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第19話
「____おはよう! 椎名くん!」
「……あぁ、おはよう」
雨天時にも晴れ晴れとした浅木の笑顔に頭痛がする。
いっつも笑ってるな……こいつ。
「なんだよなんだよー、いつも以上に暗くね? つか、その頬と口どうした?」
結局、肌の色と変わらない軽いテーピング湿布を貼って出勤した。
口許は隠しようがなくて、消毒と水洗いをして何とか抑えている程度だ。
「ちょっと、家の前で派手に転んで……」
「ふはっ、マジでか。椎名ってさ、仕事できんのに鈍くさいとこあるよな」
「うるさいな……鈍くさいは余計だ」
「ごめんってば。なぁ、今日の昼一緒に飯食わね?」
事務所までの道のりは普段ならなんという事もない。
今日は、人の視線が気になって仕方ない。
誰も見ていないだろうに、挙動不審に辺りを見回してしまう。
「それくらい1人で食べろよ」
「うわ冷たっ、ひっでえなぁ。……今日なんか、怒ってる?」
「怒ってないし、何もないから。悪いけど今日は1人で寝たいんだ」
「……そっか、分かったよ」
まともに睡眠を取れていないらしい。
気分は悪いし、頭痛も消えてはくれない。
松本さんにはできるだけ、会いたくない。
そう思った矢先。
「松本、この荷物を倉庫に持っていきたいから羽川に連絡しといてくれ」
「承知しましたー」
気の抜けた声が聞こえて、ギクッと肩が震える。
事務所では課長や松本さん、その他の従業員が何やら荷物の整理をしていた。
通れないほどの場所も綺麗に物がなくなり、初めて来た場のようにも感じる。
「あぁ、おはよう椎名」
「……何を、されてるんですか」
「今日消防が来るんだよ。通り道は塞ぐなって毎度うるさくてなぁ」
まるで何もなかったような松本さんの反応には、拍子抜けもしたし安堵もした。
消防点検で慌ただしいのか。
どうやら営業本部では消防訓練が行われるらしく、その次いでと言わんばかりに避難経路の確保ができているかチェックしに来るそうだ。
「パソコンつけて請求書の画面、開いといてくれ」
「はい」
宴会場とはまた違う表情で受話器を取ると、4桁の内線番号を入力した。
仕事は仕事、切り替えないと。
「事務所、松本です。羽川さん、荷物整理で第一倉庫の開錠をお願いしたいんだけど。ああ、は、一万? ははは、冗談よせよ〜」
パソコンを起動し、デスクトップの画面をぼんやりと眺めた。
どうしてか、松本さんの声を聞いていると心が落ち着く。
容姿が端麗な上、大人の色気を感じるせいかもしれない。
「じゃあ終わったら声かけるよ、どうも」
ずっと聞いていたいと思う俺は多分、神経機能が故障している。
「椎名、できたか」
「っ、はい。開いてます」
「よし、じゃあ宴会場行くぞ。手伝ってくれ」
「分かり、ました」
仕事熱心だ、この人は。
いつものように気合十分な様子で事務所を出て行く松本さんを追いかけた。
「__お前、その顔どうしたんだ」
「え……?」
なんの気なしに松本さんを追っていたら、突然立ち止まり振り返ってきた。
さっきまでの陽気な顔ではなく、昨日見た表情で。
「どう、って……別に、大したことはないで、す」
急に呂律が上手く回らない。
なんでだ……?
さっきみたいに、言えばいいのに。
「何があったんだ」
「……っ、玄関で、つまずいてしまったんです。本当に、それだけで……」
「…………」
視線が痛い。
鈍くさいと笑って流してほしい。
浅木のように笑い飛ばしてくれるだけで、俺は今日1日頑張れるような気がしていた。
だが松本さんに顎を指で上げられた瞬間、全身が緊張してその希望は消えた。
「なっ……やめてください、」
「お前、なんでこっちを見ないんだ。その理由が本当なら目を合わせろ」
「……ッ……笑わ、れるかと……思って」
我ながら、嘘をつくのが下手だ。
口を開けば開くほどボロが出そうで、いっそ閉ざしてしまいたかった。
「笑うかバカ。玄関で転んで切れた傷じゃないだろ、誰にされた」
「だ、誰……?」
「殴られたようにしか見えないんだよ。さっき事務所入ってきた時も、不自然なくらい挙動不審だったしな。一体誰なんだよ」
声色がみるみる変わり、怒声が入り交じる。
全部見透かされている。
なぜだか責められている気がして、胸の奥が苦しくなった。
「……大、丈夫なんで……そういうの、やめて、ください……」
20歳も過ぎた男が職場で泣きそうになるなんて世も末だ。
痛いほど感じる視線が怖い。
それでも、事情を話す勇気はまるでなかった。
「椎名。一瞬で良いから、俺の目を見ろ」
「嫌、です」
「駄目だ、疚しいことがないならできるだろ?」
「強制……じゃないですか、そんなの」
「当たり前だ。1回だけで良い」
俺はやっぱり、この人が嫌いだ。
人の意思など聞かない男に混乱して、うつむいていた目線を松本さんへと向けた。
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