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挿話「岬と綾」16
綾は思いっきり顔を顰めて岬を睨みつけた。
……意味わかんないよ。
一昨日、数年ぶりに顔を合わせた時も、岬は母に何か話があるらしく、軽く挨拶しただけでこちらには全く無関心な態度だった。ほとんど会話らしい会話はしていないのだ。
……好きってなに。俺好みって。
こんないじめみたいな酷いことをして。
人を怖がらせて。
好きならもっと、相手を大切にするんじゃないのか。
……俺のこと、何も知らないくせに。
「俺……帰る。あんたの言うこと、全然分からないから」
昂っていた身体の熱はもう治まっている。
不本意にもうっかり身体が性欲に引き摺られてしまったが、こんなのは事故だ。
「帰るなら一緒に行くよ。おばさんに買い物頼まれてたんだ。綾も付き合ってよ」
岬の手を振りほどき立ち上がって背を向け、下ろされた下着とスラックスを直していたら、岬がまた予想外のことを言ってくる。
綾はベルトのバックルをいじりながら振り向いた。
「……母さんが?」
「うん。夕飯のね、材料買ってきてってメモ渡されたんだ」
岬は言いながら、上着のポケットから二つ折りの紙を取り出して、ヒラヒラと振って見せた。
綾は眉間の皺を深くして
「どうして、母さんがあんたに、」
「1ヶ月ぐらいお世話になるって決まったからさ、俺。出来る手伝いはするって自分から志願したんだよね」
綾は目を見開いた。
「1ヶ月?な、なんでそんなに?大学はどーするんだよ、あんた、だって」
岬はニヤッと笑ってみせて
「就活は済んでる。仕事、もう内定してるんだよね。俺、4年だからほとんど行かなくていいわけ。今はバイト三昧。今やってるバイトって都心だから、綾ん家の方が近いし」
綾は岬の顔をまじまじ見つめて瞬きをした。
こいつがあと1ヶ月も、家にいるなんて聞いてない。
……何それ……。母さん、俺にはそんなこと何にも……
「べ、別に、だからってうちに来なくたっていいじゃん。岬さん家って埼玉だっけ?だったら通えるでしょ」
岬は首を竦めてみせて
「んー。俺ん家、田舎の方だろ?電車乗り換え結構あって、無駄に時間かかるんだよなぁ。バイトしながら来春から住むとこ探してるからさ。綾ん家の方が動くの楽だし」
図々しいことをさも当然のように言う岬に、綾は呆れて反論する言葉を失った。
……ダメだこの人。やっぱ話、通じない。感覚、異星人過ぎて何言っても無駄な気がする……。
綾はカッターシャツの裾をスラックスに乱暴に押し込むとベルトを留めて、そのまま何も言わずにスタスタと歩き出した。
もう返事なんかしたくない。
関わりたくない。
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