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第5話

「お邪魔します……」 「自分のうちなんだから、そんなこと言わなくていいだろ」 「でも、芹沢さんちでもあるし」 「だから、政宗でいいって何回も言ってるだろ」 「いきなり名前はちょっと……」 「分かった、分かった。とりあえず玄関上がれ、スリッパそこにあるから」 事故から数日後、怪我が回復したことで退院した亜季を家に連れて帰ってきたわけだが……案の定俺のことは何も覚えてないらしく、最初はかなり警戒された。 毎日病室に通い、BARで出会って友達になった事、それから一緒に暮らすようになった事、俺の知ってる亜季自身の事を刷り込むように説明をして、やっと少しは信じてもらえたみたいだけど、恋人だったとはさすがに言えなかった。 「そこ、座れよ。お茶入れる」 「あ、はい」 「敬語も使わなくていいって。俺たち友達だったんだから、もっと気楽にしていいんだよ」 お湯を沸かして、インスタントコーヒーを入れながらそう告げると、亜季は控えめに頷く。 「じゃあ、政宗さんて呼んでいい?」 「あぁ、とりあえずはそれでいい」 友達…… 政宗さん……か。 覚悟はしてたけど、結構キツいな。 人生ゲームが振り出しに戻る感覚っていうか、また友達からだもんな。 「ほらコーヒー。亜季はいつもミルクたっぷりが好きだから同じにしたぞ」 「あ、ありがとう」 「とりあえず、これからのことを少し話し合おう」 「うん」 マグカップを握りしめながら不安そうな表情で俯く姿が、出会った頃のようで俺は少し胸が苦しくなる。 「お前は無理矢理思い出そうとしなくていい。日常生活を繰り返す中でゆっくり、時間がいくらかかっても俺がサポートするから、だから焦らないで一緒に頑張ろう」 「ありがとう……政宗さんが一緒でよかった。俺、このまま何も思い出せなかったら……って思うと不安で……」 「大丈夫だよ、傍に俺がついてるから。それに、急に頭が痛くなったりしたらすぐに言うんだぞ」 「分かった」 「とりあえず、コーヒー飲み終わったらどこに何があるか説明するな」 記憶がたとえ戻らなくても、生きていてくれてたらそれでいい。 今まで以上に亜季の為に尽くし、ずっと愛していこう。 そう覚悟を決めて、俺たちは“友達 ”として、再び一緒に暮らすことにした。 一通りのことを説明してから俺がバーテンダーだと話すと、興味津々に目をキラキラさせながら仕事内容を聞かれたけど、思えば記憶を失くす前の亜季に仕事内容を話したことがなかったかもしれない。 そんなことすらすっ飛ばしてたんだな、俺たち…… 「じゃあ、政宗さんは今夜から仕事じゃないの?」 「いや、オーナーから二、三日こ……いや、友達についててやれって言われてるから休みだよ」 「そっか、よかった……」 嬉しそうにしやがって。 全く……無意識なんだろうけど。 それからは、一緒に起きて歯を磨いて、食事をして、風呂に入って寝る。 そんな当たり前の生活を一から一緒にしながら、少しずつ距離を縮めていった。 でも、さすがに一緒のベッドで寝るのは……と思って俺はソファーで寝ることにしたけど、それでも夜は亜季に触れられないことが少しだけ寂しい。 こんなに近くにいるのになぁ…… 穏やかに眠る亜季の頬に手を伸ばし、触れる直前で思いとどまる。 今からこんなで、俺は大丈夫なのだろうか…… だけど、友達じゃなくて実は恋人だなんて言えない。 だから、せめてこれくらいは許してくれよな…… 「亜季……愛してるよ」 触れる代わりに、本人には聞こえないくらい小さな声で想いを吐き出すと、少しだけ気持ちがラクになった気がした。 それからベッドサイドの引き出しの一番奥から小さな箱を取り出し、渡したはずだった銀の指輪を取り出すと、自分の指輪と一緒に薬指に通す。 ひんやりとした感触と金属が擦り合う音、それが今の俺たちのようでまた胸が苦しくなってしまった。 そこに確かに存在しているのに、熱を感じられない。 乾いた金属音が静かな室内に響くと、俺は何度目かのため息を小さく吐いた。 *

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