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第3話
「…………はぁ」
一気に疲れた。
松本亮雅、27歳。あの男はとにかくよく喋る。
友人のいない俺には饒舌な人間が信じられないのだが、それが指導係となるとさらに頭が痛い。
経理や事務の仕事を選んだのも、ただ人と関わりの少ない職場に就きたかっただけだ。
それから……
「椎名ー、休憩時間だから飯食いに行くぞ」
「……」
なんで、よりによって。
デスクに寄ってきた松本さんは手に持ったマニュアルを見下ろすと微かに笑った。
「レストラン、行こうぜ」
「後で行きますので、お先にどうぞ」
「なんだよ、上司の言うことが聞けないってか〜?」
「……」
鬱陶しい……
このノリの軽さも、俺にとっては有害だ。
結局、妥協して松本さんについてきた俺だったが従業員専用のレストラン食堂は思っていた以上の賑わいだった。
「せんぱーい、彼女できたってマジですか!」
「おうよ! かなりべっぴんさんでなっ」
「はぁぁ! 微笑ましいっすよ〜!」
数十人は利用しているこの空間は、大学と同じ空気感を感じた。
「っ……」
耳が、死ぬ。
早く出て行きたい衝動に駆られながら、松本さんが腰を下ろした隣のイスに隠れるように腰掛けた。
「おー! マッツンじゃーん!」
「谷口かぁ、お疲れさん」
「おっつー。ん、誰その若いの」
頼んだ定食が来るのをまだかまだかと待っていれば、斜め向かいに座っている男と目が合った。
「今日入った子だよ。なんだ、佐々木さん挨拶回りしてないのか」
「おおっ、新人社員かぁ! オレは谷口六郎、よろしくな〜」
「あ、はい。椎名優斗です、よろしくお願いします」
「おい椎名〜、ここは刑務所じゃないんだからもっと雑で良いんだぞ」
「……仕事なので」
あんたの価値観を押し付けてくるなよと、松本さんへのイラ立ちを微かに覚えた。
仕事だから、これくらい当然だ。
耳に痛い食堂内の賑わいで、俺の心にはさらに雨雲が立ち込めていた。
「____お先に失礼致します」
ようやく終えた出勤初日。
事務所で支配人に挨拶をし、小さく息を吐いて職場を後にした。
ずっしりと体が重い。
これは呪いだ。あの男の。
スキンシップの多い松本さんの行動には心底絶句させられる。
男には、誰にも触られたくないってのに……
家路に着いたのは19時頃だった。
5階建てマンションの3階、インターホンを押すとドアの奥でガチャリと音がした。
「……ただいま」
「おう、優斗。帰り随分と遅くねえ?」
テーブルの上に置かれた灰皿から溢れた煙草の吸い殻が視界に入る。
朝洗っておいたばかりなのに夜になるとこれだ。
ため息をつきたい気分だが、平常を装い鞄を床に置いた。
「今日から仕事だって言っただろ。遅いかもって伝えたし」
「風呂入れろよ。俺もさっき帰ってきたから疲れてんの」
「うん……」
まるで見下したような瞳を向けられても、言い返す言葉と勇気がない。
神奈川に住む母と父の元を離れ兄と二人暮らしを始めて6年ほどが経ったが、俺は奴隷かのように扱われている。
兄の克彦は小学生時代から別段で成績がよく、両親ともに期待の眼差しを向けてきたらしい。
一方、弟の俺は計算が遅ければ勉強も不得意で克彦とは真逆だった。
実の兄が周りから期待を向けられる中、運動も勉強もろくにできない俺には「お前にできるわけがない」という蔑むような目。
ただただ悔しかった。
優秀な克彦は大学生ながらも高給バイトで生活費を稼ぎ、俺は高校へ入学した頃に克彦に呼ばれてここへ来た。
頼る宛などなかった。
住まわせてもらっている手前、克彦には逆らえない。
必死に勉強をし、経営学科で財務やマネジメントについて学んだとはいえ、ソフトウェア系のプログラマーをしている克彦に給与の面で勝てる自信はなかった。
克彦と顔を合わせる度に精神が削られ、日々憂鬱になっていく。
それでも、血縁関係であるこの男から離れることができない。
「おい優斗、煙草持ってねえの? 切れたわぁ」
「……悪いけど、吸わないから持ってない」
「じゃあ買ってきて。金、ここにあるから」
「今日はもうやめろよ……いくら何でも吸いすぎだって」
「うるせえな、 早く買いに行……」
髪をかいた克彦が一瞬フリーズし、次の瞬間強く腕を掴んできた。
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