敬吾はこの上なく情けない気持ちになっていた。
結局は、自分が駄々をこねて逸がそれを許容してくれている。
言葉を変えても態度を改めても、我慢する側とさせる側なのは変わらなかった。
それを承知しているのも、苦とも思っていないのも逸の方だった。
「っ………」
「敬吾さん?」
「………なんかごめん」
「えっ、何が?やだやだなんかこわい」
「………………」
「え、え、ほんと、なんですか?」
「なんでもない」
「えー………」
「……………」
「……………」
ふたり揃って黙りこくって十数秒後。
その沈黙が耐えきれないものになる前にと必死で逸が口を開いた。
「あのっ、敬吾さんおれ、基本的にはすげー嬉しいと思ってますからね!昨日は欲張りすぎたっていうか……俺ほんと敬吾さんに付き合ってもらえるなんて思ってなかったし、今なんかもうほんとは天にも昇る気持ち状態っていうか無敵状態っていうか!」
「フォローすんなよ!余計なさけねーだろ!!」
「えっなんで俺怒られてんの!!?」
「風呂はいる!」
「えっはいっ」
「敬吾さーーーん、朝ごはん何がいいすかーーーー?」
「………………」
「ばーちゃんのぬか漬けでご飯かーーー、ちょっと良いベーコンでパンかですーーーーー」
「……………………糠漬けーーー」
「はーーーい」
おあずけ 終わり
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