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第32話

「そんな深刻な顔するなって。大丈夫。体調がいまいちだったのは、仕事が忙しくて疲れが溜まってたんだ」 綾は、安心させるように蒼史朗に笑って見せて 「向日葵畑でおまえと会った時さ、1ヶ月ぶりぐらいのまともな休暇だったんだ。だから……気を張ってたのが一気にゆるんで、ガクッときちゃったのかもな」 蒼史朗は真剣な表情で頷きながら聞いてくれている。綾は自分の隣にちょこんっと座った周の方に目をやった。周はにこにこしながら、黙って自分と蒼史朗を見比べている。綾は周の頭を優しく撫でて 「ずーっと仕事仕事で毎日気を張ってたからね。疲れてるって自覚もなかった。だからきっと、急に開放されて身体がびっくりしたんだろうな」 「なるほどな。そういう感覚なら、俺も覚えがあるよ。アメリカから戻ってすぐ就職した外資系企業が、その業界では有名なブラックでさ。初めての会社勤めだったし、俺なりに必死に仕事覚えようとして睡眠時間削って無茶をした。疲れてる自覚もないまま、ひたすら仕事仕事に明け暮れて…ある日ぶっ倒れたんだ」 苦い顔をして淡々と語る蒼史朗に、綾は顔をあげて横顔を見つめた。蒼史朗はちらっとこっちを見て首を竦めると 「気がついたら病室にいたよ。姉が泣きながら俺の顔を覗き込んでた。半月近く入院してようやく職場に復帰したら、知らないうちに部署替えになっててさ。新しく配置された外回りの営業の仕事は俺には合わなかったから、結局、そこは退職したんだ。しばらくはバイトしながら姉の世話になって、使う暇もなかった前職の給料の残りで、思い切って調理学校に入学したんだ」 綾は、はぁ……っとため息を漏らし 「随分と思い切ったよな。外資系企業から調理学校って。どっから料理人になろうって発想が出てきたわけ?」 蒼史朗はニヤッと笑って 「アメリカでさ、和食の良さを再認識したんだよ。あっちにいた頃はパン食が中心で、安い肉ばっか食ってたからな。日本食の店なんか、貧乏学生の身じゃ行けなかった。お茶漬けが食いたい。味噌汁が食いたい。煮物が食いたい……って、ホームシックになってたよ」 綾はくすくす笑って 「なるほどね。それで和食の料理人か」 「こら、笑うなよ。ほんと切実だったんだぜ」 蒼史朗が指でおでこをつつく。綾はおでこを手で押さえて 「でも何となく分かるよ。食い物って日々の基本だもんな」 「天むす」 「へ?」 「本当は天むすの店をやりたかったんだ。子どもの頃、よく食ったろ?」 綾は目を見開き、ぱちぱちと瞬きをした。 「ああ~天むすか。海老天のおむすびな」 「そ。あれの美味いのを食わせる店、やってみたいと思った」 「ふーん。それで……天ぷらか」

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