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主得た犬 5

小さく啄んでいるようだったキスはもう唇が離れる暇もなくなり、徐々に深くなっていく。 素肌の腰を撫でている手も、いつの間にやら敬吾よりも温かくなっていた。 「………っ、なあ」 「ん、はい」 「なに……これ」 「はい?」 至近距離のまま逸が首を傾げると、敬吾が顔をそらした。 「なに、……すんの?」 「……………」 僅かに上気してそう尋ねる様子があまりに扇情的で、逸は思わずまた唇にかぶり付いた。 驚いた敬吾がカエルの潰れたような声を上げ、反射的に肩を押す。 逸は笑いながら素直に離れた。 「昼間だぞまだっ」 ほの赤い顔をそれでも呆れさせて敬吾が窘める。 お天道様の見ている時間にすることではない、とでも言いたげなーー ーーそんな昔気質な堅さも、好いたところではあるのだが。 「嫌ですか?」 わざと開けっぴろげに聞いてやると敬吾は更に赤くなった。 「んな、」 「真っ昼間からセックスってなんか、エロくて良くないですか」 「ほんっと変態だな」 「て言うか、大学生カップルってそんなイメージあるんですけど」 「ひとくくりにすんな」 「ダメかー」 かくりと頭を垂れてひとりごちながら体を起こし、逸は敬吾の腕を引いてやった。 そのまま、さっきまで甘えていたのが嘘のように捕獲よろしく敬吾を抱き込む。 首から肩に押し付けられた唇がまるで今にも食いついてきそうで、敬吾は内心肩を縮めた。 「……夜ならいいですか?」 ぼそりと平坦だが熱を含んだその声に、敬吾の心臓が重く打つ。 低く掠れていて、普段使いの声とはまるで別物だ。 この男分かってやっているのではなかろうなと、憎々しい気にすらなる。 いつまで待っても返事をしない敬吾を窘めるように逸がもう一度名前を呼ぶと、その背中が僅かに反った。 怒ってでもいるかのように眉間に皺を寄せ、逸が笑う。 いつ音を上げてくれるかと、今度は促さずにただ待った。 それでも呼吸が速くなって行くのだけは止められない。 骨付き肉を前に、垂涎しながら待てを食らっている気分だった。 敬吾がすっと息を吸う音に、逸がぴくりと背を伸ばす。 「…………ょ、夜なら いい」 「…………………」 少なくとも拒絶ではなかったことで嬉しくなり、逸が敬吾の髪を乱す一方撫でながら改めて顔を首元に埋める。 だが、もうしばらくお預けになったのはやや残念だった。 敬吾の反応に期待して、先走った興奮がうずき始めてしまっている。 「…………はい」 「…………………」 「でももうちょっと、このままでいいですか?落ち着くまで」 「………ん、うん。」 固くも承諾してくれた敬吾に、逸は更に力を抜いて体を預けた。 敬吾が頭を撫でてくれたのでーー徐々に拍動も穏やかになって行く。 そうして、こんな自制はやはり敬吾以外にはしたことがないと、改めて思う。 一度加速し始めた熱を収めるだなんて、そもそも試みようと思ったことすらなかった。 敬吾のことは、傷つけたくない、大事にしたい、嫌われたくないから努力する。 誰よりも激しく欲しいと思うのに。 これまでにそう思うような相手はいなかった、自分の欲よりも大切だと思うようなーー 「……敬吾さん」 「ん」 「大好きです……」 「へ?」 敬吾がぽかんとしている間に逸は体を起こし、真正面から敬吾を見た。 未だぱちくりしているその顔が、呆けながらも徐々に赤みを帯びていく。 ーーああ、愛しい。 「コタは俺が変わったって言ったけど、そうかもしれないんですけど……そうじゃなくて、敬吾さんだからです」 「? …………?」 自分で贖える範囲のことは何を代償にしても失いたくない。 それはもう、少なくとも自分の身よりも重要だということだ。 「ーーーーーーー」 今思っていること、次々溢れ出す感情を伝えてしまいたいとも思うけれども、それをしたらしたでーー ーーやはり失ってしまうのでは。 「………………」 苦しげな音を立てて喉が欲望を飲み下す。 腹がそれをすっかり納めてしまうまで俯いて呼吸を整えていた逸を、さすがに心配そうに敬吾が覗き込んだ。 「なに、大丈夫か……?」 もう一度、ごくりと喉を鳴らしてから逸が顔を上げる。 ーーなにかしら傷ついたような、妙に儚げな顔をしていて敬吾はぎくりとした。 自分でも、きっと妙な顔をしているだろうと逸は思ったがそれを無理に笑わせる。 「うんもう大丈夫です!」 「…………?そうか」 なぜか心配されていた側のはずの逸が敬吾の頭をぐりぐりと撫で、敬吾は怪訝げに苦笑いした。 「夜まで良い子してますから、サービスしてくださいね〜〜」 「なんっだそりゃ。やだよ」 「えーっ……夕飯唐揚げにしますから!」 「なに餌で釣ってんだ」 「トマトのタルタルも付けますからぁ〜……!」 「うっ……………」 真面目な顔で葛藤し始める敬吾を見て、逸は心底楽しげに笑った。 「冗談ですって」 「お前……」 「はーもう可愛いっ……ちなみに何してくれるつもりだったんですか?」 「うるせーよお前噛みちぎるぞ!!」 「あっお口で……」 「っあーもうこの猿はー!!」 心底腹立たしげな敬吾を逸が見つめる。 「だからー、猿なのも敬吾さんだからなんですって」 「はぁー?」 今度はげんなりと呆れたような顔をされ、それでも逸は笑っていた。 こんな風に、いっそ見下したような顔をされても罵倒されても。 見放されないならそれでいい。 (こんなとこコタが見たら……) きっと言葉もないだろうなと逸は小さく苦笑した。 それをまた、呆れた様子で敬吾が横目に見やっていた。 主得た犬 おわり

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