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第18話
「____ただいま……」
恐怖心からスマホを開かずに帰ってきた。
明かりがついていない。
また、出かけたのか。
ホッと胸をなでおろしたのも束の間、背後で玄関のドアがガシャンと大きな音を立てた。
「ッ! ……克、彦っ……え、」
克彦が帰ってきた途端、血の匂いがした。
ドアを押さえる手には赤黒く変色した血が滲んでいて、身の危険を感じる。
「優斗てめぇ……電話に出ない理由はなんだ」
「し、職場に……行ってたんだよ。というか、その手は……」
「路地で屯ってるクソヤンキー共にムカついたから殴ったんだよ……マジでうぜえ」
「……っ、馬鹿じゃないのか! そんなことして、公に広まりでもしたら職がなくなるだろ!」
俺はやっぱり学習しない。
こんな男、同情する必要もないほどひどいことを平気でするというのに。
「あぁ? 元はと言えばお前が無視してんのが原因だろうが。朝帰ってきたらいねえしよォ……職場に言ってたとか嘘だろ」
不機嫌にこぶしを握る克彦に動揺した。
酒の臭いがしているから、朝まで飲んでいたのだろう。
「…………克彦。こういうのもう、やめないか?」
「あぁ゛?」
自分の意思ではないかのように、何も考えず言葉を発していた。
昔は……優しかったんだ。
まだ俺が学生の頃までは人に暴力を振るうような男じゃなかった、のに。
「俺……ここを出るから」
「……は?」
「もう俺だって社会人だし、今の職場は給与もそれなりに良いんだ。克彦には、敵わないけど……でももうこれ以上、負担はかけないから」
だから早く、離れてしまいたい。
松本さんの声や温もりが俺の感情を歪ませる。
まるで悪魔のようだ。
「…………連絡よこさなかったのは、男ができたからか。俺の許可なしに作ってやがったんだろ!」
「な……それは違うっ、俺にだって色々あるんだよッ」
なんで、そこで克彦に許可を取らないといけないんだよ……!
「嘘つけよ、今まで何もなかったじゃねえか! どこの野郎だ、ぶん殴ってやるから教えろッ」
「だ、から……そういうのじゃないんだよ、ッ! 男男って、仮にもしできたってお前に関係ないだろ……!」
「関係ない、だぁ……?」
ギロリと鋭利な瞳を向けられると、その場で立ちすくみ目をそらしてしまった。
次の瞬間、強い力で肩を掴まれ視界がぐるりと回転する。
「いっ、た……ッ」
床にぶつけた背が激しく痛んだ。
目の前にあるのは、鬼の形相をした克彦の顔だった。
「自分の立場、分かってねえだろ。誰のおかげでここまでこれたんだと思ってんだ?」
「っ……克彦、痛い」
「家を出る? ハッ、何バカなこと言ってんだ。お前が1人で生活できるわけねえっつのッ」
「そんなの、分かるわけないだろ! 俺は1人でもッあぐ、!」
その刹那、鈍い痛みが頬を襲った。
喋るなと俺を見下ろす克彦に、ひどい恐怖を覚える。
「克っ……」
「逃がすわけねえだろ……調子に乗んじゃねえぞッ!!」
「痛゛ッ……やめ、うぐッ」
頬や肩に走る痛みが尋常じゃなくて、俺はここで死ぬのかと悟った。
大柄な克彦の拳を避けることもできず、降りかかる暴力に思考が麻痺していく。
____俺が悪い。
逃げ出そうとした、俺が全部。
その後どうなったのか、正直覚えてない。
気がついたら日が明けていて出勤の準備をしていた。
鏡に映った自分の頬は打撲跡で青く変色し、口許が切れている。
……死んでも、良かったのに。
肩も胸も腕も痛い。
克彦がボクシングや格闘技をしていたら、間違いなく息絶えていた。
これじゃあ、接客できないじゃないか……
俺は半無意識に蛇口をひねると、口許や頬を何度も洗った。
「仕事、なんだよッ……消えろよ……!」
手も唇も震えておかしい。
こんな顔で出勤したら、なんて言われるか。
松本さんにも、嘘をついていることがバレてしまう
本当に、最悪だ……
頬を流れて止まらない涙が憎かった。
死にたいくせに、死にたくないと微かに思っている。
あの人の顔が、頭から離れない。
「ッ……松……本さん、松本さん……っ」
あぁもう、とっくにおかしくなっていたんだ。
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