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第49話

蒼史朗の言う通りだ。 先行きの不安は全く解消されていないし、一緒に役所回りをしただけなのに、なんだかずっと心が浮き立っていて、穏やかで幸せな時間はあっという間に過ぎていた。 自分の足元が突然崩れてしまったような、途方に暮れた気分だった昨日の自分は、もうすっかり過去のものになっている。 とにかく体調を治して、またいちから新しい仕事を見つければいい。身体さえ丈夫なら、どんなことをしたって生きていける。 自分にはちょっと先の未来に、目標が出来た。1ヶ月後には蒼史朗の夢の手伝いが出来るのだ。 その為には、いつまでも下を向いて落ち込んでなんかいられない。 「ほんと、あっという間だったな。俺もすごく楽しかった」 一番近い地下鉄の駅の近くで車を停めると 「本当にここでいいのか?おまえ、体調、大丈夫?」 まだ気遣わしげに顔を覗き込んでくる蒼史朗に、綾は苦笑した。 「おまえ、意外と心配性な。俺のおふくろかよ。大丈夫だよ、ほんと、ありがと」 「いや、こちらこそだ。また何かあったらいつでも遠慮なく連絡くれな。仕事とか、上手く見つからなかったら、俺の方でもいろいろ伝手、当たってみるから」 「うん。ありがと」 綾は笑って頷くと、シートベルトを外して助手席のドアを開けた。足を踏み出してから振り返り 「周くんによろしく。もうちょっと落ち着いていろいろ軌道に乗ったら、一緒に温泉行こうって伝えといてくれ」 綾の言葉に、蒼史朗は嬉しそうに破顔した。 「おう、伝えとくよ。周、きっとすげぇ喜ぶな」 「あはは。じゃあな」 綾は軽く手をあげてドアを閉めると、地下鉄の駅に向かって歩き出す。 もう少し、あとちょっとだけ、蒼史朗と一緒にいたい。 でもこれぐらいの未練残しで別れる方が、次に会える日がもっと楽しみになる。 いつまでも走り出さない車の中から、自分の後ろ姿を見守ってくれる蒼史朗の視線は感じていたが、綾は振り向かずにそのまま階段を降りていった。 特に寄り道もせずに真っ直ぐにマンションの最寄り駅に着くと、駅近くのスーパーで自炊用の食材を買い足してから、自分の部屋に向かった。 鍵を開けて食材を冷蔵庫や棚に仕舞って、奥の部屋に行く。 汗臭くなった服を脱ぎ捨て、タンクトップとトランクスだけになると、冷蔵庫から出してきたミネラルウォーターのペットボトルを手に、ベッドに向かった。 ベッドの端に腰を降ろして、綾はほぉ…っと深いため息をついた。ペットボトルの蓋を開け、冷えた水を喉に流し込む。 ……楽しかったな……本当に。 蒼史朗の輝くような真っ直ぐな笑顔が、明るい声が、脳裏によみがえってくる。 何故だか不意に、涙がじわっと滲んだ。 綾は蓋を閉めたペットボトルを放り出すと、ベッドにそのままコロンっと寝転がる。潤んでしまった目元を両手で覆って、もう一度深く吐息を漏らした。

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