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第6話

「よし、これで大丈夫だろう」 美容院の個室を借りた上、手の傷の処置をさせてしまった。 上下関係は嫌いだが、上司にこんなことをしてもらう申し訳なさを感じて「すいませんでした」と頭を下げる。 「は? なんで謝るんだ」 「こんなことを、させてしまって……」 「やめろよ、その言い方。俺が勝手にしたんだから気にするな」 ポン、と頭に手が置かれた程度で、俺の心臓はドクンと音を立てる。 何も期待なんかするな。 俺と松本さんは、住む世界がまるで違う。 そう言い聞かせてうなずいた。 「亮雅ー、もう終わったか?」 「ああ、大和。悪かったな、場所借りて」 「いや、出て行けって意味じゃないからさ。時間大丈夫だったら、2人にこれ試飲してほしいんだよ」 松本さんと友人関係らしい爽やかな金髪の店員__橋川さんが、テーブルにカップを置いた。 「あ? 美容院なのに試飲って、まさか毒でも入れてるんじゃないのかぁ?」 「バカ野郎、そんなワケあるか。お客様に最高のサービスをするには、肩マッサージや雑誌置きだけじゃダメだろう?」 「真面目なことで。椎名、お前先に飲んでいいよ」 「……毒味、ですか」 「ブフっ」 なにが面白かったのかケラケラと笑う橋川さんを怪訝に見やり、「いただきます」と一口飲んでみた。 …………うまい。 透明な色合いからてっきり水かと思ったが、甘いイチゴの味がある。 「どう?」 「おいしいです。普通に」 「でしょう! ほら見ろ、亮雅ぁ」 「どれどれ、俺にもくれよ」 松本さんはテーブルに戻したカップを奪うように取ると、豪快に中身を飲み干した。 嘘、だろ……っ 意識しているのがバレないよう、目をそらすのに必死だった。 「うわ、あっま」 「これでも結構薄味だぞ?」 「まぁ悪くはないかもな。椎名は甘いもんが好きなのかぁ」 「そんなに好きじゃないです。ただ、おいしかっただけで」 なんで、気になっているんだよ。 間接キスとか、三十路近い子持ちの松本さんにとってはどうでも良いことで。 だから、いちいち意識するな……っ 荒れ狂いそうな心臓は、その不純物を吐き出すこともできないまま鳴り続ける。 後悔なんて、もうしたくないんだ。 「悪かったな、休みなのに邪魔をして」 美容院を出てすぐ、松本さんはそう言った。 奥さんはどんな人ですか。 思わず口に出そうになり固く閉ざす。 「明日から、またよろしくお願いします」 「……あぁ、もちろん。椎名のシフトは俺と同じにしてあるから、数ヶ月は一緒に仕事できるぞ〜」 「……」 「あー、そういうあからさまに嫌そうな顔すんなよなぁ。ほら、飴いる?」 「結構です」 調子のいい男だ。 真剣な顔をして仕事している時は、上司として誇らしく思える気がするのに。

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