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第38話
「なっ、それは……っ」
綾は反論しようとして途中で絶句した。
昼間の向日葵畑での情景が、不意に脳裏によみがえってくる。
ギラギラと目に突き刺さる陽射し。風に揺らめく小さな太陽の花。近づく蒼史朗の男らしい顔。重なる唇。
そして、遠い日に胸の奥に封じ込めた、蒼史朗へのせつない思慕。
鼻の奥がツンとして、綾はきゅっと顔を歪めた。さざ波のようにつられて押し寄せる記憶の洪水を、頭の中で必死に押し戻す。
「あれは、」
言葉が続かない。
だから酔っぱらいは嫌なのだ。
道理も理屈も通じないくせに、変なことだけ覚えていて、鋭くこちらの弱味を突いてきたりする。
「なあ、水」
綾は再び小さく唸ると、手に持ったペットボトルをヤケクソで煽った。
蒼史朗が、キスしろと言っているのだ。
だったら思いっきり濃厚なのをお見舞いしてやる。
勢い余って、口の端から水が零れた。綾はそれを手の甲で乱暴に拭うと、かがみ込んで蒼史朗の顔を覗き込んだ。
……いいのか?本当にするぞ。
目を睨みつけ、心の中で念を押した。
蒼史朗はぼんやりした目で見返すと、腕を伸ばしてきた。
「……っ」
グイッと首の後ろを掴まれ、強い力で引き寄せられた。そのまま勢いよく唇が重なり、歯がぶつかった。痛い。近すぎて焦点を結べない蒼史朗の目がきゅっと細まる。
綾は焦って反射的に顔を離そうとしたが、首の後ろに回った手がそれを許さない。
蒼史朗の唇が開いて、促すように舌で唇を舐められた。
ぞく……っとした。
綾は目を瞑り、引き結んでいた唇をゆるめる。含んだ水が重力に従って、蒼史朗の口の中へと流れ込んでいく。
ゴクッと大きな音がして、蒼史朗が水を飲み込んだ。
首の後ろの手が緩んで、重なりが浅くなる。
「もっとくれよ」
吐息ごと低い声が口の中に忍び込む。
綾は目を開けて、彼の目は見れずに視線を泳がせた。
不意打ちに動揺したが、かろうじてペットボトルは握ったままだ。引き寄せられた弾みに、手に少し零してしまったが。
「なあ、もう1回」
蒼史朗の酒くさい囁きが、また唇を擽る。
綾はぐいっと首をあげて
「うるさい」
掠れた声で呟くと、再び手に持ったペットボトルを煽った。
冷たい水を口に含み、そろそろと顔を近づける。また強引に引き寄せられる前に、今度は自ら唇を重ねた。
ゆるく開いた口に水を流し込む。
酒くさくて、キスだけでこちらまで酔いそうだ。
いや、酔いはもう移ってしまっているのかもしれない。
横っ面を張り倒してやりたいくらいムカついているのに、蒼史朗との酒くさいキスが甘く感じた。
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